56. もうひとり
やっとなみだを落ちつけて、ニィカは床に放っていたパンを思いだした。
「……マルシャ、食べる?」
「うん」
ほとんど砕くようにパンをちぎって口に運ぶ。スープもバターも何もない。走ってきたときのまま、のどはまだからからで、舌やほおの内側にすっぱいパンくずがはりついた。
それでも空腹はおさまった。残ったパンは部屋の奥の台に置いておくことにした。
朝と同じように、外から見えにくい窓の下に身をよせる。
「……夜になったら、水、取りに行こうね」
ニィカの耳に口を近づけてマルシャがささやく。ニィカはこくっとうなずいた。
おしゃべりをする気分にもなれなくて、ふたりはただ座って日がかたむくのを待った。
いつのまにかうとうととしていた。ニィカとマルシャが同時に目をさましたのは、床下からの物音を聞いてだった。
そっと顔を見合わせて、相談したかのように抜け道の出口に寄る。そこをふさぐ板の上にすわって、手のひらでもぐっと押さえつけた。
「ねえ、見つかっちゃったのかな」
不安に駆られてマルシャにたずねる。マルシャは床下に目をこらしたまま小さく唇を動かした。
「……わかんない。でも、この道まで知ってるなんて……」
コンコン、と軽い振動がてのひらに伝わった。口をつぐんでさらに強く床を押さえる。
ふたたび音がした。続けて人の声のようなものが聞こえて、マルシャは這いつくばるような姿勢で床下に耳をすませた。
「えっ……」とマルシャの頭が持ち上がる。
遠くへさけぶときのように両手を口元に当てて、うずくまる。そうして下に向けて呼びかけた。
「スイ? スイなの?」
その名にニィカもあわてて床に耳をつけた。
「マルシャ? ニィカ、そこにいるよね」
マルシャはちらっと視線を動かしてニィカの存在をたしかめた。
「スイ、そっちは? ほかにだれかいる?」
「ううん。ぼくだけ」
「わかった」
うなずきあって、抜け道を閉ざす板の上からどく。
ガタリと音がした。ぽっかりとあいた穴を見下ろすと、スイが手を伸ばしていた。
マルシャとニィカが手伝い、スイも穴をよじ上ってきた。
彼はひとつため息をついてひざをかかえこむように座る。
「ニィカ……、だいじょうぶだった?」
くぐもった声。
「うん」
「……そう、よかった」
平たい声でスイは言った。
「スイ、そっちはどう?」
マルシャが緊張をはらんだ声音でたずねた。
返事はしばらくなかった。ひざに顔をうずめたスイは首を横にふる。
「……スイ?」
「……ケルーノが」
その声は震えていた。
「ケルーノが、連れていかれちゃった」
マルシャは顔色をなくして驚きに目を見開いた。