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ゴルゴン先生の目が見たいっ!

 ――先生の中で、誰が一番優しい?


 生徒たちの中で、たびたび交わされる一つのテーマ。

 宿題を忘れた者、授業中寝てしまった者、トラブルを起こしてしまった者たちには、当然ながらペナルティが課せられる。叱られ、宿題を増やされ、別室での指導が行われる。教師の立場から言わせてもらうと、それらはすべて生徒の間違った姿勢や正しいルールを身に着けてもらいたいがために行われるものだ。

 ただし、生徒からしてみれば教師の思惑など知ったことではない。

 怒られた、面倒くさい、ダルイ、早く終わらないかなぁ、などなど。

 多くの生徒は面倒ごとを避けるために、極力トラブルを起こさないようにする。とはいえ、数百人の学園生活を送る中で、トラブルをゼロにするというのは不可能な話だ。今日も隣のクラスの○○が、多学年の△△が…と、一週間のうち何かしらの話を耳にする。


 そこで生徒たちは当初のことを考えるのだ。 

 怒られたくない、別室で指導などされたくない。あの先生は優しい、あの先生なら怒られない、大目に見てもらえると、そのように考える。

 ただ、そのように思うのは自然のこと。誰しも怒られるのは嫌であり、見てもらうなら優しい先生がいい。気の合う先生の方がいい。

 だからこそ、誰が優しい先生かという話は、しばしば起こるのだ。


「まあぶっちゃけ、一番はゴルちゃん先生だよねー」

「ねー」

「確かにー、ゴルちゃん先生この前寝てても怒らなかったし」

「いやそこはあんたが悪いっしょ」

「でも全然怒んないよねゴルちゃん先生。正直怒ったとこ見たことないかも」

「でも怒ったら怖そうじゃね? …いや、やっぱ今のなし。イメージできないわ」


 今日も教室の片隅で、そういった会話がされる。

 赤い髪の少女と、茶髪の少女が自分の机を向かい合わせ、今日出された課題を取り組んでいた。


「でもまあ、課題は正直ダルイ」

「…まあ、レポート作成は正直面倒くさいよね」

「適当にやったら返されるし――――あ。再提出の課題あったの忘れてた」

「おつー」

「ひぃん」


 赤い髪の少女は泣き顔を作り、面倒くさそうに自分の机をあさる。

 ごそごそとあさりながら、ふと、彼女は思った。


「そーいやさ」

「んー? どしたん?」

「いやさ、ゴルちゃん先生で思い出したんだけど、今日のレポートって生物についてのレポートじゃん? テーマは何でもオッケーのやつ」

「ただし人間はなし。犬とか猫とか限定のやつねー」

「それでさ、うち家にいる亀の観察しようと思ってんだけどさ。あ、弟が世話してるやつね」

「別にいいんじゃない? 私もちっちゃいころに飼ってた猫をテーマにしようと思ってたし。それがどうかしたん?」


 再提出のプリントを引っ張り出し、少女―――レナード・ボーガンは友人に顔を向ける。


「亀ってさ、爬虫類だよね」

「それこの前授業でやったやつー」

「そーそー、それでさ、爬虫類って他にもヘビとかいたじゃん」

「いたいた。でもそれが何かあったの?」


 そこで少女は一呼吸おいて、


「ちょっと気になったんだけど、ゴルちゃん先生ってさ―――爬虫類と人間、どっちなん?」


 どっちかっていうと人間よりの爬虫類です。

 遠く、職員室にいた彼女は一つくしゃみをした。




 ===========




 ヤッチェ・ゴルゴン・ヘーザバード。

 年齢35歳(種族的には15歳程度)、独身(まあ種族的に未成年だし)の今年で3年目の教師。腰まで伸びる薄い水色の髪、身長143センチの体はしばしば生徒と比べられ、しばしば悔しそうな表情を浮かべる姿が目撃される。女性的な特徴は、まあ身長を見れば妥当なもの。

