真実と記憶 【2】
依子が出て行った時と変わらず、家は凛と建っていた。
引き戸を開け家に入る。
懐かしい我が家の香りを楽しみながら、朝日に照らされた廊下を歩く。
乾いた木の軋む音が、誰も居ない部屋に響いた。
居間にいると思って声を掛けたが、父の姿はなかった。
ピアノの上に飾ってある母の写真が依子に笑いかける。
お母さん
依子の心に迷いがよぎる。
縁側から庭先に出て、父を探した。
「お早う、お父さん」
庭木の手入れをしていた父の後姿に声をかけた。
「どうしたんだ。連絡もなしに来るなんて、びっくりしたじゃないか」
急な依子の訪問に驚きながらも、嬉しさを隠し切れない父の笑顔を見て、依子も少し嬉しくなった。
「もうすぐお母さんの命日だと思って、早めに着ちゃった」
依子の笑顔を見て、父も微笑んだ。
「どれ、お客様にお茶でも差し上げようかな」
父は、手折った花を何本か手に持ち、依子の背中に手をかけ縁側の方へ歩いた。
そして先ほど庭先で咲いていた柊の白い小さな花を花瓶に生け、母の写真の前に置いた。
束状の白い花は鈴のようにゆらゆらと揺れ、ほのかな甘い香りが流れくる。
この木は、クリスマスに飾る西洋柊とは違って、赤い実はつかないらしい。
昔から、邪悪の侵入を防ぐために庭木にされると、以前父から聞いたことを依子は思い出していた。
「仕事の方は順調か?」
慣れた手つきでお茶を入れながら、父が聞いた。
母が亡くなってから、男手ひとつで育ててくれた父は、今年で何歳になるのだろう。
今までそんなことなど考えもしなかったが、白髪交じりの父の頭を見て、依子はこれから先の父の生活のことを思い浮かべていた。
「来週から振袖の展示会なの。忙しくなりそうだわ」
「そうか、もうそういう時期か。
懐かしいな、おまえが成人して三年が過ぎるのか」
そう言って、父は目を細めながら、お茶を飲んだ。
久しぶりに父の入れたお茶を飲みながら、依子は深いお茶の香りを楽しんだ。
「そろそろ母さんのところでも行くかな」
短い沈黙を破って、父が立ち上がった。
真実と記憶【3】 へつづく