揺れ動く心
「昨日祐史君病院にいた?」そう言う胡さんにいつもの元気はない。わからない・・・何を考えているのだろうか?ここで正直に答えたら嫌われてしまうのだろうか?
一瞬正直に答えることを躊躇う自分がいた。それを振り払い、様子を伺いながら「うん」と言うと、彼女は力なく「そう」と言って悲しそうな顔をしたのを俺は見逃さなかった。
話し終わり俺の近くから離れていく胡さんの後姿はなんだか寂しそうだった。
早苗の家に向かう途中、色々な不安が俺の頭を交錯した。
胡さんは俺のことをどう思ったのだろう?早苗のことを昔は散々嫌っていたのに、結局男なんてこんなもんで、祐史君もその程度だったんだ。と幻滅しただろうか?
正直な話、今自分が何故早苗のことではなく胡さんのことを考えているのか、自分でも良くわからなかった。もう彼女への想いは断ち切ったと思ってたのに・・・。
自分の気持ちに向き合うのが怖い・・・。いつの間にかたどり着いていた早苗の家のインターフォンの前で立ち尽くす俺に、見知らぬ男が声を掛けてきた
「何をしてるんだ君?」怒っている訳でもなく、ただ声を掛けられただけだったが、俺はいきなりのことに気が動転してしまった。そんな俺にその男は続けた。
「もしかして・・・君が祐史君かい?」俺の名前を知っている事に驚き見上げると、はじめて見たその男の顔はとても優しそうで、顔をくしゃくしゃにしながら微笑んでいたので、少し安心して「はい」と答えると
「そうかそうか。中で早苗が待っているから。早く入りなさい」と俺を中に手招いた。この人は一体誰なのだろう?お父さんにしては歳が離れすぎているし・・・おじいちゃんだろうか?
早苗の家に入るのは二度目だったけど、なんか懐かしい感じがした。
玄関の靴箱の上にお香を焚いてあるのが目に入った。そっか匂いだ。俺はすぐにぴんと来た。
婆ちゃんの家と同じ匂いがするんだ。うちの婆ちゃん家は裕福な訳ではなかったけど、変なものに凝っていた。そして婆ちゃんの頑固な性格のせいで凝っているものは徹底的に集めてしまう癖があったから、きっと同じお香を持っていたのだろう。
早苗の部屋に案内され入ると早苗は笑顔を作って「こんにちは」と言った。もうすでに入院した当初のぎこちなさはなくなっていた。それが俺に改めて月日がたっていることを認識させた。
それに答えるように「こんにちは」と言ったが、俺は彼女の部屋に流れている音楽に気が取られていた。
今俺が「この音楽好きなの?」と言ったら彼女は答えられるだろうか?もしかしたら首を傾げられるかもしれない。今確かに俺の心は揺らいでいた・・・
音楽を流しているラジカセの前で立ち尽くす俺に、早苗は後ろから「どうしたの?」と問いかけた。
彼女の方を向きなおして早苗の顔を見ると、いまどきの女子高生と何一つ変わらない普通の女の子、いやそれより可愛い女の子の顔をしていて、彼女は今俺の抱いている不安に気付いているのだろうか?
そんなことを考えながら「ちょっとね」と言うと、彼女は不満そうな顔を浮かべた。ごまかされたと感じたのだろう。
ラジカセから流れる歌に耳を傾けながら、俺は彼女の機嫌を直すために、彼女の隣に腰を掛けた。でも何を話して良いのかわからず、二人の間に沈黙が長い間流れていた。
タイミングよくさっきのおじいさんが飲み物を持って部屋に入ってきた。
「これでも飲んで、ゆっくりしていきなさい」そう言って不敵な笑みをこちらに向けたおじいさんに会釈すると、早苗が「お父さん」と言って手をシッシとやった。
そのおじさんは「はいはい」と言いながら部屋から出たのを見て「お父さんなの?」と聞くと彼女は何も言わずに頷いた。
その後早苗は小声で「でも・・・」と何かを言おうとしてやめた。でも今はそれを聞いちゃいけないような気がして、俺は聞こえない振りをした。
この日一つの大きな収穫があった。俺が部屋に入ったときから早苗が右手に持っている紙のことを尋ねると、それは今流れている曲の歌詞カードだった。
「わかるの」と言って歌詞カードをプラプラとさせる早苗を見て、書いてある字はわかると言いたいのだと俺はすぐにわかった。
じゃあと思いすぐさまが俺がこの部屋に来て一番最初に聞きたかった事を紙に書いて、早苗の前に差し出すと、何も言わずに頷いたけど満面の笑みで本当に好きなんだとわかった。
俺たちは早苗の両親にばれないように玄関でキスをして別れ、俺はその足である場所へと向かった。
店内を探し回り、十五分もかかってやっとお目当てのものを見つけた。俺は少し浮かれた気分になりながら帰路に着いた。
その頃もう俺の頭の目には早苗の姿しか写らなくなっていた。
家に着くとテーブルに並べられた夕飯よりも、お風呂に入るよりも先に俺はさっき買ったものの袋を開けてラジカセに入れた。
流れてくるものは早苗の部屋で流れていたものと同じで、いつもとは違う雰囲気が俺の部屋を覆った。
それからしばらく私の部屋ではいつでもこの歌が流れていた。今でも押入れの隅に大事に取ってある・・・青春時代のよき思い出として。
たった一つのあなたの強がりが、私の心をいつまでも締め付けている。
更新がだいぶ遅くなってしまい申し訳ありません。