3. 黒熊
【注意:残酷な描写を含みます】
盗賊頭がギュミルに背を向ける。
あまり時間を取られずに済んだようだ。
そう思いかけた矢先、年若に見える二人の盗賊が顔を見合わせてにやりと頷き合うのに気付いた。
油断させて襲う作戦かと思ったが、他の賊は頭に従い武器を収めている。
若い盗賊が土を踏む。興奮に目を見開き、唇を舐める。雄叫びとともに足が踏み出される。
盗賊頭が「バカ野郎……!」と振り向いた。
彼らは鏡のような動きで短剣を振りかぶり左右からギュミルを襲う。
次の瞬間、ひとつの首が高く刎ね飛ばされた。
全てのものの時が止まったようだった。動くのは、どうと倒れる体と、ややあって地面に落ちて転がる頭。
アルベルトがぶるるっと鼻を鳴らす。その純白の毛並みにはわずかな血さえ飛んでいなかった。
「く、黒熊……?」
誰の呟きだろうか。
「ああ」とギュミルは頷いた。
盗賊の間にどよめきが走る。口々に「黒熊」の名を呼び交していた。
息を強く吐き出して、鷲鼻の盗賊頭がギュミルを見上げた。
「黒熊……、見逃してもらえねえか……。んなコト言えた義理じゃねえのはわかってるが……」
ギュミルはその男を見据える。盗賊たちは固唾をのんで成行きを見守るばかりだった。
盗賊頭から死体の片割れの若い男に目を移す。
「来い。手のそれは捨てろ」
剣を握ったまま指先で呼び寄せた。彼は助けを求めるように辺りを見渡す。仲間のはずの盗賊たちから向けられたのは冷ややかな視線だった。盗賊頭も顎をしゃくってギュミルのもとへ向かうよう促した。
「くそっ……」
三日月刀を投げ捨て、若い男はやけになったように足を進めた。
ギュミルは剣を持ち上げ、左手でその男の腕をつかむ。脅えたように盗賊の腕が硬くなった。
剣の刃を寝かせてその肘の下にあてがう。身構える暇も与えずに、剣を支点に腕をへし折った。
濁った悲鳴をあげて男は崩れ落ちる。もう一方の腕も、拍車を付けた踵で踏みつけ、ぐしゃりと折った。
「連れていけ」
凍りついていた盗賊に告げる。彼らはギュミルの挙動をうかがいながら、地面に這いつくばる若い男におずおずと近寄った。「さわんじゃねえ!」とわめく彼をなんとか引き起こし、転がるように森のなかへ消えていく。
「終わったぞ」
声をかけたが、御者は真っ青な顔でがたがたと震え続けている。まだ出発できるようになるまでには時間がかかるか。
地面に転がる死体をあらためる。盗賊の情報が得られればと思ったが、衣服も武器もどこかから奪ったものをそのまま使っていたようで、めぼしい手掛りはなかった。
その腰の辺りを掴んで街道脇の茂みに投げ込む。ついでに頭のほうも人目につかないよう草の中に転がしておいた。
ギュミルは再び馬にまたがる。さすがにこれ以上無駄な時間を遣うわけにもいかない。
「行くぞ」
「はっ、はいっ!」
御者は一度大きく身震いをして、馬車馬に鞭をくれる。ゆっくりと馬車が動き出した。
「伯爵」
窓を軽く叩いてギュミルが呼びかけると、領主が顔を見せた。
「申し訳ありません。盗賊がおりまして」
「そ、そうか……。それで、大丈夫なのかね?」
「はっ。日が暮れるまでには王城へ到着するでしょう」
「そちらではなく。……怪我などはしていないかね」
予想外の言葉に、返答がほんのわずか遅れた。
「お気遣い痛み入ります。かすり傷ひとつ負っておりません」
「流石というものか。その調子でよろしく頼むぞ」
「かしこまりました」
一礼したところで、今度は領主の娘フランツィスカがギュミルに声をかける。
「ねえあなた、黒熊と呼ばれていますの?」
「さようでございます」
令嬢にはふさわしくない荒っぽいものを聞かせてしまったか。苦い思いを抱えるギュミルをよそに、娘はくすっと笑う。機嫌の良さそうな顔ははじめて見た。
「白馬の騎士よりずっとそれらしい呼び名じゃありませんこと? 今度からそう名乗りなさいな」
「……前向きに検討いたします」
「ええ、そうなさい」
もう一度朗らかに笑って領主の娘は前に向き直った。