第二話『はじめの1歩』
俺とエレナは手分けして廃墟を探索することにした。まだ使えそうな道具が残っているかもしれない。
その結果、地下貯蔵庫が残されていて、古ぼけた鍬を2本と、正体不明の植物の種を1袋見つけた。
「うーん、だいぶくたびれてるけど、何とか使えそうだな」
俺は荷物の中から剣の手入れ道具を取り出し、鍬を研ぎ直してみた。
よし、外側はサビだらけだけど、中はまだ生きている。暗い地下に保管されていたのが良かったみたいだ。
鍬の刃を研ぎ直し、柄は腐っていたので手近な木から切り出して新しいものをこしらえた。
「すごい。あんなにボロボロだったのに、まるで新品のようです」
「刃物の手入れくらいはね。一応、冒険者候補だったから」
「たとえ冒険者にならずとも経験は活きる。すばらしいことです」
にこにこと笑うエレナを見ていると不思議な気持ちになる。
ギルドにいた頃は特別に褒められることはなかった。成績は中の上で、生まれも平凡。どんなに努力してもできて当たり前。
「褒められるって、うれしいことなんだな」
「はい?」
「なんでもない。明るいうちに畑を作ろう」
俺たちは鍛え直した鍬を担ぎ、生き返った畑の予定地に向かう。
とはいえ、俺は農夫じゃなくて冒険者だ。農業のやり方なんてまるでわからない。
≪【農業】起動:必要な知識を所有者に提供・・・完了≫
頭の中に、次々と知らない情報が流れ込んでくる。便利すぎるだろこのスキル。
とりあえず、スキルで得た知識のおかげで何をするべきかはわかった。
「じゃ、はじめるか」
「はい」
俺たちは二手に分かれて反対側から地面を耕していく。
俺のスキルでよみがえった大地はとても柔らかく、鍬の刃がサクサクと入っていく。こうして土を掘り起こし、小さな山――畝を作っていき、2人で日が傾き始めるころには、かなりの面積を耕すことができた。
「とりあえずこんなもんか。さて、あとは種まきだけど、この種は大丈夫なのか」
地下から持ち出した袋の中身は、種だということはわかるがいつのものかすらわからない。そもそも生きているのかすら怪しい。
≪【農業】起動:種子を鑑定・・・結果、小麦と断定≫
もう驚かないぞ。
小麦って、パンの材料なんかになってるあれか。粉になってるとこしか見たことなかったな。種はこんな見た目なのか。
「これ、植えたら育つのかな」
「もちろんですよ。神農さまの加護を受けたこの大地で育たない生命はありません」
「加護?」
「はい。精霊である私がこうして人の姿でいられるのも、神農さまの加護によって大地に魔力が満ちたからです。魔力はすべての生命の源、これがなければ植物も育たず、水も流れません」
「へえ、魔力って魔術師なんかが魔法を使うための燃料みたいなものだと思ってたけど」
どちらかというと前衛向けの訓練を受けていた俺は、そのあたりの事情にあまり詳しくない。
「いいえ、魔力はこの世界の根幹を担う重要な力です。魔法を行使するために消費するのは、ごくごく限られた用途に過ぎません」
「なるほどね。とりあえず育つんならよかったよ。暗くなる前に種まきまで終わらせよう」
「はい」
畝のてっぺんに指を第2関節くらいまで差し込み、できた穴にパラパラと種を落とし、上から土をかぶせる。これを延々と繰り返す。
非常に地味な作業だし、何ならずっと中腰だから腰に来る。
2人がかりで何とか日が暮れる頃に種まきを終え、出来上がった畑を前にして俺は地面に腰を下ろした。
「疲れたー。結構しんどいな」
「お疲れさまでした」
「エレナは平気そうだな。俺も結構体力には自信あるほうだと思ってたけど」
疲労困憊の俺と違って、エレナはあまり疲れたようには見えない。というか、汗ひとつかいていない。かわいい見た目のわりに体力が化け物じみている。
「私は精霊なので、魔力がある限り肉体的な影響は受けませんから」
「へえ、便利なもんだ。俺はすっかり腹が減ったよ。晩飯にしよう」
ちょっとうらやましい気もするけど、魔力が尽きたらその姿を維持することもできない。実際、俺がここに来て大地に魔力を与えるまでエレナはずっと封印されていた。
どんな気持ちなんだろう。こんな荒れ果てた大地にひとりぼっちでいるのは。
荷物を置いてある廃屋までの道すがらに薪を拾い、エレナが表で火起こしをしている間に荷物の中を探る。
旅の途中で少しずつ買い足していた保存食の残りはほとんど残っていない。2人で食べたら3日も持たないだろう。小麦だってすぐには育たないだろうし、何か食べ物を調達しないとまずいことになる。
