62. 騎士と少年
王城へ着いて事情を告げるや否や、修道院長が飛んで来た。
「ああ、よくぞご無事で……。さあ、こちらへ」
ニィカはこくりとうなずく。彼女を呼び止めようと伸ばされたアーロスの手は、ギュミルが押さえた。
「ニィカ、行くなよ! なんなんだよ!」
ギュミルは暴れる彼の体をつかまえる。馬車を出る前に、ニィカは一度振り返った。
「……バイバイ、アーロス」
静かに告げられた別れに、アーロスが虚をつかれた表情を浮かべる。
「ニィカ……」
その声には応えず、黒髪のおさげが消える。
ニィカの姿が見えなくなり、アーロスは座席の上で頭を抱えた。
「くっそお……」
歯の隙間から苦い声が漏れる。傷口を覆うために巻かれた布をぐしゃりとつかむ。
「お前はこっちだ」
彼の扱いを決めあぐねていたが、ひとまずは兵舎の治療室に連れていくことにした。
もうほとんど形式的な手当てになるだろうが、包帯のひとつでも巻いておけば面目は立つだろう。
車輪の音の隙間に、少年の毒づく声が埋まった。
兵舎の中で、アーロスは少なからず目を引いた。ちょうど訓練の終わる頃合いと重なったのも影響していただろう。
「なんだ、入隊志望か?」
「まさかお前の子供じゃないよな、ギュミル」
「そんなはずがあるか」
不機嫌なギュミルの返答に、どっと笑いが起こる。
「何年か鍛えれば使い物になりそうじゃないか」
「槍は使ったことあるか? 剣は?」
アーロスは物珍しげな視線に臆さずに、牙をむいて騎士たちを威嚇した。
「うるせえ! 早く帰せよ! オレたちも、ニィカも!」
「ニィカ?」
ひとつの声が聞き返す。聞きとがめられたことにギュミルは顔をしかめる。あの子供のことは固く口止めをされていたのだが。もっとも、今となっては公然の秘密になっていたとしても驚かない。
「女の子の名前だな。君はもうだれかの騎士なのかい?」
後ろからぬっと大柄の男が現れた。第三兵隊長のコーデンだった。今は片手用の戦斧を肩にかついでいる。
彼ならば事情を知っているはずだ。ギュミルは彼が話題の矛先を逸らしてくれたことに気付き、会釈をして礼を示す。
コーデンはすこし笑って目配せを返した。
コーデンの思惑通り、騎士たちはこぞってアーロスをひやかしていた。
「チビのくせに、もう相手がいるのか? うらやましいな」
「お前もうかうかしてられないな、ミッグ」
「もしかしてそれ、彼女を守った名誉の負傷か?」
ひゅう、と口笛。
「うっ……、うるせえ!」
アーロスは顔を真っ赤にしてどなった。ただ、その反応はかえって騎士たちを面白がらせるだけだった。
「どうやら図星だぞ」
「今晩は新入りの武勇伝を聞かないとな」
「食堂にも来いよ、チビ」
「うまかないが量はあるからな」
口々にアーロスをからかいながら、騎士たちは着替えに去って行った。
最後にコーデンがゆったりとギュミルたちとすれ違う。
「コーデン殿……、すまない。助かった」
「あの、恩寵の御子がらみだろう?」
「ああ」
彼には隠すこともないだろう。
「この子は御子じゃないな。女の子には見えない」
笑いを含んだ声でコーデンが言う。
「あいつは修道院だ」
「そうか、戻ってきていたのか」
アーロスの頭上で交わされる会話。
「おい、斧のおっさん」
「俺かい」
柔和な目がアーロスを見下ろす。
「余計なこと言いやがって」
「ああ、君があの子の騎士だってことかい?」
「だ、だまれ!」
「いいじゃないか。守るものがあれば強くなれる」
「ちげえってば!」
むきになって言い返すアーロス。
コーデンはハハ、と笑って「それじゃ、俺も行くよ」とその場を後にした。
今日のところは、アーロスは兵舎で預かることとなった。
「飯、食いにいくか」
騎士たちに会うのを嫌がるかもしれないと思って聞いてみた。
アーロスはきっぱりとうなずいた。
食堂でもアーロスは娯楽に飢えた騎士に話しかけられていた。ただ、今度はアーロスは山盛りの肉とキャベツに没頭していた。
その様子はさながら骨を与えられた犬を思わせた。ギュミルは少年にも周りの騎士たちにもほとんど注意を払わず、ジョッキに満たされた麦酒をあおっていた。
アーロスはキャベツを何枚も丸めて口に詰めこみ、あごを動かしながらもごもごと言う。
「……おい」
「なんだ? もっと食うか?」
ひとりの騎士が羊のあばら肉の乗った皿を引き寄せる。キャベツを喉に押しやってアーロスは続ける。
「毎日、こんな……、肉とか、食ってんのか」
「そうだな。たいてい焼くかゆでるかしただけのやつだから、飽きるけどな」
わずかにアーロスが眉を寄せた。ただ、その表情に気づいた者はいなかった。
「お前も騎士団に入るか? 食うにはこまらないぜ」
「こんなチビ、役に立つかよ」
「黒梟ならどうだ? 変人ぞろいだしちょうどいいかもしれん」
「そりゃあいい!」
無遠慮な笑い声が響く。ギュミルは淡々とそれを聞き流した。
「おい、チビすけ?」
騎士は声をかけようとして言葉に詰まった。
アーロスは黙って食べ物を口に運んでいた。その姿には、どこか鬼気迫るといった雰囲気が滲む。
しばらくためらった後、騎士たちは「あんまり食うと気持ち悪くなるぞ」とだけ告げてテーブルを離れた。
「うあー……」
アーロスはだるそうな声をあげてベッドに寝転がる。
不必要なことを他の騎士に告げてしまわないよう、ギュミルと同室にされていた。
「……食い過ぎだ」
ギュミルは彼に背を向けて鎧を手入れする。
「腹いっぱい食うと、苦しくなんだな……。これまでオレ、腹減ったことしかなかった……」
ぶつぶつと独り言を続けるアーロス。
「腹減ると、ふらふらして、目が回んだ……。おっさん、知ってたか」
ギュミルはすこし考えて、磨いた篭手に息を吹きかけてから答えた。
「……いや」