50. 捨てられた聖域
小さな窓からうっすらと射しこむ朝日に目を覚ました。
「……マルシャ?」
小さく呼ぶと、もぞもぞと身動きをしてマルシャも起きだす。
「おはよ、ニィカ」
ふわあ、とあくびが見えてつられる。大変な状況なのはわかっているけど、おたがいにふふっと笑ってしまった。
「とりあえずここにいて……。なにか食べものがあるといいけど」
ひざをかかえて座ったまま、まわりを見回す。
「あ……」
ここに来るのははじめてのはずなのに、どこかで見たような。かざりけのない壁や床、左右にずらりとならぶ椅子。部屋の奥にどしりと構える台。あそこに人が立って、話を――。
「どうしたの?」
「ここ……、修道院みたい……」
もっとくわしく言うなら、毎朝修道僧が集っていた、修道院の礼拝堂。ニィカもその端の席に座らされてはいたが、修道僧たちが唱えるお祈りの言葉を意味もわからず聞くだけだった。
マルシャが目をぱちくりさせて「シュウドウイン?」と繰り返す。
「えっと……、みんなでお祈りをするところ」
「お祈りってニィカがやってたみたいな?」
「うーん、たぶん……」
あたりは手入れをされた形跡もなく、朽ちかけているのがわかる。王城のなかの修道院で多くの修道僧が暮らすようすを見ていただけに、この荒廃はいっそうさびしく目に映った。
「ねえ、ここでお祈りしたら、なにかいいことがあるの?」
「いいこと?」
「うん。お祈りって家でもできるでしょ。こんな特別なところ作らなくても」
マルシャの素朴な問いに、ニィカは琥珀色の目をまたたかせて考える。
「なんでだろ……。カミサマに届きやすくなるのかな」
「カミサマ?」
ふたたび耳慣れない言葉を確認する口調でマルシャが尋ねた。
異国人の父をもち、森の中に育ったニィカも「カミサマ」というものをよく知っているわけではない。修道僧たちも、ニィカが「カミサマ」を知っているものと思いこんでいたのか、くわしく説明してくれることはなかった。
ニィカは修道院で見聞きした記憶をたどたどしくつなぎ合わせる。
「えっと、ここじゃないどこかに、カミサマがいて、あたしたちを見守ってるんだって。で、お祈りを聞いてくれるんだって」
「見てるの? その、カミサマって人が?」
マルシャは上下左右前後と、カミサマをさがすように首を回した。
「うん。見えないけど、いるんだって」
「ふうん」とマルシャはよくわからないという顔をしながらもうなずいた。
ニィカは自身のことばを胸のなかで思い出す。お祈りの言葉をとどけるためにこの建物があるのなら。ほこりまみれで荒れた礼拝堂でもよいのなら。
ニィカは頭のうしろに手をやって、バンドをほどいた。
「あまーにぇ にぃか ふれた ざしと ぽとにぃた るいーすて」
しんとした建物に声が響いて帰ってくる。幼いころから何度となく唱えているお祈りのことばに心がおちつく。
「あまーにぇ しぃやすと く にぃこ のと ぷりぇはと るいーすて」
「あまーにぇ、にーか、えっと……」
小さくマルシャがくり返す。ふたたびゆっくりと唱えだすなめらかな声と、そのすぐ後を追うたどたどしい声。ふたり分の祈りが忘れられた礼拝堂を満たした。