第25話
「お前、正気かッ? 中には関係ない他の生徒もいるんだぞ!」
「そんなものは知ったことか! 一年が一人二人死んだところで何も問題はない!」
広大な森の一角、少し開けた空間でセヴラールは虎によく似た召喚獣を相手に苦戦を強いられていた。互いに一歩も譲らぬ膠着状態が続き、内心でセヴラールは焦りを抱く。本来ならば今すぐにでも迷宮へ向かいたいところだが、それにはまず眼前に立ちはだかる凶獣を排除しなければならない。
(落ち着け、まだ召喚からそれほど時間は経っていないはず。アイツがいるなら、もう少し前線は耐えられる……!)
迫り来る召喚獣の牙を必要最小限の動きで躱しながら、セヴラールが考えるのは迷宮内のこと。いまだ地下に囚われているであろう少女のことだ。
(迷宮の内部構造はノエルが熟知している。条件発動型の罠なら、恐らく召喚が行われたのは一日に一度生徒が集まる大広間だ。地上一階から大広間に行ける階段は一か所だけ。それも単純な一本道、あの子の援護が期待できなくても迷うことはまずない)
目的地までの最短ルートを脳内で思い浮かべつつ、セヴラールはため息をつく。
「できれば、この展開は避けたかったんだけどなぁ」
「……? 何をするつもりだ、貴様」
唐突なセヴラールの呟きに、ベレスが警戒しながら問いかけた。セヴラールは一度動きを止めると、指を鳴らして虚空に向けて呼びかける。
「見ているんだろう、ノエル。命令だ、ベレス・ラシアイムを排除しろ」
「…………ッ?」
次の瞬間、ベレスの背後の闇が蠢き小柄な影が飛び出した。フードを目深に被ったその人物の右手には、月光を浴びて輝く短剣が握られている。足場の悪い森をものともせずにベレスへと接近した影は、右手の短剣を彼の脇腹目掛けて躊躇うことなく深々と突き刺した。肋骨の隙間を縫うようにして差し込まれた短剣は、ベレスの肝臓を完全に破壊する。
「うぅ……ぐ、ぅ……」
鮮血が噴き出す自身の右脇腹を押さえ、ベレスは小さく呻いた。召喚獣相手に威嚇射撃を繰り返していたセヴラールが闇夜に視線を向けると、黒衣の暗殺者の姿はもうどこにもない。
ベレスの誤算は、アルヴィス・チェスカーの助勢とノエル・リースの介入。あの二人の横槍によって、事態がより深刻化してしまったことだ。
「お前は俺を羨んでいたのかもしれないが……」
そう独り言ちながら、セヴラールは隠し持っていた手榴弾を懐から取り出す。
「特務部隊なんて、戦場なんて、お前が思ってるほどいいものじゃねぇよ。あの光景を見ないで済んだお前の方が、俺は羨ましい」
結局、隣の芝生は青く見えるということだ。安全ピンを外し、セヴラールは召喚獣に向けて手榴弾を投擲する。狙い過たず召喚獣に命中した手榴弾は数瞬後に爆発した。
「これに懲りたらもう、アイツらを敵に回すのはやめろよ。まぁ、生きていられたらの話だが」
瀕死のベレスに背を向けると、セヴラールは振り返ることなく森の中を駆け抜ける。端から勝つ必要などなかったのだ。少しでも時間を稼ぐことができれば、その間に森から脱出できる。見通しの悪い夜の森では、一度ターゲットを見失えば再捕捉はほぼ不可能。今は一刻も早く迷宮に潜らなければならない。
セヴラールがただひたすらに足を動かしていると、教職員が使用する明かりが見えてきた。
「アグラシア先生! 一体どこに行かれていたんですかッ?」
背後から聞こえた声に振り返ったセヴラールは、座学科を担当している女教師の肩を思わず掴む。
「状況はッ?」
「え? えぇと、先ほどの音と揺れで他の先生方も混乱しています。恐らく中間試験も中止になるでしょう。今、学院長が緊急の職員会議を開いていますのでアグラシア先生も早く……」
「そうか、分かった。悪いが俺は会議は欠席だ。学院長にはうまく言っておいてくれ。じゃあ、頼んだぞ!」
「ま、待ってください! アグラシア先生ッ?」
狼狽している彼女には非常に申し訳ないが、セヴラールにも止まるわけにはいかない理由があるのだ。走りながら弾倉交換を終えた愛銃を腰のホルスターに戻し、セヴラールは静かに夜闇を見据える。そこにはフードを目深に被った黒衣の暗殺者が、一人佇んでいた。