1. 私の部屋のクローゼットからボロボロの勇者が出てきた
私――辺境伯令嬢ハンナの日常は崩壊した。
領地のすぐ隣に『魔王級ダンジョン』なるふざけた代物が観測された日のことだった。
父である辺境伯は顔面蒼白で「我が領地もこれまでか……」と嘆き、使用人たちは荷物をまとめ始め、私は神棚に祈るしかなかった。
だが、神は見捨てていなかった。
国一番の美形にして歴代最強と名高い勇者――ライアス様が討伐に名乗りを上げてくれたのだ。
王都から到着したライアス様は噂に違わぬ美丈夫だ。
黄金の髪に、宝石のような碧眼。
鍛え上げられた長身に聖剣を携え「民の安寧は僕が守る」と爽やかに微笑んだその姿は、お伽噺から抜け出てきたかのようだった。
父は涙を流して感謝し、私も「これでようやく枕を高くして眠れる」と胸を撫で下ろした。
そう、安心したのだ。
彼に任せておけば全てうまくいくと。
だから私はその夜、久しぶりに訪れた安眠の予感に包まれながらベッドに入ったのである。
――そして深夜。
ガタゴトッ、という不穏な音が室内を揺らした。
「……え?」
音の出所は、部屋の隅にあるクローゼットだ。
泥棒? それとも魔物の斥候?
私が恐怖に身をすくませて布団を被り直そうとした、その瞬間。
バタンッ!!
勢いよく扉が開き、中から『なにか』が転がり出てきた。
「ぐふっ……」
ドサリと絨毯に突っ伏したのは全身血まみれの男。
よく見ればその豪奢な金髪と整った顔立ちは見覚えがありすぎる。
「きゃぁぁぁっ!?」
私は思わず悲鳴を上げる。
――そこにはあんなにキラキラしていた勇者ライアス様が、見るも無惨な姿で転がっていたのだ!
慌てて駆け寄ろうとした私を制するように、彼は血塗れの手を上げた。
「……もう無理」
「は?」
「辞める。やってられない」
彼はうつろな目でそう呟くと、這いつくばったままズルズルと移動を開始した。
向かう先は、私のベッドの下。
「ちょっと待ってください、勇者様!? なんで私の部屋に!? というか血が!」
「回復魔法……」
彼がボソリと詠唱すると、身体を包んでいた傷と血が一瞬で消え失せた。
さすがは勇者、回復魔法も超一級らしい。
けれど綺麗になった彼は立ち上がることもなく、そのまま芋虫のようにベッドの下へ潜り込んでしまった。
「ここが一番落ち着く……」
「落ち着かないでください! そこは私の寝床の下です!」
私は混乱の極みにあった。
なんで勇者がクローゼットから?
なんで怪我を?
というか不法侵入では?
ベッドの下の闇に引きこもった勇者様をなんとかなだめすかし、話を聞き出すことに成功した私は知った。
まず、勇者の家系には『セーブポイント』という特殊能力があるらしい。
命を落としても『女神の祭壇』で蘇る。それが彼が勇者と呼ばれる所以だそうだ。
ここまではいい。すごい能力だ。
問題は、その『女神の祭壇』の場所である。
「一番近い古代の祭壇跡地が君の部屋のあのクローゼットだったんだ」
「なんでそうなったんですか!?」
どうやら私の部屋は大昔の聖なる場所の上に建っているらしい。
つまり彼はダンジョンで死ぬたびに私のクローゼットの中で復活する運命にあるというわけだ。
……百歩譲ってそれは許そう。領地の平和のためだ。
だが、最大の問題はそこではない。
「もう行きたくない。あそこは過去類を見ないクソダンジョンだ」
ベッドの下から拗ねた子供のような声が聞こえてくる。
「敵の配置がいやらしいし即死トラップばっかりだし……。もう疲れた。僕はここで一生暮らす」
「勇者様が辞めたら魔王が来て領地が壊滅します!」
「知らないよ……」
なんてことだ。
昼間の凛々しい英雄像はどこへやら、今の彼はただの『メンタルが豆腐以下のイケメン』に成り下がっている!
このままではまずい。
父も領民も彼だけが頼りなのだ。
彼を動かすにはどうすればいい?
名誉?
いや、今の彼には響かないだろう。
責任感……は放棄している。
ならば──即物的な利益だ。
私は部屋の隠し棚からとっておきの缶を取り出した。
「勇者様、出てきてください。いいものがありますよ」
「……いいものって何?」
「王都でも手に入らない最高級の焼き菓子です。バターと蜂蜜をたっぷり使った背徳の味ですよ」
カチャリ、と缶の蓋を開ける。
甘く香ばしい匂いが部屋に漂うと、ベッドの下から金髪の頭がそろりと覗いた。
「……匂いは悪くない」
「でしょう? 魔王を倒してくださるならこれを全部差し上げます」
彼は警戒心を解かない野良猫のようにサッと手を伸ばしてクッキーを一枚奪い取ると口に放り込んだ。
サクッ。
「…………!」
碧眼が見開かれる。
「……おいしい」
「ふふん、そうでしょうとも」
「これ、もっとある?」
「ええ、ありますとも。ですがこれはダンジョン攻略のエネルギー補給用です。続きが食べたければ……わかりますね?」
彼は苦渋の表情で葛藤していたが、やがて観念したように這い出てきた。
チョロい。
国一番の英雄がこれでいいのかと不安になるが、今はこれを利用するしかない。
「わかった、行ってくる。でも死んだらそのクッキーをまたもらうから」
「はいはい、お気をつけて」
こうして、勇者ライアスは再び夜の闇へと消えていった。
お菓子一缶で世界が救えるなら安いものである。
──と、その時の私は思っていたのだ。
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