第22話
救護用の仮設テントに、首筋から夥しい量の血を流した重傷の少女が運び込まれてくる。ウェルキエル帝国学院で学校医として勤めている緑髪の少女は愉しそうに笑った。
「これはこれは、すぐにでも治さなければ死んでしまいますねぇ。ですが安心してください。帝国随一の治癒能力者である、この私の手にかかればこんな傷は朝飯前ですよ!」
学校医の宣言通り気を失っていた白髪の少女は手当を受けると、すぐに瞳を開いた。
「おや、目が覚めましたか、エリノラ・アビゲイル。それにしても随分派手にやられたようで。私がいなければ死んでいましたよ?」
学校医は眼鏡の奥で三白眼を歪めて笑みを浮かべるとエリノラの首筋を覗き込む。
「ふむふむ、傷はしっかり塞がっているようですしバイタルも特に問題なし。今日は一晩ここで寝て、明日の朝一に学生寮へ戻ってください」
「……はい、わかりました」
「では、私はこれで失礼しますよ」
オーバーサイズの白衣を引きずり学校医は手を、というよりも袖を振って去っていった。その後ろ姿をぼんやり眺めていると、学校医と入れ替わるようにしてベレス・ラシアイムが姿を現す。
「申し訳ございません。勝てませんでした」
不機嫌さを隠そうともしないベレスに向けて、エリノラは素直に謝罪の言葉を口にする。ベレスは簡易ベッドに横たわっているエリノラの胸倉を掴み上げ、無理やり身体を起こさせた。
「なぜだ? どうして仕留められなかった。どんな手を使ってでも殺せと命じたはずだ。まさか貴様、私を裏切ったのか?」
「いいえ、単に私の実力不足です。彼女は、次元が違います」
首を締めあげられながらもエリノラは必死に首を横に振る。だがベレスの怒りは収まらない。エリノラをベッドから引きずり下ろし、少女を床に投げ捨てると大きく舌打ちした。
「何ということだ、ニーナ・アグラシア。ウチのアビゲイルでも勝てないとは。やはり私がやるしかないのか? いやしかし……」
すでにエリノラには目もくれず何事かを呟きだすベレスは、物音の正体を確かめに来た学校医の姿に気が付かない。
「おや? ラシアイム先生、どうかしましたか?」
「あ、い、いやなんでもない。アビゲイルの容体が気になっただけだ」
「そうでしたか。エリノラ・アビゲイルでしたら明日には学生寮へ戻れますよ。バイタルにも異常は見られませんのでご安心を」
「そ、そうか。それならよかった」
明らかに動揺しているベレスに首を傾げながらも、学校医は床に座り込むエリノラに手を差し伸べる。その隙にベレスは仮設テントから足早に立ち去った。
「何があったかは、聞かないでおいてあげましょう」
「ご迷惑おかけして、申し訳ありません」
「いえいえ。さぁ、ベッドに入って。怪我人には十分な休息が必要です」
エリノラが布団を被ったことを確認すると、学校医は別の教師に呼ばれて隣の救護テントへと向かう。一人その場に残されたエリノラは寝返りを打つと影を見つめて口を開いた。
「これでよろしかったですか、リース先輩」
「……」
エリノラの問いかけに応じて影が蠢き、小柄な少女がエリノラの元へ歩み寄る。
「伝言は」
「お伝えいたしました」
ノエルは一度頷くと再び影の中へと姿を消す。エリノラはベレスにニーナ抹殺を命じられた時、上層のアルヴィスとも接触していた。そして一週間ほど二重スパイとして振る舞っていたのだ。ニーナを殺したいベレスと、最終日まで生き残らせたいアルヴィス。最初はニーナに勝てなかった際の保険としてアルヴィスに交渉を持ちかけたのだが、話をするうちにアルヴィスの側へついた方が後々自分にとって有利になるのではと考え始めた。
アルヴィスがエリノラに与えた任務は一度ニーナと交戦して負けることと、彼女に身の危険を知らせることの二つ。結果としてエリノラはニーナに敗北し、彼女に強い危機感を抱かせることに成功した。ベレスはこの件でエリノラを見限るかもしれないが、強大な権力を持つアルヴィスの懐に入れれば何も問題はない。
事実、エリノラはこの試験が実施される直前に彼と契約書を通して契約を交わしている。そう簡単に反故にはできない、特別な契約だ。
「これで私は六年間、何不自由なく暮らせる。卒業後の進路も安泰。アグラシアさんには申し訳ありませんが、彼女が命を狙われたおかげで私はこの学院で生き残りがほぼ確定した。感謝しなくてはなりませんね、アグラシアさん。殺されそうになってくださって、ありがとうございます。フフ……フフフ」
自身も死にかけたことなど棚に上げ、少女は静かに笑う、嗤う、嘲笑う。己の命すら賭けのテーブルに乗せた少女の、どこか狂った嘲笑が仮設テントに響き続けていた。