第19話
「ふぅ……一応、給水スポット付近まではたどり着けたわね」
「……はい、色々ありましたが……」
ニーナとユーフィアは迷宮の至る所に張り巡らされた罠の数々を潜り抜け、C地点付近まで到達することに成功していた。ほぼ丸一日穴底で足止めを食らっていたため事前の作戦には若干の狂いが生じてしまっているが、まだ取り返せないほどの遅れではない。
「ここの扉からわずかにマナの変動を感じるわ。やっぱりもう占拠されてしまっているようね」
「はい、ですが水は欲しいですし……」
一度スピカたちが押さえた給水スポットで水分補給を済ませているが、まだ十分とは言い難いだろう。陥落した際のことを考えるならここの占拠権は何としてでも奪わなくてはならない。
「私が後ろから援護するから、ユーフィアが先陣を切って突っ込んで。五秒後に私も突撃するわ」
「了解です」
簡単な作戦会議を済ませ、ニーナは小銃型のASSを展開した。ユーフィアが刀に手をかけたところで扉を開き室内に突撃する。
「何ッ?」
「襲撃、襲撃です!」
「散開! 訓練通りに動いて!」
ニーナは小銃を構え、引き金を引いて室内に銃弾を撒き散らす。他クラスの生徒は一様に狼狽し、二人の襲撃に全く対応できていない。ひとまず、陽動は成功した。
「三、二、一……」
冷静に五秒を数え、ニーナは小銃を投げ捨ててから《カノープスの雷鳴》を展開すると同時に走り出す。室内には八名の生徒がいたようだが二名はすでに戦線離脱の重傷、残り六名。
ユーフィアが抑えている一名を除いた五名がニーナに追いすがり、周囲を包囲した。ニーナは両手に二個ずつ展開した《カノープスの雷鳴》を四方に向けて投擲する。手榴弾の直撃を食らった一名が吹き飛び、全身を強打した末に動きを止めた。残り五名。
ニーナは飛んできた火球を回避すると近い位置にいる人間から順に額を撃ち抜いていく。爆発に巻き込まれて手負いの人間など、ニーナの敵ではない。数分もかからず七名の生徒を戦闘不能に追い込んだニーナは、ユーフィアが剣を合わせている生徒に視線を向けた。
腰まで伸びた白髪に琥珀色の瞳。人形のように整った面立ちでありながら、その眼光はどこまでも冷たく無機質だった。そして右手にはすでに起動されたレイピア型のASS。
入学試験第二位、エリノラ・アビゲイル。彼女の能力は、未来予知。正確には自身に届く攻撃を予知して回避できるものらしいが、細かい分類はされていない。
「ニーナさん……」
一度下がったユーフィアの隣に立ち、ニーナも《アルクトゥルスの宝剣》を起動する。エリノラも距離を取って仕切り直すとニーナに向けて口を開いた。
「まさか、こんな早々にお会いできるとは思っておりませんでしたよ。ニーナ・アグラシアさん」
「私? あなたとは初対面だったと記憶しているのだけれど……何か用かしら?」
「えぇ、実は私、あなたの抹殺を命じられておりまして……お覚悟」
「……っ!」
ニーナは一瞬で間合いに踏み込んできたエリノラのレイピアを、同じくレイピアで受ける。力はユーフィアの方が上。だがスピードではエリノラに軍配が上がるだろう。
「誰に、と聞くのは野暮よね。この学院で私を殺したいほど憎んでいる人間は、恐らく一人だけでしょうから」
「そうですね。私としても不本意ではありますが、上の指示には逆らえないのが軍人です。ですので、諦めて死んでください」
エリノラが繰り出す常軌を逸した速度の刺突。それを紙一重で躱し、捌き、受け流してニーナは舌打ちした。まさか入学から二か月で命を狙われる羽目になるとは。人生何があるかわからない。
「ニーナさん、下がってください!」