 ドザール学園1学年の生物学を受け持つ、小柄な教師である。

 

「―――まあ、種族的にどっちとも言えますが」


 そんな彼女の一番の特徴は、身長でも髪でもない。

 たまに、あの年齢であの声の高さに驚かれているが、種族的に15歳程度なのでまあ、妥当といえば妥当である。

 俗にいう萌え声というやつである。本人にこれを言えばふくれっ面を拝むことが出来る。

 ただ、そんな声も、彼女の一番の特徴とは言えない。

 

 彼女は()()()()()()()()の横を掻きながら答えた。


「確かに私は名前にある通り、【ゴルゴン】―――俗にいうヘビ人間の家計の者です」


 彼女は台に乗り、今日の授業内容が書かれた黒板の隅にチョークを走らせる。


「遠い昔、おおよそ…5千年以上前ですかね?」

「それってオンドリ大戦の頃ですかー?」

「そうですね。時期でいうとその頃といえるでしょう。確かちょうど歴史学でもやっている内容でしたね。ただ、歴史学では出ないと思いますけど…質問があったのでお答えしますね」


 黒板にデフォルメした人間と、ヘビの絵が描かれる。


「私の先祖―――今では【ゴルゴン】と呼ばれる種族でしたが、もともとはただのヘビが始まりです。ヘビが人間と結婚して子供を産み、人の体を持つように進化していったのが【ゴルゴン】です」

「…え、先生! 質問質問!」

「はいどうぞ」


 挙手をした生徒は、席を立って言った。


「前に爬虫類、ヘビについて学びましたけど、ヘビって卵で仲間を増やしますよね。どうやって人間と子供を増やしたんですか? 確か人間が胎生で、爬虫類は卵生でしたよね?」

「あー…あー…」


 これ言っていいのかな? いやでもこの子らもう13歳だし、一応そういう知識ある…あるのかなぁ?

 内心頭を抱え、直接ではなくマイルドに包もうと答えた。


「ええと、そう、そのー…コウノトリがうんたらかんたらでして」


 シーンと、教室が静まり返る。

 何言ってんだこの人、と冷ややかな目が向けられる。

 

「そのー…まあ、あれです。君たちにはまだ早いやつですよ」

「ヘビと人間がせっく―――」

「そういうことを聞こえるように言わないでくださいっ!」


 ひぃんと、泣きそうな表情で彼女は言う。

 今時セクハラだの、パワハラだの教育委員会はうるさいのだ。

 生徒に不適切なことは言っていないか、セクハラ行為はしていないかなど、そんなこと言われなくてもしてないわと内心で叫ぶ日々だ。

 むしろ生徒の方がガッツリ言っている現状なのだが、悲しいことに現場の声は上には届かない。男子生徒が言おうとした言葉など、教師から言うなど言語道断である。人体学ならともかく、今の生物学の授業ではあまり声を大にしては言えないものだ。

 出来るだけマイルドに、直接的ではなく、意味は伝わるように答えなければいけない。

 少しざわつく教室を静かにさせるように、喉をうんと鳴らし、彼女は言う。


「はい静かに。ええとそうですね…進化の関係上でですね、まあ、卵では無理だったんですよ。種族を残すのが」

「え、なんでですか?」

「歴史学で学びましたよね、オンドリ大戦のことを。あの戦争は、何が原因で起きましたか? では―――レナードさん」


 うーんと思い出しながら、レナードはゆっくり立ち上がって答える。


「…食料問題?」

「おしいですね。それも一つの正解ではありますが…ではなぜ食糧問題が起きたのですか?」

「ええっと―――なんだっけ?」


 彼女はひそひそと近くの生徒に聞き、答えを教えてもらった。


「あーっと…気温の、上昇? とかですか?」

「はい、そうですね。レナードさんの言う通り、オンドリ大戦当時では気温の上昇が観測されています。この時期、現在での平均気温は20℃後半ですが、当時は40℃後半まで上がっていたそうです。現在の2倍近くの気温です」


