秦氏
秀吉の父親については、だれなのかはっきりしない。一番有力な説では竹阿弥という人物らしい。
ただ、母親については、おもしろい資料がある。明治時代の国学者が系図を研究した諸系譜という本を出している。そこに、「太閤母系図」という秀吉の母方の系譜が載っている――あたりまえだが、宮中に出仕し、天皇のお手がつくような家柄ではない。秀吉の母方は、代々が刀鍛冶で、その祖は応神天皇の時代に渡来した佐波多村主という一族なのだという。
佐波多?
秦を佐ける?
――いや、なんでもかんでも秦氏にむすびつけるのはよくない。佐も波も多も、いろは仮名というやつで、単に「さ」「は」「た」なのだ。
多くの田が転訛した可能性もある。
この佐波多という氏族は、長幡部の祖。
幡部?
幡の部?
長幡、というのは、絹織物の一種だ。埼玉や茨城に長幡部神社がある。
佐波多は、絹織物を生産する部民だったのだ。
製鉄業者や農業土木屋の面ばかり強調してきたが、秦氏も多芸だ。蚕を飼い、絹を織る技術にも長じている。
……佐波多村主は、もう、秦氏に合流した渡来人と断じていいだろう。村主、というのは、技術職にあたえられる姓だ。渡来人の多くが村主姓だという。
長幡部の佐波多氏が、いつしか、鍛冶にも手を出し、刀工となった。関の刃物は現在でも有名だが、秀吉母の祖は、美濃で刀工を営んでいた一族なのだという。秦のグループに参加して鉄の加工を学んだのだろう。それが、尾張に移った。
太閤秀吉もまた、秦氏だった。
鉄の環に参加していた・・




