12. 銀貨と白銅貨
朝日が射し込むのを感じてギュミルは目を開ける。立ち上がり、手足の筋を伸ばしているうちにニィカも目を覚ました。
「おはよう、騎士さん」
「起きたか」
ニィカはうん、とうなずいてベッドの上にひざを抱える。ギュミルは好奇心でいっぱいの子猫のような視線を感じながらも屈伸を続けた。
体も温まったところでニィカに目をやる。
「終わったの?」
「ああ」と答え、ふと思い出す。
「腹は減っていないか」
ニィカはほんの一瞬考えるように首をかしげ、「へってる!」と声をあげた。
「そこにパンがある。食うといい」
「うん!」
一晩がたち、さらに固くなっていたパンに果敢にかぶりつく。途中で何度かもの言いたげな目でギュミルを見上げていたが、口いっぱいにものをほおばっていたおかげで、彼がその言葉を聞くことはなかった。
ギュミルは手持ちの携行食を水で流しこむようにしてかたづける。髭にしたたった水をぐい、と手でぬぐった。
「騎士さんは親指に指輪してるんだ」
食べるのを止めてニィカが尋ねる。
「そうだな」
「あのね、パパとママが会った騎士さんは、薬指に指輪してたんだって」
ギュミルにはその人物に心当たりがあった。第一兵隊の長、エウスだ。王国への忠誠は騎士の責務ではあるが、彼のそれは抜きん出ていた。その愛国精神を熱烈な恋心になぞらえて「求婚者エウス」という異名さえついている。
それらのことを説明しようかどうか考えているうちに、ニィカが再び口を開いた。
「騎士さんの指輪って本当に外れないの?」
「ただの言い伝えだろう。他の加護とやらと同じようにな」
「試してみていい?」
ギュミルは黙って左手を差し出した。ニィカの細い指が指輪をくるくると回しながら外す。
「わあ、ぶかぶか」
自分の指にはめて遊ぶニィカ。叙任以来身につけていた指輪が離れ、ギュミルは少々居心地が悪くなった。
「もういいだろう。返せ」
「うん」
ニィカは素直に彼の手のひらに指輪を落とした。親指にもとのように金の紋章を飾り、何度か手を握っては開く。
「なんで外れないなんて言ってるの?」
この子供に伝えるには、なんと言えばよいだろうか。ギュミルは小さくうなる。
「俺の考えにすぎないが、これを手放す時には、同時に騎士の誇りと資格をも失うことになると心得よ、という意味だろうな。王国騎士である限り、これは外してはならないものだ」
「騎士さんはさっき外した」
「ほんのわずかな間だ。目を離しても手放してもいない」
首を振り、「食べないならもう行くぞ」と告げる。
「うん」
ニィカは食べかけのパンを紙に包んで立ちあがった。
二人分の宿代としてライント銀貨を二枚とシルト白銅貨を四枚支払う。宿屋の主人は硬貨を確かめ、ギュミルをにやりと見上げた。
「お客さん、ちいとばかり賭け事でもどうです?」
「なに?」
風紀を乱すようなことがあるのならば報告しなければ。ギュミルは眉を寄せる。
「いや、お客さんが損するこたありません。今からわしが四枚のコインをはじいてグルグルッと回しますからね、いったい何枚が表になるか当ててくれりゃいいんです。当たったら、お手持ちの革袋を麦酒でいっぱいにしたげますよ。もし外れたとしても、わしはなあんにも受け取るつもりはありません。どうです?」
「ずいぶんとうまい話に聞こえるが、お前は何のためにそんなことをしている」
用心深い彼の様子に、主人は肩をすくめる。
「なあに、ちょっとしたお遊びでさ。これでうちの宿を気に入ってもらって、次はちいと足を伸ばしてでも使ってくれりゃ御の字ってもんです」
その言葉に嘘はなさそうだ。ギュミルは傍らの子供に「やってみるか」と尋ねた。
「ううん。お酒なんかいらないもん」
ニィカは首をふっておさげを揺らした。
「なら俺がやろう」
「そうこなくっちゃあ」
宿屋の主人が声をはずませた。
「確認しときますが、紋章があるほうが表ですからね」
「わかっている」
主人は慣れた手つきで白銅貨を立て、指先ではじく。四枚すべてが勢いよく回転しているところに手のひらをかぶせる。パチパチと硬貨が倒れて台に当たる音がした。
「さ、表は何枚ですかね」
「四枚」
深く考えもせずに言う。「え?」と不審げな声をあげたのはニィカだった。髭に覆われ、表情のわかりにくい彼の顔をまじまじと見上げている。
「四枚でよろしいんですね? そんじゃ……」
もったいぶって主人が手のひらを上げる。そこには白銀に光る四つの紋章があった。
「いや、大当たりですなお客さん。おめでとうございます」
ぱちぱちと店主が短く拍手をした。
「ほんとに?」
ニィカが背伸びをして台の上をのぞこうとする。ギュミルはその脇を抱えて白銅貨を見せてやった。
「……すごい」
「お嬢ちゃんもやってみるかい? そうだな、お嬢ちゃんにはナツメヤシをあげよう。四つ当てるのは難しかろうから、一枚が表か裏か、それだけでいい」
小首をかしげた後でニィカはギュミルに「ねえ、やってみてもいい?」とたずねた。
「好きにしろ」
宿屋の主人は先ほど使った白銅貨の一枚を再び回転させ、ぱたりと手のひらで覆って倒した。
「お嬢ちゃん、これは表と裏、どっちかな」
「んー、じゃあ、表!」
主人の手のひらの下にあったのは、王国の紋章ではなくそっけない数字だった。
「残念だったねえ、お嬢ちゃん。もしまたリヒテシオンに来ることがあったら、もう一度挑戦しにおいで」
不服そうなニィカに笑いかけ、主人は硬貨をしまい入れた。その後にギュミルにもう一度目をむける。
「それじゃ、お客さん。革袋を貸してもらえますかい」