 うへー、あつそー。

 地獄じゃん。

 生徒の声を聴きながら、彼女はさらに答える。


「そうなると、問題なのは農作物や家畜ですね。あまりの暑さに水もなくなり、作物は枯れて牛などの動物の多くが死んでしまいました。そこで、あらゆる生き物が食料を求めたわけです」


 一部の生徒は、それが【ゴルゴン】の誕生にどうつながるのかと、首をかしげた。ヤッチェはこれは今でも討論されていますがと前置きをして言った。


「肉や野菜だけでなく、動物の卵も食料の対象です。当時の【ゴルゴン】の先祖も、多くの卵を食べられたそうです。このままでは子孫が残らず、絶滅してしまう中で、考えたみたいですよ。そうだ―――卵じゃなく、人間と赤子を作ってしまえば食べられない、って」


 ヘビと人間の図の間に横線を入れ、その間に線を伸ばす。

 人間のお尻にシッポをはやした図を黒板に描く。


「皆さんもそうですよね。そうと願いたいですが…自分と同じ姿、まあ人間を食べたりしないですよね?」


 おえぇ、むりー。怖すぎー。ぜったいまずい。無理無理ー。


「嫌ですよね。自分と同じ姿をした動物、生き物を食べるのは。そうやって【ゴルゴン】の先祖は何とかして人間と子供を作り、絶滅を逃れました。それが効率がよく、多くの子孫を残して今の【ゴルゴン】に繋がります」


 ヤッチェはさらに黒板に図を描く。

 先ほどのシッポが生えた人間の図から線を伸ばし、ただの人間の図を描いた。


「ただ人間と子を残しすぎたため、もうほとんどの【ゴルゴン】の血―――昔の純粋なヘビの血はありません。シッポやウロコなど、身体的な特徴はもうありませんね」


 ただしとチョークを置き、彼女は自分の目に手を当てた。

 正確には、両目を大きく覆う眼帯へと。


「私のように、一部【ゴルゴン】の血の影響で目に特徴がある、という人もいます。まあ、私は本当に例外の例外ですけど」


 私の家族とか、普通の人間と変わりないですからね。

 彼女はそう言い、チョークを置いてパンと手をたたいた。


「では、残り時間もあとわずかなので、最後のまとめに入りましょう。今言ったことはただの雑学として、頭の片隅に入れておいてください。今日やったのは―――」


 彼女は教卓に置いておいた振り返りシートを配り始めた。

 生徒たちはノートを開き、今日のまとめや課題を書き始める。

 数分後、チャイムの音がなり、今日の授業は終了した。


「では、後ろから集めてきてください。――――はい、では今日の授業を終わります。係の人、号令をお願いしますね」


 起立、姿勢、礼―――と。

 いつものように挨拶をして、生徒たちは次の授業の準備をする。

 係の生徒に今日の授業評価を伝えるヤッチェ。

 そんな彼女に、レナードは質問質問と声をかける。


「ゴルちゃん先生ー。さっきの話の続きなんですけど。先生の目は【ゴルゴン】の特徴があるってことですか?」

「そうですね。ヘビの目ですよー」


 がおーと、彼女は手を構える。

 全然怖くない威嚇をスルーし、レナードはさらに質問をする。


「でも、ヘビの目ってそんな隠すもんでもないですよね。なんでそんな厳重に隠しているんですか?」


 そういえばと、近くの生徒も視線を向ける。

 一気に向けられた視線に、少しむずがゆさを感じるヤッチェ。


「それは…【ゴルゴン】の逸話―――というより、おとぎ話とかで知っていますよね? ほら、【ゴルゴンとペールセス】の」


 【ゴルゴンとペールセス】。

 それは昔ながらのおとぎ話で、幼い子供たちにとっては怖い物語。

 

