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【書籍化】私の部屋のクローゼットからボロボロの勇者が夜な夜な出てくる【連載版】  作者: ぜんだ 夕里


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3. もうやだ、魔王が強すぎる……


 そして、ついにその時が来た。

 最下層。魔王の間への扉が開かれたのだ。


 ガタゴトッ! バタンッ!


「もう無理ぃぃぃぃ……」


 いつものようにクローゼットから転がり出てきたライアス様はいつも以上に重症だった。

 心が完全にポッキリと折れている音が聞こえた。


「もうやだ、魔王が強すぎる……。あんなの勝てない……」


「ライアス様! あと少しじゃないですか! それを倒せば終わりですよ!?」


「終わらなくていい! 僕はここで一生ハンナの部屋の床のシミになって暮らすんだ……」


 彼は素早い動きでベッドの下へ潜り込むと、ダンゴムシのように丸まってしまった。


 これは重症だ。

 今までの「お菓子」や「膝枕」でどうにかなるレベルではない。完全にSAN値が底をついている。


「ライアス様、出てきてください!」

「やだ! 絶対に出ない!」


 私たちがそんな不毛な攻防を繰り広げていた、その時だった。



 部屋のドアがノックされ、返事も待たずに父が入ってきた。


「ハンナ、起きているか」


 辺境伯である父の顔はかつてないほど憔悴しきっていた。

 私は慌ててベッドの前に立ちふさがり、下で震えている勇者を隠す。


「お父様? こんな夜更けにどうなさいました?」


「……大事な話があるのだ」


 父は重い足取りでソファに沈み込むと、深い深いため息をついた。


「実は……我が領の財政が限界を迎えた」


 ドキリ、とした。

 ダンジョンの出現による物流の混乱、避難する領民への補償、そして勇者様を迎えるための準備金。

 それらがボディブローのように効いていたのは知っていた。


「勇者殿への成功報酬も用意せねばならん。国からの支援は手続きに時間がかかる。もう首が回らんのだ」

「そんな……」

「そこでだ、ハンナ」


 父は苦渋の表情で、私を見上げた。


「隣の領地のキイゲモッハ伯爵を知っているな?」

「……あの、好色家と噂の?」


 キイゲモッハ伯爵。

 五度の離婚歴を持ち、若い娘を並べては品定めをするような好色で有名な古狸だ。

 年齢は父よりも上である。


「うむ。彼が資金援助を申し出てくれた。……その交換条件として、お前を後妻に迎えたいと」


 目の前が真っ暗になった。

 政略結婚。貴族の娘として生まれたからには、いつか覚悟していたことだ。


 でも相手があのキイゲモッハ伯爵?


「お父様……それは、あまりにも……」

「わかっている! だが、このままでは領民が飢え、勇者殿への報酬も払えず、家の名誉は地に落ちる!」


 父が顔を覆う。


 私は唇を噛み締める。

 拒否すれば父も領地も終わる。


 私が我慢すれば。

 私が犠牲になれば、全て丸く収まるのなら――?


「……わかりました。私がお受けしま――」




 ズザザザザッ!!!


 私の覚悟の言葉を遮ったのはベッドの下から響いた轟音だった。


「なんだ!?」


 父が飛び上がる。

 ベッドの下から何かが猛スピードで這い出してきたのだ。


 ――そして、立ち上がった彼の纏う空気は魔王よりも禍々しい。


「勇者殿!? なぜ娘の寝室に!?」


 父が腰を抜かしそうになりながら叫ぶ。


 無理もない。

 国一番の英雄が、夜這いどころか「ベッドの下から」出現したのだから。不審者というレベルを超えている。


 だがライアス様は父の狼狽など意に介さず、ゆらりと立ち上がった。

 その碧眼は先ほどまでの死んだ魚のような眼ではない。

 獲物を狙う猛獣のようにギラギラと輝いている。


「辺境伯」

「は、はいっ!?」

「今、なんと言った? 報酬が払えない?」

「あ、いや……。必ず用意はするつもりで! そのために娘を……!」


「なら、その必要はない」


 ライアス様はバサリとマントを翻すと、父を見下ろして宣言した。


「金はいらない。名誉も、地位もいらない」


 そして、その真っ直ぐな指先を、ビシッと私に向けたのだ。



「代わりに、彼女をくれ」



「……は?」

「……へ?」


 私と父の声が重なる。


「報酬の変更を要求する。金貨の山ではなく、ハンナ嬢との婚姻を望む。それならばキイゲモッハ何とかという男に頭を下げる必要はないだろう?」


「し、しかし……! 勇者殿ほどの御方が我が家の娘などでよろしいのですか!? もっと高貴な姫君や、莫大な富を……」


「いらない」


 彼は即答した。一秒の迷いもなかった。


「僕が欲しいのは、世界で唯一、僕を『勇者』ではなく『ライアス』として扱ってくれる彼女だけだ。彼女の作るシチューと、適当すぎる罵倒がなければ僕はもう生きていけない」


