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ウェルキエル学院のアタナシア  作者: 葉月エルナ


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第26話

 何とか女教師を振り切ったセヴラールは、木陰に飛び込むと同時に夜闇に潜む暗殺者の名を呼ぶ。


「ノエル、いるか?」

「……こちらに」


 数秒続いた沈黙を破り、一人の少女がセヴラールの背後から進み出た。不機嫌さを隠そうともしないその声音には、わずかな殺意すら感じられる。黒いローブに飛び散った血液も相まって、セヴラールにはノエルが本物の死神に見えてきた。


「さっきは悪かったって。許してくれよ」

「…………私の助力は不要だったのでは?」


 先ほどよりもさらに長い沈黙ののちに、ノエルの口から刺々しい台詞が吐き出される。いつぞやの空き教室でアルヴィスの提案を蹴ったセヴラールのことを、ノエルは決して許していない。理解はしているつもりだったのだが、内心で改めてそれを悟りセヴラールは思わずため息をついた。


「……あの時は悪かった。お前の主人にも心から謝罪する。これで今回の件は水に流してくれないか?」

「………………」


 続く沈黙。藍色の双眸は、瞬きすらせずに気まずげなセヴラールの姿を凝視している。だが、数分間続いた静寂は唐突に終わりを迎えた。


「もういいだろう、ノエル。お前の気持ちはわかるが、その辺にしておいてやれ」


 ノエルが胸元に忍ばせていた無線機から、ノイズ混じりの低い男の声が響く。ノエルは即座にフードを脱ぎ捨てると、無線の声に応じた。


我が主(マスター)、では……」

「あぁ、今は小競り合いしている時間すら惜しいのでな。端的に行くぞ。アグラシアも、異論はあるまい?」

「もちろんだ。協力、感謝する」


 この土壇場でセヴラールに助け舟を出したアルヴィスの真意はわからないが、躊躇する猶予などすでにない。ノエルの瞳からも、もう殺気は感じ取れなかった。


「ではまず状況の確認からだが……アグラシアの目的は迷宮内から娘を救出すること、でいいのか?」

「そうだ、恐らくアイツは地下一階の大広間に閉じ込められている。……と、その前にお前は今どのくらい事情を把握してるんだ?」


 気持ちが逸るあまり勢いで話し始めてしまったが、これが一番大事な質問だろう。一度落ち着いてセヴラールが問いかけると、アルヴィスは無線の向こうで口を開いた。


「ノエルからの報告で、ある程度は理解しているつもりだ。とりあえず迷宮が外界と隔離されていることと、何かしらの召喚獣が召喚されたであろうことはわかっている」

「やっぱり、大広間は閉鎖されたか」

「あぁ、迷宮内に放っている使い魔の視覚を通じて確認した。かなり複雑な術式で組まれた結界のようだな。まぁ、これは問題ない。深層迷宮は俺の庭だ。少なくとも、地下四階まではな」


 アルヴィスの言を受け、ノエルは木陰から持参したらしい旅行鞄を引っ張り出す。手慣れた手つきでそれを開けると、中には大量の魔道具が詰め込まれていた。


「……地下一階の扉程度でしたら、私でも開錠可能です。しかるべき道具を使い、しかるべき手順を踏めば五分で開くでしょう」

「なんだ、同伴してくれるのか?」

「マスターが私に、そう命じるならば」


 見事なまでの即答だった。ノエルのスタンスは、こんな非常時でも一切揺らぐことがない。月光の下で煌めく藍色の瞳は、ただ主からの命令を待っている。


「……よし。ノエルはアグラシアと共に迷宮へ潜り、大広間の開錠に当たれ。次の課題は奴が召喚した獣の対処だが、勝算は?」

「手を貸してもらえると助かる、というのが本音だ。何せ、俺の能力は事前に阻止できなきゃ何の役にも立たねぇからな」


 あっさりと匙を投げたセヴラールに、ノエルの視線が突き刺さる。その視線を意にも介さず受け流し、セヴラールは手元の懐中時計を確認した。すでに召喚から十五分以上が経過している。するとセヴラールの焦りを察したのか、アルヴィスが口火を切った。


「お前が俺に『借り』を作るつもりがあるのなら、俺もまた虎の子を出してやるが?」

「虎の子だと?」

「あぁ。第一次魔導大戦の折、世界を狂乱に陥れた十三体の魔物についてはお前も知っているだろう? そのうちの一体の骨を、とある裏ルートから入手してな。本来なら学年末試験で使用するはずだった鬼札だが、今使ってやってもいい」


 アルヴィスの説明に、セヴラールは思わず絶句する。大戦を長引かせる要因にも、終結させる要因にもなった十三体の魔物たちはとうの昔に一体残らず討伐された。ましてやその骨を手に入れるなど、並大抵のコネクションでは難しい。どころか不可能なはずである。


「お前がそこまでしてくれるって言うなら、何を要求されても文句は言えねぇな」

「安心しろ、紙に名前を書くだけの簡単な仕事だ。ガキでもできる」

「……おい、それヤバい契約書とかじゃねぇよな?」


 安請け合いしてしまったことを若干後悔しつつ、セヴラールは天を仰いで覚悟を決めた。


「任せていいか」

「あぁ、触媒自体はノエルに持たせてある。俺が工房で魔法陣を敷設している間にノエルが大広間の開錠を終わらせ、それと同時に魔物の召喚を行うことになるわけだ。遠距離召喚になることと、魔物の力が強大であることから俺が自律制御できるのは十秒が限界だろう。お前はその隙に娘を救出しろ」

「了解」

「ちなみに十秒が経過した時点で、俺は魔物へのマナ供給を断ち切り強制的に消滅させる。ただし奴は自身の保有するマナだけで、十秒程度は現界を維持できるはずだ。その十秒は俺にも魔物の制御が効かなくなる。外で暴れることだけはできないように契約で縛っておくが、気をつけろ」


 アルヴィスの説明に耳を傾けながら、セヴラールは状況を脳内でイメージする。タイムリミットは、わずか十秒のみ。それよりも救出作戦が長引くことになれば、セヴラールは単独で異界の魔物を相手にしなくてはならなくなる。


「……考えれば考えるほど嫌になってくるな」

「まったくだ」


 八年前に帝国陸軍を辞めたセヴラールにとって、勝算度外視の博打に挑むのは久方ぶりのことである。当時の感覚を思い返しつつ、セヴラールは独り言のようにアルヴィスに問う。


「……もし、もしも俺が失敗したらどうなる?」

「案ずるな。その時は全員死ぬだけだ。ノエルだけは無事に返してもらいたいところだがな」

「……勝率は?」

「あまり使いたくはない言葉だが、神のみぞ知る」


 身も蓋もないアルヴィスの返答に、セヴラールは思わず苦笑した。


「絶望的じゃねぇか」


 アルヴィスもまた、無線機の向こうで静かに嘲笑(わら)う。


「だが、お前にとってはいつものことだったはずだ。これまでただの一度でも、楽な任務にありつけたことがあったか?」

「……いや、ないな」


 帝国学院を卒業し、学友と共に特務部隊へ配属されてからの一年間は常に死と隣り合わせの日常を送っていた。あの日々に比べたら、今回の救出作戦は比較的難易度の低いものであるとすら言えるだろう。闇夜に聳える深層迷宮を見据え、セヴラールは一歩を踏み出した。

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