大大内
秀吉の外交関係は、かれが渡来人である――秦氏であるということを機軸にすると、ずいぶん、見え方がちがってくる。織田政権の拡大に、最後にたちはだかったのが中国王毛利だが、これはなかなかおもしろい対決だ。ごぞんじのとおり、本能寺の変が起こったとき、羽柴秀吉は対毛利戦線にいた。毛利家は、中国地方に君臨していた大内氏を征伐することで、いわば、その遺領をついだように、中国王となった。したがって、毛利氏を把握するには、大内氏をしるひつようがある。
どうも、作者の偏見かもしれないが、戦国時代というと、越後上杉氏やら甲斐武田氏やら小田原北条氏やら駿河今川氏、くだっては織田氏豊臣氏徳川氏と、関東甲信越から東海道、畿内までがきらぎらしく物語られていて、その東西は、これらの政権が拡張する途次で触れられる、という語り口が一般的なようだ。東北地方は、なんといっても雪というハンディがあるうえに、姻戚関係が錯綜し、東北内の覇権をきそう気分がつよかった。独眼竜政宗が出るまで、中央に覇望をもつものはなく――政宗一個人でも、中央の政権はずいぶんふりまわされたものだが――したがって、全国的な情勢からきりはなされていた。
西国には、大内氏がいた。
最盛期には山陰山陽から、北九州までまたがるこの巨大勢力によって、周辺はつねに威圧されていた。
大内氏は、戦国時代の端緒、室町の頃から、すでに地域をリードしていた。室町時代の大内氏は、長門、周防、石見、豊前はおろか、和泉や紀伊といった畿内にまで勢力を扶植していて、独自に李氏朝鮮とも交易を行っていた。




