10. 駈歩
ギュミルの腕の中でニィカが落ちつきなく動く。
「ねえ、まだ着かないの?」
「今出発したばかりだろう」
ニィカは不満げに「はやくー」と声をあげた。ギュミルは一つため息をつく。よし、ならばそうしてやろう。
「つかまっていろ。動くなよ」
小さな手がぎゅっとギュミルの腕をつかんだ。
「アルベルト」
足で馬の腹を押す。白馬の首が前に動いた。一瞬浮くような感覚を身に覚える。
「わあっ」
「口は閉じろ。舌を噛む」
速歩で進むアルベルト。ニィカの黒い髪が上下にぴょこぴょこと揺れる。
それにもすぐに慣れたようで、ニィカの手から余分な力が抜ける。アルベルトを疲れさせるわけにはいかないが、少し試してみるか。
ニィカの体をますます強く支える。再びアルベルトに拍車をかけた。白馬が走り出し、伝わる揺れが大きくなる。
「わああぁ……」
放心したような声が聞こえる。怖がるかと思いきや、背中を伸ばして速い景色を見ようとしているようだ。
まっすぐな道をしばらく走らせ、軽く手綱を引く。アルベルトは速度を並足にまで落とした。
「どうだ」
返事はなかった。はあはあと息をついているのが感じとれる。これで少しの間はおとなしくしていそうだ。
一軒目の宿屋を通り過ぎる。二軒目で長めの休憩を取り、三軒目の宿に泊まれば良い具合だろう。
そう考えているうちに、ニィカがもぞもぞと動き出した。
またわがままを言い出すのかとギュミルは軽く眉を寄せる。
「すごい! すっごく、はやかった!」
振り向いたニィカの顔ははしゃいで赤くなっていた。
「そうか」
すっかり機嫌は直ったようだ。ついさっきまでは駄々をこねていたというのに。
「もう一回! もう一回やって!」
「アルベルトが疲れるから後でな」
「はあい」
ニィカは素直にうなずいた。ギュミルがほっとした矢先に、彼女はアルベルトのたてがみに手をつっこんで遊び始める。アルベルトは構うことなく黙々と足を進める。
こいつがおとなしい馬で助かった。ギュミルは小さく安堵した。
次に彼が気付いたときには、アルベルトのたてがみには小さな三つ編みがいくつもできていた。ニィカが周りの景色を見ながらひたすら指先を動かしている。
あとでほどいてやるからな、と内心で愛馬に語りかける。今はこの子供を静かにさせておくのを優先しよう。
二軒目の宿屋に着いた。ギュミルは麦酒を飲み、ニィカには薄めた蜂蜜を買ってやる。ついでに干した果物も渡しておいた。たてがみ編みに飽きたとしても、これが口の中にあるうちは黙っているだろう。
ニィカは座っているのがいやだと言ってあたりをうろうろしている。
「目の届かないところに行くなよ」
「んー、わかった」
どうにも生返事だ。ギュミルは油断なくその子供を見張っていた。
店を出てアルベルトを曳く。
「ほら、来い」
「うん」
ニィカの頬が片方丸くなっている。
「……もう食ってるのか」
ニィカは果物を頬張ったままこくこくとうなずいた。