まあ、今は飯にしよう。とにかくこんな腹ペコじゃどうにもならない。
携帯鍋と塩漬け肉と干し豆の袋を持って、俺はエレナの正面に腰を下ろした。
「俺は慣れてるけど、エレナはこんな食べ物で大丈夫か?」
「食事はいりません。というより、この体は生物ではなく、魔力を物質化した姿なので睡眠や食事は必要ないのです」
すごいぜ精霊。飲まず食わずで働き続けられるのか。
「ただ」と、珍しくエレナが歯切れ悪くごにょごにょとつぶやきながら視線を泳がせる。
「ただ?」
俺は鍋の中に水を注ぎ、刻んだ肉と豆を煮込みながら聞き返す。
「生物と違い、私の体は魔力を生み出すことができません。精霊という存在は魔力を消費するだけなのです」
「ふんふん」
「ですから、ええと。私という存在を維持するためには、定期的に神農さまから魔力を分けていただく必要があります」
エレナは真っ赤になっている。
え? それだけ? 別に食事の代わりに魔力が必要ならいくらでも分けてあげるに決まってる。
それとも、俺はそんなにケチだと思われてるんだろうか。
「なんだ、そんなことなら早く言ってくれればよかったのに。良いよ良いよ、俺のでよければ好きなだけあげるよ」
ただ、魔力を分けるってどうすれば良いんだ?
「ありがとうございます。その、魔力の受け渡しは経口で行う必要が……」
「ぶっ!!!」
危うく貴重な晩飯をひっくり返すところだった。
エレナは完全に両手で顔を覆っている。心なしか頭から湯気が出ているようにすら見えた。
「ごめんなさいごめんなさい! どうしても肌の接触が必要で、裸で抱き合う程度だと効率が悪くて丸1日くらいかかってしまうんです。経口で行うのが最も効率が良くて、これならすぐ終わるのですが……」
ねえ、今サラっと裸で抱き合うとか言わなかった!? そっちのほうが問題だからな!
俺は頭を抱えた。
いや、正直なことを言わせてもらえば、俺としてはまったく問題ない。問題ないどころか割とうれしいまである。
だが、なんだか立場にかこつけているようで気が引ける。
「本当にごめんなさい……」
「……いいよ、エレナにとっては食事みたいなものなんだろ。逆に相手が俺で申し訳ないっていうか」
「そ、そんなことないです!」
エレナは顔を上げ、思いのほか強い口調で否定した。
「そんなこと、ないです」
すぐにまたしおらしくなり、消え入りそうな声で繰り返した。やめてくれ、その反応は勘違いしそうだ。
エレナは立ち上がり、俺の隣に膝をつく。
整った顔がすぐ近くにきて、俺は思わず目を閉じた。
どのくらいそうしていたのか、情けないことに俺はもう完全にうろたえていた。
気づいたらエレナはもとの位置に戻っていた。俺は指先で自分の唇をなぞり、あれは食事だ。ただの食事なんだと何度も頭の中で繰り返した。
「ごちそうさまでした。質、量ともにすばらしい魔力です。今までは姿を維持するだけで精一杯でしたが、これなら魔法も使えるようになります」
「あ、うん。それならよかった。魔力ってどのくらい持つ?」
「よほど大規模な魔法を行使するのでなければ、姿の維持だけなら1週間くらいは。魔法を行使する場合、規模によりますがその都度分けていただく必要があるかもしれません」
1週間か……長いような短いような。先が思いやられる。慣れるしかないな。
俺は鍋の中身を味見する。頃合いだろう。
もうすっかり食べ飽きた保存食をたべながら、焚火の向こうにいるエレナの姿を見る。
エレナはどこかぼんやりとした様子で、すっかり暗くなって星がまたたき始めた夜空を見上げていた。絵になる。
「なあ」
「はい」
「神農さまっての、やめないか? 全然ぴんと来ないし、くすぐったいし。エレナも俺みたいに、俺のことはレインって呼んでくれよ」
エレナはきょとんとした表情を浮かべていたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「わかりました、レインさま」
「その、さまってのもさぁ」
「いいえ、そこだけは譲れません。呼び捨てにするなんて、考えただけでも恐ろしいです」
「そんなもんかね」
「そんなものです」
他愛のない話をしながら夜が更けていく。
なんだか、こんな時間はずっと忘れていた気がする。
2人で過ごす夜は、1人じゃない久しぶりの夜は、とても楽しかった。