64. 穴ぐら
一歩一歩石段を下りるごとに、湿った苔のにおいが増す。
カンテラをかかげると最下にいた牢番が眩しそうに腕で顔をおおった。長年の地下勤めのせいか皮膚がつるりと青白く、見た目からは何歳とも見てとれない。
牢番はギュミルを認めると背を丸めるようにお辞儀をした。
「二日ほど前から若い男がいるだろう」
「へえ、いますな」
「帰すことになった。鍵を開けろ」
「へえ……」
牢番は指先で鍵をもてあそびながら口の中でぶつぶつとつぶやく。
「なんだ」
金属音の合間に「いんや、出したところで……」という言葉が聞こえた気がした。
ぎい、と扉がきしむ。がらんとした牢の中へ足を踏み入れ、「おい」と呼びかけた。
声が響く。隅でなにかがびくりと動いた。
「ここから出ろ。イセファーへ帰してやる」
ギュミルは人影に近づく。彼は背を壁にきつく押し当て、耳をふさいで縮こまっていた。
「おい」
腰を曲げてその肩を軽くたたく。引き攣れたような息の音。おびえた大きな目がギュミルを見た。すぐに視線はそらされてせわしないまばたきが始まった。
口が開く。なにかを言うでもなくくちびるがわななくだけ。
「おい、どうした……」
彼の体がひときわ大きく震えた。
「うっ……」
両腕が力なく垂れて地面につく。うずくまる体の下で水っぽい吐瀉音と鼻をつく酸いにおいが生まれた。
嘔吐を終えた背中が上下に動く。ギュミルの耳に届くのはえずきの交じる荒い呼吸だけだった。
「大丈夫……か?」
なにか病気にかかっていたのだろうか。イセファーまでの長旅に耐えられるか。
さすってやろうと背に手を当てると、身が固くなるのが感じられた。
強張った体がギュミルの手から逃げるようにぐらりと揺れる。とっさに服をつかんで止めた。
「おい、おまえ――」
反応はない。一切の抵抗も見せない。気を失っていた。
仕方なしに彼を肩にかつぎ上げる。
そういえばあの家へ踏み込んだときも、こいつは気絶していたな。今と同じようにユーリンガーが抱えて連れていった。
出しなに牢番に問う。
「何をしたんだ」
牢番はギュミルの肩を見上げ、おずおずとギュミルと目を合わせた。それから一歩後ずさる。
「い、いんや……、わしはなにもしてませんで……」
挙動不審な態度に「本当か」と迫る。牢番は口を開け、乾いたくちびるをなめた。
「ほんの、ほんの二、三回でさ。なんとかっちゅう娘っこの居場所を吐かせろってんで、鞭で……。いや、それもなでるっくらいだ。わしが鞭を見せる前から、こいつはどうしようもなかったんだ。それにわしはちいとも楽しんでなんかねえ。やれって命令されたからでさ。どうしようもねえ。わかってもらえますな、わしは楽しんでなんかいねえ……」
「わかった、わかった」
追いすがるような口調がうっとうしく、ギュミルは投げやりに答えた。
「騎士さま、わしが罰を受けるようなことはありますまいな、そいつに鞭をくれてやったせいで……」
「それは俺が決めることじゃない」
「そんならどうか、よろしく伝えてくだせえ。わしはただ、言われた通りにしただけですとな」
「覚えておこう」
卑屈に頭をかがめる牢番に嫌気がさし、ギュミルはカンテラを持ち上げて石段を上った。