約束 【2】
深まりつつある秋の気配を感じながら、朝露で濡れた石畳を足早で歩く。
今朝は吐く息も白く、寒さで指先が悴んだ。
後ろからかおりが元気よく走ってきた。
「おっはよう!」
どこら辺から走ってきたのか、かおりの吐く息が熱く感じた。
「おはよう。今日から展示会開始ねっ」
軽快なかおりの声に合わせるように、依子も元気よく答えた。
そんな依子の声色の変化に、いち早くかおりは気づき、
「何かいいことあった?」
と屈託ない笑みで依子ににじり寄ってきた。
「何もないわよ。変な子ね」
かおりの勘の鋭さに、依子はある種の動物的なものを感じた。
何もないといったら嘘になるが、義男への思いを容易く口に出すことを依子は躊躇った。
「あれから、吉田くんたち大丈夫だった?」
「ずっと中嶋くんが背負ってたわよ」
「吉田くんらしい。でもお邪魔虫だよね、吉田くんも。
朝一番にとっちめないと」
そう言うと、ちょうど前方に歩いていた吉田を見つけ、かおりは勢いよく走り始めた。
「ちょっと待って」
追いかけようとしたが、鍛えられたかおりの健脚にかなうはずもなく、
依子は一人ぷらぷらとかおりの後姿を眺めながら歩いた。
「おはよう」
後ろから誰かが挨拶をする。
ちょうど、義男がバスから降りてきたところだった。
何を話していいのか躊躇いながら、二人は沈黙の中歩き始めた。
義男が何か思い出したように、鞄の中から封筒を取り出した。
「貰い物で悪いんだけど、薪能のチケットを二枚貰ったんだ。
久遠さんとか、行かないかな」
そう言って依子の手に封筒を手渡し、そそくさと逃げるように、義男は早足で吉田とかおりの方へ歩いていった。
それを見ていたかおりが、一人で歩いている依子の側に寄り、にやけながら
「何、話してたの」
と聞いてきた。
「薪能のチケット貰ったの。かおり行く?」
「何々、デートのお誘い?薪能とか、エラク渋くない」
かおりがちょっと顔を顰めた。
「かおりとどうですかって、貰ったのよ」
と依子が申し訳なさそうに言ったのを聞いていなかったのか、
前に歩いていた義男を呼び止めた。
「中嶋くん。この日は、私、都合悪くて。依子を連れて行ってよ」
かおりの突拍子のない言葉に、依子は驚きつつも、そうしたいという気持ちが心の隅で湧いてきた。
「いいよ。じゃあ待ち合わせの時間は、後で」
義男はそう言うと、吉田とすたすたと先に行ってしまった。
思ったよりもあっさりとした義男の態度に、少し期待はずれの気がしたが、横でかおりが
「初デート、おめでとう」
と嬉しそうに顔を染めているのを見て、依子も満更でもない気持ちになった。
「おめかししてね、依子。」
「でも、夜、外でお能見るだけだから、レストランとか行くわけじゃないし、
おめかしするのも変じゃない?」
「じゃあ、下着とか?」
「もう何、言ってるのよっ」
二人は、お互いの顔を見つめあい微笑んだ。
そんな、他愛のない会話でも、かおりとのひと時は姉妹のいない依子にとって愉しい時間だった。
遠出 につづく