 ……罵倒は余計ではないだろうか。


 父は口をパクパクとさせて私を見た。


「ハンナ……。いつの間に勇者殿とそんな仲に……」

「い、いや、これはその……」


 混乱する私と父の前でライアス様が気恥ずかしそうに頬を掻く。


「ハンナ。勝手に決めてごめん。でも好色で知られる男のところに君が行くなんて話、ベッドの下で聞いてて我慢できなくて……。その、嫌だったかな?」


 上目遣いに私を見てくる彼。



 ――本当に、この人は。

 なんて不器用で、素直なのだ。



 私は精一杯の笑顔を作った。


「嫌なわけ、ないじゃないですか」


「本当!?」


「ええ。ただし――条件があります」


 私は彼に一歩近づき、その碧眼を真っ直ぐに見つめ返す。


「今から行って、魔王を倒してきてください」

「えっ、今から!? 心の傷がまだ……」


「つべこべ言わない。倒して、生きて帰ってくるのです」


 私は人差し指を立てて、彼に突きつける。


「そしてもう二度と、あのクローゼットからは出てこないでください」

「え?」

「セーブポイントからの復活なんて、もう禁止です。死に戻りもしないでください」


 私は深呼吸をして、一番伝えたかった言葉を告げる。



「玄関のベルを鳴らして、正面の扉から私に会いに来てください。……私の婚約者として」



 それは、私たちの奇妙な関係の終わりを告げる言葉だ。

 『セーブポイントの管理者』と『プレイヤー』という、閉じた箱庭での関係を終わらせる。


 そして、陽の当たる場所で対等な恋人同士になるための約束。


 ライアス様はきょとんとしていたが、やがてその意味を理解したのか顔をくしゃりと歪ませて笑った。

 今まで見た中で一番晴れやかで男らしい笑顔だった。


「……わかった。了解だ、マイ・レディ」


 彼は私の手を取り、甲に恭しく口づけを落とす。


「行ってくる。すぐに終わらせるよ」

「はい。お気をつけて」


 彼は聖剣を握りしめてダンジョンへ向かう。

 その背中にはもう迷いも恐怖も見えない。


 SAN値は全回復どころか、限界突破しているようだ。


 彼が姿を消した後、私はクローゼットの扉を閉めた。

 そして二度と開かないように、そっと鍵をかけたのだ。



 ◇ ◇ ◇



 それから数時間後のことだ。

 魔王討伐完了の知らせが屋敷に届く。


 ――同時に、屋敷の正面玄関の呼び鈴が高らかに鳴り響いた。


 私はスカートの裾を掴み、部屋を飛び出した。

 廊下を走り、階段を駆け下りる。

 「お嬢様、走っては危のうございます!」という侍女の声も耳に入らない。


 重厚な玄関の扉の前で、私は一度立ち止まり、息を整える。

 心臓が早鐘を打っている。


 ゆっくりと扉を開けた。


 そこに立っていたのは黄金に輝く髪をなびかせた青年。

 とびきりの笑顔を浮かべた私の英雄。


「ハンナ」


 彼は片手を挙げて、まるで散歩から帰ってきたかのように言った。


「約束の報酬、一生分もらいに来たよ」


 私は堪えきれずに吹き出した。

 そして大きく腕を広げて、彼の胸へと飛び込んだのだ。


「ええ、どうぞ! 一度受け取ったら返品不可ですからね!」


「望むところだ!」


 私の身体を力強く抱きしめ返す彼の体温は確かに温かい。


 こうして、私の部屋のクローゼットから始まった奇妙な英雄譚は幕を閉じた。

 これからは、この温もりと共に新しい物語が始まっていくのだ。


 ……彼のことだ。

 これからも「仕事が辛い」だの「膝枕してくれないと動けない」だのと駄々をこねるに違いない。

 けれど、それも悪くない。


 ――世界を救う英雄を、私が独占して甘やかしてやる。


 私は彼の胸の中で、幸せなため息をついた。

 ああ、本当に――チョロいのは、私の方だったのかもしれない。



 ◇ 女神様の視点 ◇



 私は思わず、あちゃーと額を押さえた。


 最強の勇者ライアスが飛ばされたのは、もう何百年も使われていない古い祭壇の跡地。

 座標ズレかと思いきや、まさか今は可愛い女の子の部屋の、しかもクローゼットになっているなんて。


 可哀想なライアス。

 女の子とひと悶着起こして、さぞかし気まずい思いをしていることでしょう。


『次は、この町にある別の祭壇から復活するのかしら?』


 町の教会にある祭壇なら、誰にも迷惑をかけずに復活できるはずだ。

 けれど。


 ――ピコンッ。


 再び死に戻った彼が選んだのはまたしても『あのクローゼット』だったのだ。


「……あら?」


 私は目を丸くした。

 三回目も、四回目も。彼は頑なに教会の祭壇を選ばない。



 そう、勇者は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はずなのだ。



 彼はそれを知っている。

 知っていて、なお。

 あの狭苦しいクローゼットを選び続けている。


「……ふふっ、なるほどね」


 私は頬杖をついてモニターの中の彼を見つめた。


 輪廻を司る女神のはずが、恋のキューピッドになった気分!


 そこからはもう、天界の特等席でラブコメ観賞会だ。

 駄々をこねて膝枕ねだっちゃったりして!

 見てるこっちが恥ずかしくて若返っちゃいそう!


「ごちそうさま!」


 私は満足しながら、今まで優等生だったライアスを見つめていた。


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