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第2話 指を突っ込みたいそのえくぼ × 鑑定眼

 異世界に旅立つ時がきたようだった。


 亮の全身が淡く輝き、ゆっくりと透明になっていった。


 ちょっと中多紗江っぽい感じの天使が、

「それではよい人生を」


 にっこりと微笑んだ。


 頬にえくぼができていた。


 じつにチャーミングだった。


 亮は

(うっ!)

 思わず見とれて、

(あのえくぼに人差し指を突っ込んでみたい……)

 と思った。


 天使に訊きたいことや確認しておきたいことは山ほどあって、指折り数えればたぶん百個はくだらないと思うのだが、もうそんな余裕はなさそうだった。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!」

 なんて叫んでみても待ってくれるとは思えない。


 だから亮は、

「どうもお世話になりました」


 大人しく頭を下げた。


 一秒経過。

 二秒経過。


 ――亮はまだ転生していなかった。


 いつまでも頭を下げっぱなしというわけにもいかず、亮は頭を上げた。


 天使が手を振っていた。


 反射的に、振り返す。


 ――まだ転生しない。


 いい年した大人が二人そろって、面と向かいブンブン、ブンブンと手を振り続けるというのはたいそう滑稽なもので、

(……き、気まずいぞ)


 亮の顔が引きつる。


 彼は心の中で叫んだ。


(こら、おれの体!)


(とっとと透明になりきれ! とっとと転生しろ!)


 ――まだ転生しなかった。


(ど、どうしよう……)


(いっそ「恋するフォーチュンクッキー」のダンスでも踊ってみようか)


(そうだよ、踊れ。踊っちまえ)


(おれは知っているぞ。こういうところで踊れるやつがモテるんだ。「わっ、亮さんって愉快なのね! 好き! 抱いて!」ってなもんさ。――いや、そこまでちょろい女性はいないだろうし、いたとしてもたぶん美人局だから怖くて手を出せないが)


(それはともかくとして、せっかくの二度目の人生だ。アグレッシブにいくんだ!)


 亮は意を決した。


 彼はあのクッキーをこねるようなダンスを踊るべく、腹の前に手を持ってきたが、

(あ!)


 その瞬間だった。


 亮の姿がフッと消えた。


 転生したのである。


 天使は困惑する。

(最後のポーズ、あれは何かしら。……私、かめはめ波を撃たれたの?)




◇◆◇◆◇




 気がつくと亮は、草原に立っていた。


 膝ぐらいの高さまで伸びた草が、一面に広がっている。


 ずっと遠くには森が見え――ワーオ!

 その上をドラゴンが飛んでいた。


 すぐ近くに美しい湖があった。


 湖面を覗き込むと、可もなく不可もなくといった感じの面白みのない顔が映った。


(――おれの顔だ!)


 スーツとネクタイという格好も含めて、すべてが「練馬」の「へ」に轢かれた時の亮そのものだった。


(……ククククッ)


 何だか無性におかしくなってきた。


(ワハハハハハ!)

(おれ、本当に異世界にきちゃったよ!)


(ここ、剣と魔法の世界だってよ!)


(テケレッツのパー! なんつって!)


 ――さーて、これからどうしようか。


 亮は目を細めた。


 草原の風は心地よく、景色は美しい。


 しかしだからといって、いつまでもここにとどまっているわけにはいくまい。


 メシを食わねば死んでしまう。

 それに、こんな開けた場所で獣にでも襲われたりしようものなら――

(って、獣!?)


 いや、獣ならまだいい。


 ここは異世界なのだ。

 つまりモンスターの類がいてもおかしくない。


(っていうかたぶんいるだろ、モンスター)


 背すじに冷気が走った。

 ジトリ。手には嫌な汗がにじんだ。


 亮は死ぬのが怖かった。

 自分が消えてなくなることが怖かった。


 幼い頃からずっとそうだった。


「おれはどうやって死ぬのだろうか」

 とたびたび考え、

(どうせ死ぬなら学校を占拠したテロリストと戦って傷つき、あの子に膝枕してもらいながら息絶えたいものだが)


(「じつは私、きみのことが好きだったの……」なんて告白されたりしたら、フフッ、どうしよう)

 と甘酸っぱい妄想を広げたことも数知れないが――、

(モンスターに食われて死ぬなんて冗談じゃないぞ)


 亮は慌てて歩き出した。


 しかし――歩き始めてからおよそ三分、彼は叫んだ。

「クソ!」


 次いで、

「クソ! クソ!」


 大便の異称を連呼する亮。


 異世界にきて早々あまりお行儀のいいふるまいではないが、これは仕方ないだろう。


 何しろ彼はいま、ゴブリンの群れに追われているのだから。


 じつは、ゴブリンどもが亮を待ち伏せしていたのである。


 連中の緑色の肌が草原と同化し、気づくのが遅れた。

 気づいた時にはもう十メートルぐらいしか距離がなかった。


 亮は慌てて踵を返した。


 そして駆け出した。


 直後、身を潜めていたゴブリンが一斉に立ち上がり、亮を追った。


 草原の追いかけっこが始まった。


 ドタドタと走る亮。


 彼は運動神経がいい方ではない。

 はっきりいって体を動かすのは苦手だ。


 すぐに息が切れた。

 足はいまにも絡まりそうだ。


 走りつつ背後をうかがうと、

(ひぃ!)


 十匹ほどのゴブリンが追いかけてきていた。


 亮はせり上がってくる恐怖心を必死に抑え、全力で足を動かしながら、

(落ち着け! 落ち着くんだおれ!)


 自分に言い聞かせた。


(大丈夫だ、きっと大丈夫だ!)


(だっておれは佐藤亮! これまでも何度もピンチを乗り越えてきた男じゃないか!)


「え、そうだっけ?」

「言うほどピンチとか乗り越えてきたっけ? どちらかというと楽な方へ楽な方へと流されてきた人生だった気もするけれど……」

 という脳内のもう一人の自分からのツッコミは無視して、

(きっと切り抜けてみせる!)


 亮は走りながら頭をフル回転させた。


(何か妙案は……)


 と間もなく、先の天使の顔が頭に浮かんだ。


(そうだ、鑑定眼!)

(天使にもらった鑑定眼があるじゃないか!)


(ナイス、おれ。よく気づいた!)


 鑑定眼の機能がどういうものかわからないが、神からの贈り物だ。

 優れものに違いない。


(よっしゃー!)


 亮は叫んだ。

「鑑定眼、アクティベート!」


 すかさず振り返る。


 亮の視界に文字が浮かび上がってきた。

(おお!)


 文字曰く、

【名称:ゴブリン】


【ステータス:餌を前にして興奮状態(※餌:あなたのことです)】


【備考:大変危険です。すぐに逃げてください】


(そっか、大変危険かー。そりゃ大変だー。すぐ逃げなきゃなー。――って知っとるわい!)

(んなこと知っとるわい!)


(百も承知、二百も合点だわい!)


(っていうかそれだけ? え、そんなことしか表示されないの!?)


「クソ!」

 亮は叫んだ。


 神ってやつは、なんと頼りにならないのだろうか。


(だから宗教は嫌いなんだ!)

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