 ――――夜になったら、ヘビが来るぞ。家を出るなかれ。

 ――――目を合わせるな。石にされてしまうぞ。

 ――――夜になれば、子供を食らいに村に来るぞ。家を出るなかれ。

 ――――おお、ペールセス。勇敢なる戦士よ。

 ――――どうかあの丘の上の、星の下にいるヘビを倒してくれ。

 ――――決して目を見るな。鏡の盾を持ち、戦うのだ。

 ――――子供たちよ。ペールセスが倒すまで、家を出るなかれ。


 本当にあったお話か、ただのおとぎ話か。数千年前の話のため、その真相を確かめることはできない。しかし、その物語に出てくる【ゴルゴン】の特徴は、まぎれもなく真実なのである。


「私の目は、【ゴルゴンとペールセス】のおとぎ話と同じように、目を合わせたものを石にしてしまうのです。ですかれ、決して、覗こうとしてはだめですよ」


 そーっと、後ろから目を覆う布をずらそうとした男子生徒の手をつかむ。

 ヤッチェは肩をすくめて、これで話は終わりですと教室を後にした。




 ===========




「せんせっ! 目見せて!」

「今日言った通り、無理ですよー」


 昼の休憩時間に、職員室の扉をたたいたレナード。

 プリントにハンコを押す手を止め、レナードを連れて職員室を出る。

 せっかくだし、教材運びを手伝ってもらおうと考え、話しながら歩く。


「言ったじゃないですか。目があえば石になるんですよ」

「えー、でもみたーい」

「石になりたいんですか。絶対だめです」

「石になってもいいからさー、みーせーてー!」


 自分よりも頭一つ半小さいヤッチェの頭に顔を乗せてレナードは言う。

 ずしんと頭に感じる重さに顔をしかめながら、ヤッチェは溜息を吐く。


「死んじゃいますよ。それでもいいんですか」

「え、マジ?」

「マジです。あと、先生の頭に乗っからないでください」


 少しかがみ、彼女の拘束から逃れる。

 不満げにレナードはヤッチェの隣を歩く。


「でもさでもさ、目が合わなかったらいいんでしょ? じゃあ、先生が遠くを見てる横からこそっと見るからさ」

「安全が保障できません。それに、私自身もどこからどこまでが範囲かは今だ調査中ですし」

「え、先生自分の目なのに、あんま詳しく知らないの?」

「そりゃあ、目があえば相手が死んでしまいますし」


 【ゴルゴン】の中でも、ヤッチェの目は特別だ。

 先祖がえりとも呼ばれるそれは、彼女の親戚を探しても誰も持っていない。世界全体でも数名いる程度と聞いているが、この目を持つものが少なすぎるのだ。調べようにも、調べられない。

 医者や学者も、目があえば死んでしまうものを細かく調べようとしない。

 というか、調べられないのだ。

 目が合うだけで、相手を殺すことが出来る。【ゴルゴンとペールセス】のおとぎ話のように、その気になれば大量殺人だって可能なその目。

 魔法の分野では、彼女の目を魔眼とも言うらしいが―――ヤッチェ本人にはなんの興味もない。正直無い方がいいと思うほどだが、そう簡単に取り除けるものでもない。

 

 ただ、即死というわけではない。

 数秒見ただけや、こちらの目を伏せるなどすれば石になったものを戻すことが出来る。とはいえ、それを言うと見せてとせがまれるので、言うことはしないが。


「私がしているこの眼帯は、特別製でして。無理やり取ろうとしない限り取れませんし、常に眼帯の下で目は閉じています。目が合うことは基本ないので、大丈夫ですよ」

「…目を開けてないのに、よく先生なんてできるね」


 それは侮蔑の言葉ではなく、純粋な称賛。

 彼女の方を向き、少し口角を上げて言う。


「たいていのことはできるように、練習しましたから。レナードさんも、繰り返し何かを頑張ればいつかは出来るようになりますよ」

「うっ…、が、がんばります」

「レポートとか」

「そっ、それは言わないでっ!」


 そう話している間に、教材室に到着した。

 前日に採点をしたノートの一部を、彼女に持たせる。


「では、運ぶのを手伝ってくださいね」

「えー、おもーいー」

「再提出のプリント、あれ提出期限一昨日でしたよね?」

「…えっ」


 ペナルティですよ。

 彼女はにっこりと笑い、レナードとともに教室へと足を運んだ。


 その日の放課後、生徒たちが下校時間に差し掛かったころ、校門へと足を運ぶ。下校指導は各学年ごとに任されているが、担任の教師はホームルームなどで忙しい。ヤッチェは副担任という立場の上、下校指導では駆り出されることが多いのだ。多い、というよりは毎日だが。

