二幕~法度という神の粛正~
大阪での力士との戦い後、新選組の評判は下がる一方だった。
会津藩お預かりの新選組という肩書きを得た芹沢は、更にその横暴な態度を悪化させていた為である。
飲み屋、遊廓の無銭利用。
新選組が治安を守るはずの路上で、因縁を付け人を斬る。
豪商への金銭の押し借り。そしてそれを拒否した豪商への大砲による制裁。
催促に来た着物屋の娘を手込めにし自分の妾のような扱いにする事など、数え上げればきりが無い。
無論、芹沢の悪行は会津藩側にも伝わっていて近藤、山南、土方は会津藩黒谷本陣に赴いていた。
このまま芹沢の横暴が続けば最悪、会津藩御預の身分が取り消されるかもしれない。
三人はそんな事を思いながら藩の役人を待った。
しばらくして藩の役人が現れると、新選組とその筆頭局長である芹沢鴨について話始めた。
会津藩側から出された結論は一つ。
それは、芹沢を極秘に始末する事――。
その言葉を聞いた土方はふっと一瞬、口元を歪ませた。
土方は大阪から戻ってきて直ぐ大阪で起こした力士達との事件の説明をし、これからの新選組の有り方を会津側に伝えていた。
その話の中で、暴走する芹沢の悪行を誇張を加えて話した。
そして、会津側の芹沢暗殺命令が出るのを待った。
近藤、山南も芹沢の暴走には気分を悪くしていて会津側の意見を近藤一派は実行する事となった。
※
その日の夕刻。
土方は沖田と共に芹沢の腹心、新見錦のいる遊廓に来ていた。
土方は店主に、
「騒がしくなるかもしれんが、直ぐ終わる。黙っていてくれ」
と金を渡し、店主は頷いた。
土方は沖田と共に、新見のいる部屋に進んでいく。
問答無用で障子を開け放ち、土方は部屋に入った。
「な、何だね土方君!? 言葉もかけず入ってくるとは無礼ではないか」
女と寝ていた新見は、褌をつけて着流しを着た。
土方は表情を変えず、
「無礼? まさか、不逞浪士に無礼と言われるとはな。総司、捕縛しろ」
鮮やかな速さで沖田は新見の身体を縛り上げた。
新見の女は部屋の隅で震えている。
この不可解な状況に訳が解らない新見は、
「私が不逞浪士とはどうゆう事だ! 今すぐ縄をほどき、屯所で話しを伺おうか!」
「不逞浪士に屯所などは無い。貴様は京の各地で無銭飲食を働き、その支払いを関係のない会津藩に払わせようとした不逞浪士、新見錦」
瞬時にして新見の顔が青ざめ、刀架けに無理矢理手を伸ばそうとした。
が、沖田に伸ばした手の平を踏み潰され悲鳴を上げた。
そして新見は人気の無い神社の境内に連れて行かれた。
一方、他の近藤一派は芹沢のいる前川邸で新見切腹の件を話していた。
意外にも芹沢は淡々とその話しを聞いていた。
「……新見先生は士道不覚悟という新選組にとって最大の罪を犯した。よって今、新見錦の元へ土方、沖田の両名が訪れて切腹をさせている所です」
「そういえば、土方は隊規という法度を作ったそうだな。……士道不覚悟か。百姓上がりがよく考えるものだ」
近藤は百姓上がりという言葉に、大きな耳を動かした。
数日前、土方は新たな隊士達が増えて来た事もあり、新選組の隊規を作った。
その隊規は五章有り、
一・士道に背くあるまじき事。
二・局を脱する事を許さず
三・勝手に金策を許さず
四・勝手に訴訟するを許さず
五・私事の闘争を許さず
右記の法度書を守れぬ者は切腹の沙汰を下す。
苦々しく饅頭を食い、酒を飲む芹沢は土方の作った法度を思い出していた。
刹那――。
近藤の額に酒の入った小瓶が投げつけられ、軽く額が切れて血が流れた。
後ろにいた原田、永倉が芹沢に飛びかかろうとしたが、井上、藤堂が抑えた。
そして瞳を充血させる芹沢は、
「近藤君。俺は何故か急に虫の居どころが悪くなったみたいだ。今日の所はお引き取り願おうか」
近藤は額から流れる血を一切拭わず、頭を畳につけた。
後ろの永倉達も頭を下げ、芹沢の部屋を出た。
「……あいつら、新見をあんな方法で殺すとは……。法度という神には逆らえないという事か……!」
拳を壁に叩きつけ、畳に染み付いた近藤の血を見て、芹沢は言った。
その夜から芹沢は現実から逃げるように毎夜、毎夜遊廓に通いつめた。
※
神社の境内には、上半身裸で座る新見の周りに三人の男がいた。
「奇遇ですね八木さん。まさか夜更けの神社に八木さんが居るとは思いませんでしたよ」
研ぎ澄まされた刃が月明かりに照らされ血の匂いに反応するような白刃を抜きつつ、沖田は言った。
欠伸をする八木は腕を組ながら、
「総司、人の首をはねるってのに、ずいぶんと余裕だな」
「慣れてますから……」
ふふっと笑い、沖田は新見の後ろに立った。
土方が新見に短刀を渡し、新見は短刀を自分の腹に突きつけた。
そして、微かな躊躇いの後に突き刺すように短刀を腹に突き刺して、右方向に刃を進めた。
「ぐ、ぬぬぬっ……!」
目を充血させ、苦悶の表情を浮かべつつ、新見は腹を横一文字に切り裂いた。
「土方……いつまでもお前の思い通りに行くと思うなよ……数年後、必ず新選組は崩壊する……。せいぜい今を楽しみな……ごふっ!」
最後の力を振り絞り、すでに鬼籍に足を入れている新見は土方に未来の予言を言った。
瞳を閉じたままの土方は新見の方を見ず――。
ぱっ、という鮮やかな音と共に新見の首が飛んだ。
土方は無言のまま、境内から姿を消した。
落ちた新見の首の血をぺろりと舐めた八木は、
「新選組も色々あるんだな……。新見は芹沢派の中の頭脳だったのか。つまり……」
「そう、つまりは芹沢派の崩壊を意味する。そして、本当の意味で新選組は誕生する」
刀についた血と油を懐の紙で拭き取り、沖田は階段の方へ歩いて行った。
入れ替わるように新選組の隊士が新見の遺体を片付けに来て、八木も沖田の後を追った。