68. 騎士の長
訓練場ではエウスが部下に檄を飛ばしていた。
「退くな! それでもリヒティアの騎士か!」
その声に鳶色の髪の男が一歩踏み込む。衣服は汗に色を変えていて、これまでも激しく競っていたことが見てとれた。
布を巻いた剣がぶつかり合う音、騎士たちの声。汗が蒸気のように辺りを満たしている。
この明快な世界がギュミルは好きだった。
「やってるな」
エウスに声をかける。その短い言葉の真意は探るまでもない。
「お前も入るか?」
「もちろんだ」
王国の忠実な黒熊と王国への熱烈なる求婚者はそろって好戦的な歯を見せて笑った。
べとつく汗を洗いながす。黒々とした蓬髪を振り乱すと、ギュミルは一層山賊めいて見える。彼が黒梟隊の一員であることを別にしても、その風体は他の騎士たちを遠ざけるのに十分だった。
髪や髭を手荒に洗っていた最中に「おい」と頭上から朗らかな声が降ってきた。
「……なんだ」
「切ったらどうだ、それ」
「切らん」
幾度となくエウスと繰り返したやりとりだ。
「見てるほうが暑苦しいんだよ」
軽口をたたく。ギュミルは髭面から水滴をしたたらせて笑った。
年わかい騎士たちもいまこの時はのびやかに水を浴びている。
話題は飯、酒、最近の仕事、肌に残った傷の来歴。日々これといって変化はないことばかりだ。
所属する隊も下される任務も異なるギュミルは、会話の輪には加わらず、ただざわめきを肌で感じていた。
隊の長であるエウスも黙って部下たちを見守る。汗に濡れた肌着までを脱いだその姿は古代の彫像にも似ていた。
「おい、なんだあれ」
一瞬にして好奇のどよめきが場を支配した。
エウスは騎士たちの視線の先へすばやく顔をめぐらせる。対照的にギュミルは彼らの背後や周囲に目を光らせる。
「修道院の……?」
「やたらといるな。兵舎に来てるのか」
「なんの用だ?」
何らかの陽動作戦などではなさそうだ。片言をつなぎ、自らの目でも確かめてギュミルが把握したことには、修道僧が四、五人もそろって兵舎をおとずれている。
「……子供がいるぞ」
その声に、場はふたたび色めき立った。
「あいつか?」
「……いや、女の子だ」
「おい、それ……」
一瞬だけ悪魔が通りすぎたように静かになった。全員が正解を悟っていた。
「まさか、加護の――」
「静まれ!」
隊長の一喝。瞬時に秩序が取り戻された。
エウスは一言一言を深く刺し入れるように続けた。
「いくら骨休めの時間とはいえ、たるみすぎだ。このリヒティア王国の輝ける第一兵隊が子供ひとりに動じるとは情けない」
騎士たちは太陽の下、背筋をのばしてくちびるを引き結んでいる。この場のほとんど全員に向けられた苦言だと頭ではわかっていても、自分ひとりが叱られているようないたたまれなさをそれぞれが感じていた。
エウスはひときわ張りのある声をあげた。金色の髪が太陽の祝福を受けてまばゆい。
「恩寵がなんだ。そのようなものに頼らずとも、俺たちは強い。そうだろう」
堂々とした声音が視線を引きつける。士気を盛り上げる術を心得ている。ギュミルは一歩引いたところから感心していた。
「光にあふれたこの地の平和は、俺たちの鍛錬の賜物にほかならない。さあ、お前たちの指に、騎士の証に再び誓え! 誇りを抱け! 胸を張れ!」
「はい!」
一糸乱れぬ声が返る。
「休息は終わりだ。さあ、戻れ!」
「はい!」
桶を片付け、衣服を脱ぎ捨てていた者は拾い上げ、きびきびと第一兵隊の騎士たちは訓練場へと駆けた。