58. すももの香り
せまくてほこりっぽい道。すこしでも人の多いほうへと歩く。
あたしのことをよくわからない呼びかたで呼ぶ人がいたら、どんなにこわくたって、逃げないで言うんだ。
探してるのは、あたしのことでしょう。ついていくから、トイゴイとケルーノを返して、って。
ついさっきまではあんなにびくびくしていたのに、いざ覚悟を決めるとなかなかあの兵士たちに出くわさない。
物売りの声に引かれるように大通りに出て行った。
道行く大人の顔をたしかめながら歩く。
ふと目が合った女の人から、「お嬢ちゃん、迷子かい?」と声をかけられた。
「えーっと……」
どう答えたらいいのか、首をかしげた。
「おうちのひとは? はぐれたの?」
目をぱちくりさせている間にも、彼女は矢継ぎ早に話す。
「ここ数日、物騒なのがうろついてるからね。そんなにふらふら歩いてちゃあぶないよ」
ニィカはこくりとうなずいた。きっとそれはあたしを探してる人たちだ。
「名前はなんてんだい? ほら、いっしょにおいで」
つながれた手を振りほどいた。ニィカを見下ろす女性の眉間が、大きくしわをつくる。
「ありがとう。でも、だいじょうぶだから」
「ふん、どうなっちまっても知らないからね」
苦々しく吐き捨てられたことばを踏んづけて、ニィカはふたたび人ごみの中に駆けだした。
洗いさらしたうすい服を着た人々のあいだをすり抜ける。
のどが痛いほどにかわいていて、思わずきょろきょろと水を探していた。
みずみずしく甘いにおいが鼻をくすぐる。すもものかおり。果物売りの屋台の前に引き寄せられた。
じっとすももの山を見つめるニィカに、果物売りはじろりと視線をむける。
「買わねえんならあっち行きな」
ニィカは果物売りを見上げて考えた。たぶん、この頭のバンドの石と引き換えなら、両手に持てないほどの果物が買える。
でも、あのおじいさんが言っていた。これは大事にしなくちゃいけないものだ。そう思いだしても、目の前のすももは見るからにたっぷりの汁気でつやつやとしていて、かじればじゅわっと果汁があふれそうだ。
きっとあたしが持っているものを手放してしまったら、あのおじいさんは悲しい思いをする。
そう思ってみても、目の前のすももはとろけるような甘い香りを消してはくれない。
でも、でも……。
「さあ、行った行った」
答えが出ないうちに追いはらわれてしまった。ニィカはいっぱいの果物を振りかえり振りかえり、道を歩きだした。
「おい」
はちきれそうなすももにかぶりつくことばかり考えていて、その声が自分を呼んでいるのだと気づかなかった。
「おい、そこの子」
低い声がつづける。ニィカは子供がどこかにいるのかとあたりを見渡してから、その声の主に首をめぐらせた。
腰にさげた大きな剣。丈夫で分厚い衣服に、肘当てや膝当て。この町にはなにもかも異様な、油断なく武張った雰囲気。
ニィカは後ずさりたいのを踏みとどまった。行かなくちゃ。そして、言わなくちゃ。
「あ……、あたしのこと、さがしてるんでしょう」
「恩寵の御子か。話が早い」
「あたしが行けば、みんなを返してくれる?」
「汝が真実に恩寵の御子であればな」
それなら、きっとだいじょうぶだ。
ニィカはうなずいて足を進めた。
次の瞬間、小さな人影が男の後ろから飛び出した。