第24話
深層迷宮地下一階大広間にて。ニーナは動ける程度にまで回復したユーフィアと共に、二日目の脱落者の確認を行っていた。大広間では一日ごとに脱落者の発表がある。それに伴い、発表が始まる前後一時間は大広間内でのあらゆる戦闘行為が禁止されているため、手負いのユーフィアもニーナに付き添うことになったのだ。
「今日は三十八人が脱落。スピカの報告によると昨日は四十三人脱落したようだから、もうほとんど残っていないわね」
「大広間に来ている方も少ないですし、皆さん給水スポットで籠城作戦でしょうか?」
「えぇ、恐らくは」
と、横合いから二人に声がかけられる。見るとスピカとリーヴィアが脱落者のリストを持って立っていた。
「傷の調子はどうですか? ユーフィア」
「かなり、よくなりました。無理さえしなければ傷口が開くこともなさそうです」
「それはよかったですね。ニーナの迅速な処置のおかげでしょう」
「まさか。知識があれば、あのくらい誰にでもできることよ」
スピカの称賛に謙遜しながらリストに目を通していたニーナは、次の瞬間不可解なマナの変動を感じ取って顔を上げる。大広間の中央に大気中のマナが収束していく気配。その微細な空気の変化に気が付くことができたのは、ニーナだけだった。
体内に埋め込まれた疑似接続回路が悲鳴を上げる。人工物であるがゆえに、ニーナの接続回路はマナの動きに極めて敏感だ。そうでなければ【無能力者】として生まれたニーナにASSを扱えるはずがない。
「……ニーナさん?」
突然一点を見つめて口を閉ざしたニーナに、ユーフィアがおずおずと声をかける。だがその声すら、今のニーナには届いていなかった。
(大広間……マナの収束……召喚獣の群れ……)
そして思い至る。ニーナを毛嫌いしている一人の男。ベレス・ラシアイムの異能力に。
「まさか……」
その結論にたどり着いた瞬間、ニーナの全身が総毛立つ。
「条件起動式の……召喚陣……?」
大広間中央に浮かび上がる巨大な魔法陣。夥しい量の血液で描かれた五芒星が淡く発行し、周囲のマナを飲み込んでいく。気が付いた時には、すでに遅かった。
大広間の外へ通じる扉はすべて閉ざされ、文字通り完全な閉鎖空間。ようやく事の重大さを理解した生徒たちが、出口を求めて逃げ惑う。
「ニーナさん……」
ユーフィアが震えた声で再びニーナを呼んだ。魔法陣がひと際強力な光を放ち、それと同時に召喚されたモノを目の当たりにした数名の生徒が腰を抜かす。
「地獄の番犬、ケルベロス……」
ニーナの口から漏れた一言がすべてを物語っていた。三つの首と蛇の尾を併せ持つその猛犬は、伝説上の存在としてあまりにも有名だ。
「あんな化け物相手に勝てるわけないじゃない!」
「開けろ! ここを開けてくれ!」
閉ざされた扉を必死に叩き、二人の生徒が喚き散らす。だがそれは悪手だった。魔法陣から解放されたケルベロスが、二人の背後から容赦なく襲い掛かる。
背を向けていたせいで反応が遅れた男子生徒の背中を、ケルベロスの爪が引き裂いた。続けて中央の首が大きく口を開き、隣にいた女子生徒を捕らえる。女子生徒の骨が軋みを上げ、口からは苦悶の喘ぎが漏れた。
「……く、彼女を離しなさい!」
スピカが小銃型のASSを展開し、ケルベロスに向けて乱射する。ケルベロスは激しく首を横に振ると、唐突に女子生徒を口から解放した。その出血量はユーフィアの時とは比べ物にならない。明らかに致命傷だ。
「た、大変……!」
「ユーフィア、ダメよ!」
思わず駆け出しかけたユーフィアの腕を掴み、ニーナが制止する。
「で、でも……!」
「あの傷じゃもう助からないわ! 放っておきなさい!」
「……っ!」
ユーフィアは悲しそうに目を伏せ、一度強く唇を噛み締めると顔を上げた。
「ニーナさん、どうしますか?」
愛刀の柄に手をかけ、意識を切り替えたユーフィアがニーナに問いかける。ニーナが振り返ると、リーヴィアは背嚢から取り出したリタイア用の発煙筒を焚いていたが静かに首を横に振った。
「無理っぽい。やっぱり扉が開かなきゃ、教師もここには来られない」
「そう」
状況を脳内で整理しつつ、ニーナは《ステファンの五つ子》を起動して覚悟を決めた。
「……今回は私も前衛に出るわ。ユーフィアの異能は初撃限りの一回勝負でお願い。蛇の尾に留意しながら散開して、左右から挟み撃ちにしましょう」
「了解です」
ユーフィアはニーナの案を快諾すると、即座に居合の構えを取る。マナの収束を感じると同時に互いのタイミングを計り、ニーナは一歩を踏み出した。