104. 失言、嘘、隠し事
不満顔のニィカをこんこんと諭すケイヴィス。ニィカはかわいた口とのどをなんとかしようと、しきりにつばをのみこんだ。
「ニィカ=アロアーラ様。以前取り決めさせていただきましたな、この部屋のなかでの教師と生徒の形というものを。もちろんニィカ=アロアーラ様がゆくゆくはドルジャッドの幾万の兵の上に立つ存在であるのに対してこのケイヴィスはつまらぬ一介の学者ではございますが、それであるからといって約束が反故になる謂れはございません。よろしいですかな。それではそれをお踏まえになったうえで、先ほどのご質問をもう一度おっしゃっていただけますかな」
ぽかんとニィカの口があく。いつものように早口の断片だけを聞きとるのにいっしょうけんめいになっているうちに、さっきまでのことが頭のどこかにいってしまった。
「えっと……、わすれちゃった」
「なるほど、ならば思い出すきっかけとして不肖私めが──」
空咳がケイヴィスをさえぎった。
「お勉強のお邪魔をして申し訳ございません。ニィカ=アロアーラ様は夕食のお召し替えのお時間でございます。ケイヴィス様にはまた明日いらして頂けますようお願い申し上げます」
きっぱりとした立ちすがたに、ニィカの胸がたのもしいおもいでいっぱいになる。
ケイヴィスは「いや……」と口をあけたが、すぐに首をふる。
「そう申されるならば本日のところはこのケイヴィスはお暇することといたしましょう。はい、侍女のお人、約束を忘れてなどおりませんからな。しかしながらあえて一言だけ恨み言を言わせていただくならば、この書物ばかり睨みつけていた一対の目が見るところによれば、貴き方々がご夕食を召し上がるには少々ばかり早いのではないかと考えますが、いかがですかな」
「ニィカ=アロアーラ様には御召し替えがございます。その後は陛下に御挨拶を。どうぞ御理解いただけますようお願い申し上げます」
「ええ、ええ、勿論ですとも、侍女のお人。それではニィカ=アロアーラ様。ご夕食の後には本日の復習を忘れずになさってくださいませ。明日にはプロニエ語の読み書きまで進みましょうぞ」
ケイヴィスはことばを途切れさせず、振りかえり振りかえりしながら出ていった。
ニィカとヘレーの力の抜けたため息がふたつぴったりと重なって、ニィカは思わずヘレーの顔を見あげて笑った。
目があったヘレーは一瞬きまり悪い表情を浮かべ、いつもの平らかな態度にもどって「お召し替えの支度を整えてまいります」と告げた。
部屋にはニィカひとりになり、とつぜんにしんとする。かわいた羽音をたてる小鳥にぽつりと語りかけた。
「……ここってなんだか、へんてこな人ばっかりみたい」
耳をすませてヘレーの足音がまだもどってこないことをたしかめてから、ニィカは続けた。
「ケイヴィス先生はしゃべりっぱなしだし、ヘレーもずっとつんけんしてるし。……たまにやさしいかもって思うんだけど、でもやっぱり、お仕事だからなのかなあ」
わかんない、とつぶやいてニィカは鳥籠をのせた机にぺったりとほおをつける。小鳥の羽根がつくるかすかな風がまつげや前髪をゆらすように感じられた。