108. 空
息せき切って食堂にすべりこんだニィカのすがたに、ドルジャッド国王はぴくりと片眉をあげた。
「恩寵の御子よ、そちの世話係に粗相でもあったか」
ニィカはあわてて首をふる。
「ううん、ちがいます、王様。ヘレーを怒らないで」
王はうろんげに目をすがめたが、それ以上はなにも言わなかった。
あわてる気持ちが尾を引いていて、なんどか食事が胸につかえた。加えて王が気を悪くしないようせいいっぱいお行儀よくしていたため、ニィカは背後に立つヘレーが他の使用人に呼ばれてそっと食堂を退出したのにも気づかなかった。
居室にもどったニィカは、違和感にぱちぱちとまばたきした。どこか部屋のなかがさびしくなっている。先にもどってとびらのそばに立っていたヘレーを見やると、彼女は白い顔色でさっと目をそらした。
いつものように小鳥にえさをやろうと、つくえのうえに用意されているはずの小皿をさがして、ニィカはあっと声をあげた。
「ヘレー、小鳥は?」
ヘレーのくちびるが開く。けれどもことばは出てこない。まゆとまゆが深く寄せられていた。
「ねえ……、あたしの小鳥、どうしたの?」
じっと見上げるニィカのひとみから逃げて、ヘレーはちいさく首を横にふった。その痛ましい顔つきにニィカの胸がつめたく音を立ててふるえる。かたく手と手を組んで、ニィカはつづけた。
「あのね、ヘレー。もしも小鳥がにげたんだったらね、あたし平気。小鳥がおうちに帰れるんなら、悲しくなんてないもん。ねえ、だからほんとうのこと教えて」
いまにもなみだをこぼしそうなニィカの琥珀色の瞳を、ヘレーはようやくちらりと視界に入れた。
「ニィカ=アロアーラ様……」
目をつぶって考えるヘレー。ゆっくりと息をするようすをニィカはじっと見守っていた。
ヘレーのまぶたが持ちあがる。
「……小鳥、は……」
ことばがとぎれる。とつぜんヘレーがかがみこんだ。ニィカと目の高さが合う。彼女の手がニィカの肩にふれた。
「ニィカ=アロアーラ様。小鳥は逃げたとお聞きになりたいですか。それとも……、本当のことをお聞きになりたいですか」
「えっ?」
きょとんとニィカの目がまるくなる。
「どういうこと? にげてないの?」
その問いにヘレーは答えない。
「うん、ほんとうのこと……。ほんとうのことが知りたいに決まってるじゃない。ヘレー。ほんとうのことを教えて」
「……承知いたしました」
ヘレーが事実を告げるまでには、またしばらくの時間があった。
「ニィカ=アロアーラ様。今朝、掃除をしようと籠を開けた時にはもう……。とても悲しいことではございますが、あの小鳥は……冷たくなっておりました」
「つめたく……?」ととなえてニィカははっと気がついた。
「死んじゃったの……!?」
ヘレーからうなずきが返る。
「なんで? ほんとに? いまはどこにいるの?」
立てつづけの質問のどれひとつにも答えはあたえられなかった。ヘレーはニィカの肩に手をそえたままくちびるをとざす。
「ねえ、うそでしょ……」
うつむくヘレーの顔に髪やまつげの影が落ちる。
「うそでしょ、ヘレー。だって昨日は元気だったもん。そんなすぐに死んじゃうはずないもん。ヘレー!」
泣いたらヘレーのことばが本当になってしまいそうで、ニィカは目に力をいれてわめいた。
押し黙るヘレーが静かに立ちあがった。
「ニィカ=アロアーラ様……。こちらへお出でくださいませ」
行かない、とだだをこねなかったのは、ヘレーの表情があまりにも真剣だったから。
ニィカは神妙な顔つきで彼女のあとに続いた。