67. 尊き東
ギュミルが驚いたことに、アーロスは国という概念を知らなかった。彼にとってはあの壁にかこまれた砂埃の町が世界のすべてであるようだった。
この城と騎士の話に至るまでにどれだけの時間がかかるのだろうと考えてしまい、うんざりする。
いや、そこまで理解させる必要はない。説明をはしょることにした。
「とにかく、お前たちはリヒティア王国の臣民だ。ここは国王のおわす城、俺は国を守る騎士だ。いいな」
アーロスがまったく納得できていないことはありありとわかったが、説明を強制的に終わらせた。
「……わかんねーよ! シンミンとかコクオー? ってなんだよ」
「俺が許すとき以外質問はするな」
「はあ!? 意味わかんねえ!」
新兵の出自はさまざまだ。そのため鍛錬と共に読み書きやこの国の理が教えられる。ギュミルは自身の受けた教育に従ったまでだが、ここでは教師役も生徒役も力不足と言わざるをえなかった。
アーロスはさんざん質問と悪態を繰りだし、ギュミルは頭ごなしに彼を黙らせようとする。
双方が当初の目的をわすれ、収集がつかなくなった頃合いに、ちょうど助け舟のように伝令の小姓が駆けこんできた。
「……ああ、ここにいた!」
アーロスの頭をわしづかみにしてギュミルは「なんだ」と問う。
小鬼のような声をあげるアーロスに、年の大して変わらないであろう小姓は怖じけて一歩後ずさった。
「えっと、アーロスって、そこの……ですよね?」
戸惑いに口調が年相応に幼くなる。
「そうだが」
すっかり興奮してしまったアーロスが「なんだよおまえ!」と小姓にも食ってかかる。
受けた命令を遂行すべきかどうか長いことためらい、ギュミルに促されてやっと小姓の口が開いた。
「ア、アーロスという少年を、お連れ……、連れてくるように、と」
おびえきった彼のようすに、アーロスがこころなし矛をおさめる。
「……なんでだよ」
とげとげしい視線に小姓の身がすくむ。
「い、いえ、ぼくは、聞かされてなくて……。とにかく、行けばわかるだろうとしか」
「どこへ行くんだ」
「……ワストレスの間です」
ワストレスの間。数ある客間の中でももっとも東に位置する。それはつまり、ここ王城においてもっとも格の高い部屋であることを意味する。
ギュミルは思わずうなった。小姓は目の前の野良犬じみた少年をそのような場へ連れていってよいものか迷いを感じているようだった。
「そんな、わけのわかんねえとこ……」
「おい」
アーロスの髪を引き、小姓には聞こえないように低く告げる。
「おそらくはニィカのことだ。おとなしく行ってこい」
みるみるうちにアーロスの目がまるくなった。少しは隠そうという意図を汲んでもらいたいものだとギュミルは奥歯を噛みしめた。
「……わかった」
キッと小姓を見すえてアーロスが歩み出る。
「早く連れてけ」
小姓は呆気にとられた表情を見せ、その後にじわじわと不快感をおもてに出した。
「わかりました。ちゃんとついてきてくださいね」
さっさと扉にむけて歩みを進めてしまう。
「おい、待てよ」
アーロスは足早にその背を追った。
のこされたギュミルはがりがりと頭をかいてから、身体の内に溜まったもやを晴らそうと訓練場へ向かうことにした。