ユーフィアの声に応じ、ニーナは無理やりエリノラのレイピアを弾いて背後に跳ぶ。直後、二人の間にユーフィアの白刃が割って入った。だがエリノラは焦った様子も見せず、右に一歩動いただけでその斬撃を躱しきる。
入学試験の順位ではユーフィアが勝っているものの、それはユーフィアの異能力が派手でわかりやすいものだから。セヴラールに教えられて後から判明したことだが、入学試験の順位は案外あてにならないらしい。異能力者同士の戦闘には相性の良し悪しも存在する。
もちろんユーフィアの実力は疑いようがないが、エリノラと直接戦った時どうなるかはわからない。二対一という数的優位も、即席の二人一組ではどこまで維持できるものか。だがニーナにも負けるわけにはいかない理由がある。ニーナがエリノラに敗北すれば、それはセヴラールの敗北と同義だ。そんなことは許せない。認められない。
「識別コード《ステファンの五つ子》起動」
ASSを三個、指の間に挟むようにして持ち体内の疑似接続回路を励起させる。全身のマナが循環を始めるとニーナのASSが光を放ち、大振りのナイフを形成した。
一方のエリノラはASSの複数起動を目の当たりにしてもさほど驚いた様子はない。手にしたレイピアを構えると、後衛のニーナには目もくれずユーフィアとの間合いを一息で詰める。まずは前衛であるユーフィアを潰す作戦だろう。ニーナが牽制するように投擲した《ステファンの五つ子》はサイドステップですべて躱された。
ユーフィアは一歩前に踏み込むと、刀を大上段に構えて振り下ろす。ニーナでさえ初見では押された斬撃だ。だがエリノラはその一撃を、力の流れを変えることによって受け流した。
咄嗟に体勢を崩されて焦ったユーフィアは、エリノラから一度距離を取ろうと背後に跳んで下がる。が、それは悪手だった。互いの距離が開いた瞬間、エリノラが神速の刺突を放つ。ユーフィアに生まれたわずかな隙をついた正確無比なカウンター。レイピアの切っ先を回避しきれず、ユーフィアの左胸部が大きく裂かれる。続けて傷口から生温かい血液が流れ出し、ユーフィアは膝からゆっくりと崩れ落ちた。
「ユーフィア! ……っ!」
倒れたユーフィアから即座に標的を切り替え、エリノラがニーナの間合いに踏み込む。
「お待たせいたしました。さぁ、死んでいただきましょうか?」
その直後に決着は訪れた。エリノラの首筋から鮮血が噴き出し、ニーナの姿が眼前から消えている。
「……え?」
レイピアを取り落としたエリノラが呆然としながら首に触れた。
「見えない、斬撃……?」
振り返ったエリノラの瞳に無表情でレイピアを鉱石状態に戻すニーナの姿が映る。
「どう、やって……」
「……別に。私はただ、アンタの未来予知より早く斬っただけ」
「な……」
絡繰りは単純だ。エリノラの未来予知は自身に届く攻撃を予知するものであって、そのタイミングまでを正確に知ることはできない。ゆえにエリノラは予知した相手の動きから攻撃の瞬間を予測する必要がある。
今回ニーナの攻撃を予知したエリノラがその斬撃を防ぐことができなかったのは、ニーナのスピードがエリノラの予測を上回っていたからだ。普段のニーナの攻撃スピードに身体が慣れていたエリノラは、足の疑似接続回路にマナを集中させ一時的に踏み込む速度を上げて放ったニーナの攻撃が見えていなかった。来るとわかっていても、見えない攻撃まで防ぐことはできないというわけだ。
「エリノラ・アビゲイル、戦闘不能。教員は生徒の救命措置に当たってください」
と、迷宮内を巡回している使い魔がエリノラの戦線離脱を告げる。急所を切り裂かれているとはいえ、ここの学校医は大抵の怪我を瞬く間に治癒してしまうほどの治癒能力者だ。命は助かるに違いない。血溜まりの中央に倒れ伏すエリノラを一瞥し、ニーナはユーフィアの元へと急いだ。