プロローグ
第1回京都アニメーション大賞2次落ち作品に、修正を加えたものです。
作中物理学の知識の扱いに関して、間違い、こじつけ等ありましても、ひとえにそれは作者の責任です。
参考文献に上げさせていただいた著者の方には、何ら責任がないことを先に明記させていただきます。
また作中の知識を鵜呑みにするのも、どうかご遠慮下さい。
プロローグ
「キャー!」
悲鳴が上がった。
「誰か! 子供が!」
それは悲痛な叫びだった。
夕闇迫る街中に、突如現れた巨大怪獣。
街を瓦礫の山と化し、人々を阿鼻叫喚の地獄に陥れた。
それは例えば母親の目の前で、年端もいかない子供を踏みつぶす――
そういう地獄だ。
今まさに巨大な脚が、五、六歳と思しき少女に踏みつけられようとしていた。
悲鳴を上げたのはその少女の母親だ。母親は叫ぶことしかできない。彼女もまたこの巨大な脚が作り出した瓦礫に、その足首を挟まれていたからだ。
は虫類を思わせる四肢とその体躯。それでいて二足歩行。
強靭なアゴに並ぶ、凶暴凶悪な牙。
爪は破壊を呼び寄せるかのように、虚空を突いて鋭く伸びている。
尻尾は巨大なムチだ。破壊の為に生えているかのような、骨と筋肉の固まりだ。
実際その禍々しい尻尾は、ふるう度にビル群を真ん中から二つに折ってしまっていた。
まさに怪獣としか呼びようのない異形の生命体。
それが街を、そして人々を壊していく。
手近なビルよりも大きいその異形の生物は、家屋程もある脚を持ち上げる。大人も子供も、この巨体からすれば同じに見えただろう。区別する意味すらないからだ。
目的も衝動もないのかもしれない。本能のままに、破壊できるものを破壊している。それだけのことなのかもしれない。
だから躊躇も何もない。
その怪獣が少女に脚を踏み下ろした、まさにその時――
「――ッ!」
一人の巨人が現れ、怪獣を蹴り飛ばした。
少女の頭上で、怪獣の脚が空を切る。
巨大な風がおこり、少女の全身をその突風が襲った。
怪獣が大地を転がり、地響きが人々の体を直接打ちつけたかのように響き渡る。
突風を作り出した巨人は、怪獣にやや遅れて大地に降り立つ。
巨人は能面のようで、それでいて菩薩像のような微笑みを浮かべた仮面をかぶっていた。全身を包んでいるのは、その身にぴたりと張りつく素材不明のスーツだ。
怪獣はすぐさま体勢を立て直した。本能だけを感じさせる赤く輝く目を、突如現れた巨人に向ける。
巨人は身構える。その左足の後ろに、少女を匿うように身構える。右足を後ろに引き、両手を手刀の形に構えて怪獣と相対する。
怪獣が大地を蹴った。その巨体で軽やかに前に出ると、巨人の体に体当たりする。やはり地響きが湧き上がり、大地が揺れた。
巨体が二つぶつかった衝撃は、空気をも揺さぶる。まるで骨と内臓で直接聞いたかのような衝撃音が、周囲を逃げ惑う人々に届けられた。
巨人はその場を動かない。左足に匿ったその少女の為に、その場にとどまろうとする。
だがそれは無理があったようだ。
一歩も動かすまいと踏ん張ったその左足は、体当たりをきめた怪獣の体を片足で支えてしまう。
巨人の脚はあり得ない方向に曲がった。
怪獣の全体重を乗せられて、左膝から下が関節とは逆の向きに曲がる。
――ゴッ!
そう聞こえた鈍い音は、巨人の膝が砕けた音かもしれない。
巨人は右足を踏ん張り、更に左手をビルの屋上に突いて、己の体重と怪獣のそれに耐えようとする。
しかしビルは脆かった。巨人の左手は屋上から二、三階部分を打ち抜いて止まる。
バランスがとれない。怪獣はそのまま体重を預けてくる。
のしかかった際に背中に回された怪獣の腕は、容赦なくスーツに爪を食い込ませる。
左膝から伝わってくるのは、脚が千切れたかと思う程の衝撃だ。
ビルがまた崩れた。左手は更に屋内に埋もれていく。
怪獣の爪は増々背中に食い込んでくる。
そして怪獣の身は更にその重さを増し、無慈悲にも左足にのしかかる。
「――ッ!」
左足に走るのはやはり激痛だ。
それでも巨人は左足を動かさない。
今やふくらはぎに覆われる形となった少女が、まだその下にいるからだ。巨人は痛みに耐えて少女に首だけ振り返る。
陰に隠れた少女は、その巨人を見上げていた。
一歩も退かず。
まるで動ぜず。
微塵も怯えず――
ただひたすらに、尊敬の眼差しで巨人を少女は見上げていた。ショーでも見るかのように。スクリーンにでも魅入るかのように。勧善懲悪の世界に、心奪われているかのように。
巨人はその少女と目が合う。
少女は花咲くように、一際大きく微笑んだ。
その瞬間――
「――ッ!」
巨人は怪獣と逆境を同時にはね除けた。
大地を揺らし、ビルを押し倒してその巨体が転がっていく。
巨人は立ち上がり、今一度少女に振り向いた。そして大きく頷く。
少女が笑顔のまま頷き返した。
怪獣が夕日を背に立ち上がる。
巨人はもう一度身構える。まるで左膝が砕けたことなど、なかったかのように身構える。自分の背中にいることが、どれほど安全かを分からせるかのように身構える。
そう――
己を信じて疑わない――そんな瞳を向ける少女の為に。