薪能 【2】
城壁の上には、ライトアップされた大きな城が君臨している。
普段は、資料館に使われているそれは、昔の威厳を取り戻さんとばかり、再現されているようだった。
真新しい白壁が、スポットライトに照らされ、青白く聳え建っていた。
その右手の方には、薪能が演じられる能舞台が作ってあった。
大勢の人で、会場はざわめき立っていた。
この中で人を探すのは、到底無理だと思い、義男は
「もし、逸れた時は、駐車場で落ち合おう」
と、念を押した。
依子を見ていると、何故だか何処かへ消えてしまいそうな、そんな心もとない感じがするのだ。
「分かった。迷子の時は車のところねっ」
依子は、義男の腕にそっと自分の腕を絡ませ、
「これで、よし」
と、無邪気な笑顔で、義男の顔を覗いた。
掛け声と共に、軽快な鼓の音で、幕が開いた。
独特な能楽の地謡が人々の間を駆け巡る。
謡い人の声にも、囃子方の奏でる音にも、命が吹き込まれ、人々を一瞬にして魅了する。
揚幕がすっと上がり仕手が登場すると、そこは、仕手と観客一人一人の世界になるのだった。
言葉は分からなくとも、仕手の感情が、依子の心には届くようだった。
能面が無表情ゆえに、その感情の高鳴りが強く感じられた。
仕手の謡が耳なりのように、頭の中で響く。
依子は、その場に立っているのがやっとだった。
その時だった。舞台の背景が松の木から、黄金色の銀杏の木へと変わった。
黄金色に輝く銀杏の木の下で、仕手が幽玄に舞っている。
依子はいつの間にかよろよろと、その黄金色の光の方へ歩み寄って行った。
仕手がゆっくりと、謡いながら、能面をするりとはずした。
その謡の響きからは、想像できないほど若い青年の顔が現れた。
能面によって籠もっていた声が、直接、耳の奥に響き始める。
依子は、懐かしい聞き覚えのあるその声に、身も心も委ねるような感覚に陥っていった。
薪能【3】 へつづく