51. ふたりの考え
ニィカの手のひらを縦にふたつ重ねたくらいの細長い窓。そのすぐ下でニィカとマルシャはひざをかかえていた。
「ここなら、たぶん外から見えないから……」
「うん」
ひそやかにことばを交わす。
このまま、隠れて、時が過ぎるのを待って。もうあそこには帰れない。ケルーノとみんながいる、にぎやかなあの家には。
ニィカはちらりとマルシャの横顔を見た。小さく体を丸めてはいるけれど、唇を引き結んで強い目をしている。
帰れないのはさびしい。でも、マルシャはもっとさびしい。きっと、ずっとずっと、あの家でみんなと暮らしていたのだから。
「……ねえ、マルシャ」
横顔をじっと見つめて呼びかけた。マルシャがこっちを向いて、「なあに?」と応えた。
「マルシャは帰ったほうがいいんじゃない? あたしはもう、平気だから」
不安を殺して笑ってみせる。マルシャが痛々しく眉をよせた。
「だめだよ」
それだけ言って、ニィカから目をそらす。ニィカはその耳に続けた。
「でも、これあたしのせいだもん。マルシャは帰って、みんなのところにいたほうがいいの、きっと。マルシャもみんなも関係ないのに、こんなに迷惑かけて……」
ぎゅっと手が握られた。その熱さと力強さに思わずことばが止まる。
「ニィカ」
マルシャの指の骨の固ささえも感じられるほど。
マルシャはもう一度「だめ」と言った。
「ニィカをおいて帰ったりしない。それに、関係ないなんて言わないで。ぜったい」
「でも」
マルシャは「聞かない」とこどもじみたしぐさで首をふった。
「もうなんにも言っちゃだめ。言わないで」
ニィカは口を開きかけ、迷いに迷ってから、なにも言わずにうなずいた。
手をつないだまま、射しこむ光を避けるようにうずくまる。外はしだいににぎやかになってきた。
物売りの声とともに焼きたてのパイの香りが入りこむ。
そういえばゆうべの、途中でさえぎられた食事からなにも食べていなかった。
おなかがきゅうっと縮むような空腹を感じる。ちらっとマルシャを見ると、彼女もちょうどこちらに顔をむけたところだった。
「……おなかすいたね」
「うん」
ぺたりと壁に背をつける。ニィカはパイのにおいをかがないよう、鼻をつまんだ。
マルシャはゆっくりとまつげをまたたかせながら考えごとをする。その瞳が不意にかげった。
ニィカがその表情に気づく前に、マルシャは元のようににっこりとニィカに笑いかける。
「ちょっと待ってて、ニィカ。食べるもの持ってくるから」
ほどかれそうになったマルシャの手を、こんどはニィカが強く握りしめた。ひとりになるのは怖かった。
「あたしも行く」
「え? でも……」
マルシャが口ごもる。その目をのぞいて、ふと考えついたことがあった。
もしかしたらマルシャは、そう言ったまま、あそこに帰るつもりなのかもしれない。それならあたしは、じゃましちゃいけない。
ニィカの手がマルシャから離れた。
「ごめん……。えっと、うん。だいじょうぶ。……行ってきて」
ふたりはしばらく見つめあった。マルシャがゆっくりと手を差し伸べる。
「ニィカ」
その手をとる前に、ちょっとだけためらった。マルシャの手のひらはしっかりと握り返してくれた。
「ごめんね。いっしょに行こうね」
「……うん」
自分でもマルシャに甘えているのはわかったけれど、いまこの時は、どうしようもなく甘えていたかった。