60. 両側
黙りこくるニィカを横目で見遣り、ギュミルは左にうずくまる少年に目を戻した。息は荒いが出血は落ち着いたようだ。
念のために兵舎で手当てを受けさせて帰してやればよいだろう。
とっさのこととはいえ、あの場で慣れない弓を引いたのは失態だった。あとこぶし半分ほども矢がずれていれば、この子供の命はなかっただろう。そうなればギュミルにとっても寝覚めが悪い。
とにかくこれで役目は果たした。あとは馬車が無事にリヒテシオンへ着くことを願うばかりだ。
馬車は一台。伝令も飛ばさず、できるだけひそやかにひた走る。
ドルジャッドの兵士が何人あの町に潜んでいるのかは知らない。
イセファーに残った第二兵隊の騎士、それにユーリンガーがある程度は足止めをしているだろうが、ニィカが町を出たことに気付かれるのも時間の問題だろう。
ドルジャッドの手の者はあの死体の処理と、この子供の捜索と、どちらを優先するだろうか。
あの場に残る矢からは射手の身元を探るのは難しいだろうが、用心に越したことはない。
念のため確認しておこうと矢筒から矢を一本引き抜いた。
右側から息をのむ音が聞こえた。見れば狭い馬車の中でニィカが居心地悪そうにギュミルから離れようとしている。
ギュミルはやや考えてから尋ねた。
「……怖いか」
ニィカは矢から目を離さないままこくりと頷いた。
仕方がない。矢をしまい込み、腕を組む。
もしドルジャッドから王城へ不平が届いたとしても、理はこちらにあるはずだ。イセファーは、実際に十全な統治が及んでいるかは別として、れっきとしたリヒティア王国の領土なのだから。
そう思うことにして、それ以上頭をめぐらせるのを止めた。
途中の宿屋で馬車を停めた。馬を御す第二兵隊の騎士に、水や食糧を買いに行かせる。
傍らの少年は目を閉じている。まだ呼吸ははあはあと苦しそうだが少し眠れる程には落ち着いたようだ。
ニィカのほうはと見れば、押し黙ったままギュミルの手を見ている。彼を敵と定めた瞳だった。
話しかけてこないのならば好都合だ。沈黙のなか、宿に向かった騎士が帰ってくるのを待った。
赤いマントをまとった騎士はパンと干し魚、それに革袋に満たした薄いぶどう酒を買って戻ってきた。
食物を馬車のなかにどさりと置きながら彼は口を開く。
「馬を交換できましたから、すぐにも出発しましょう」
「御者台を替わろう」
腰を浮かせかけたギュミルを、騎士は制した。
「いえ、ギュミル殿はどうぞ食事を。俺はもう済ませましたから」
「……悪いな」
できることなら子守りから解放されたかったのだが。
「お気になさらず。じゃ、さっそく馬車を出しますよ」
騎士の姿が消える。ことばに違わず、程なくして揺れが伝わってきた。