14. 塔へ
玉座の間に足を踏み入れる。毛足の長い絨毯が足音を消した。室内には国王、それに大主教がいた。
よほどの大事でなければこの国の長二人がそろうことなどまずない。ギュミルは当惑を隠して深く礼をした。
ちらりとニィカに視線を走らせると、彼女はあろうことか国王にも大主教にも無関心に、壁ぎわをじっと見ている。
「おい」
険しい声音でニィカをうながした。
「いや、よい」
頭上から国王の声が降る。その声音がやわらいだ。
「そなたの父の作だ。実に見事であろう」
ニィカは顔の向きを変えずにうなずく。その視線の先には片手に剣を携え、片手に松明を掲げた男性のタペストリーがあった。伝説の中の建国者シフェトを描いたものだろう。
「……実に惜しい職人を亡くしたものだ」
その言葉から間があって、「え?」とニィカが玉座を見上げた。
「ギュミル。伝えてはおらなんだか」
「私も聞いてはおりませんでしたゆえ」
「そうであったか」
国王がニィカに視線をむける。その瞳が玉座の傍らに控える従者に動いた。
「あれを」
「はっ」
従者がなにか紐のようなものを取り出し、ニィカに手渡す。
精巧に細い糸を編み込んで作った首飾りだった。一部分は無惨に引きちぎられている。まだらな赤黒い色は、製作者と所有者の意図に背いて、ごく最近この首飾りを染めたのだろう。
「アロア=ジンマール=タンジが身に付けていたものであろう?」
ニィカは国王の確認に返事をせず、強張った顔で首飾りの残骸を見下ろしていた。
「そなたは今後、修道院で暮らすこととなる。毎夜の祈りを欠かすでないぞ」
その言葉がきっかけとなったように、大主教がニィカに近づいた。指を組み合わせ、深く腰を落とす恭しい礼をする。
「さあ……、こちらに。私と共にいらしてくださいませ……」
その声は震えていた。ほんの小さな少女におそれを抱いているかのように。
ニィカはそちらを見ずに首をふる。
「ニィカ」
ギュミルが呼ぶと、ニィカの琥珀色の瞳が彼を見つめた。ギュミルはもう一度「行け」と告げた。ニィカは唇を引き結んだまま動かなかった。
「ギュミル。ついて行ってやるがよい」
「……承知いたしました」
国王の言葉に応え、ニィカに「行くぞ」と手を差し出す。ニィカはおそるおそる手を伸ばし、その厚く固い手のひらを離すまいと強く握りしめた。
王城を出て、敷地のはしに建つ四角い塔へむかう。塔の周囲には畑がひろがり、さらにそれを囲むように高い青銅の柵が張り巡らされている。
柵を出入りするための簡易な扉にしつらえられた鐘を大主教が鳴らすと、ゆるやかな長い衣服に身を包んだ女性が塔の中から早足に歩いてきた。彼女は柵越しにニィカにむけて深く礼をし、大主教と顔を合わせた。
「修道院長殿。お話ししておりました——」
大主教の言葉に、修道院長とよばれた女性が控えめに応える。
「ええ、彼女があの……。すぐにわかりましたわ」
「そうでしょう。重任をお願いすることとなります」
「大いなる名誉として、引き受けさせていただきましょう」
修道院長は静かに柵の扉を開けた。身をかがめてニィカと目の高さを合わせる。
「さあ、こちらへ……」
ニィカがひときわ強くギュミルの手を握った。
「この中には女性しか入れない。ほら、行け」
渋りつづけるニィカの肩に、修道院長が手のひらを置いた。ニィカが修道院長の顔を見つめる。「ニィカさん」と温かな声が少女の名を呼んだ。
「さぞご不安なことでしょうね。粗末なところではありますが、私どもはあなたのためにできる限りのことをいたしましょう。どうぞ……ご安心くださいまし」
ギュミルの手を握りしめていたニィカの手からふわ、と力が抜けた。その腕が動いて修道院長の黒い袖口に指がかかる。修道院長はその小さな手を見つめ、そっと両の手のひらで包み込んだ。一瞬だけ指の関節が固く動いた。
「まいりましょう」とニィカにほほえみかけ、親子のように手をつないで塔へと歩き出す。
ニィカは振りかえってはギュミルを見上げながら、俗世と隔てられた清廉な塔の中へと消えた。
彼女を見送ったギュミルはため息をついて肩を下ろす。やっとあの子供から解放された。
「陛下へ、ご報告を……」
大主教が足音も立てずに柵に背をむける。ギュミルもそのゆっくりとした足取りに合わせて土を踏んだ。