 

「せんせーさよーならー!」

「はい、さようなら。気を付けてくださいね」


 年齢は13を超えた生徒ばかりのはずだが、いかんせん幼さを感じる。

 幼子のように手をぶんぶん振って下校する生徒を見て、少し苦笑い。

 最近の子供というか、自分の頃もああだったのかなぁと、ふと昔を思い返した。教師の立場になって分かったが、子供というのは本当に幼いものだと思う。一部大人びている生徒もいるが、ほとんどに幼い言動が目立つ。それが成長とともになくなっていき、大人へと成長する様子を見ることができるのが楽しみだ。教師として、これは一つの実感ややりがいともいえる。


(まあ、それにしても幼いですよねぇ…)


 大声で歌いながら帰ろうとする生徒に、帰り道は静かにと注意をする。

 もはや何度目かわからないこのやり取り。

 ホームルームも終わり、ほとんどの生徒が下校していく。その中には自分が担当する1学年の生徒もいる。数十分ほど校門の前で生徒を見送り、あとは居残り組や自主的に残る生徒だけと思い、ヤッチェは職員室へと戻ろうと振り返ろうとした。

 

 その時だった。ふと、後ろから声が聞こえた。


「ふむ、生徒はもう全員下校したかね?」


 ねっとりとした、いやな声。

 思わずしかめそうになる表情を無理やり笑顔にし、私は振り返る。


「お疲れ様ですチャオポリ先生。あと、数名校舎に残っているかと」

「まだ残っている生徒がいるのかね? はあまったく、どうせ居残り組だろう?」


 大きな腹を揺らし、やれやれとわざとらしく手を振る。

 チャオポリ・ボンボ。ドザール学園3学年の学年主任。

 私は彼が苦手だ。私よりも数倍大きい体躯を揺らし、いやな目でいつも見下ろしてくる。そしていつも貶すように言ってくるのだ。


「君もそう思わんかね。全く、ドザール学園の卒業生として恥ずかしく思うよ。いつもいつも居残りがいるこの状況に」

「…はは、でも、自主的に勉強をする生徒もいm―――」

「勉強ぐらい家でできるだろう、全く。どうせ居残りしているのも平民だろう? 私がいたころと何も変わらないんだな本当に。いい加減、奴らをどうにかせねばならんだろうに」


 ―――ああ、こういう思想が私は苦手だ。

 平民だとか、貴族だとか、そういう括りを持ってこないでほしい。

 確かに、この学園では一部貴族―――いわゆる高貴な身分の生徒もいる。貴族の生徒は確かに、同じ学園の生徒として扱うにしても、贔屓する場合がある。学習面や進路などでは、平民の生徒にはなるべく気づかれないように彼らを優先することがある。

 だがそれは、多少優先する程度だ。学園の規則として、優先といっても限度がある。なにせこの学園は貴族と平民の共学の学び舎だ。それゆえ、平民を冷遇することなどあってはいけない、むしろ平民の方が多いのだからそうしてしまえば多くの反発があるのだが…


「ああそういえば、あなたも―――おっと失敬」

「あはは…」


 わざとじゃないだろうか。

 いや、絶対わざとだ、百パーセントわざとだ。

 私の身分は、貴族ではない。

 彼からしてみれば、私も貴族以外の者に入っているのだろう。

 

「では、私は戻らせてもらうよ。居残り組に早く帰るように言ってくれたまえ。まったく、いつまでも残って私たちの仕事を増やさないでほしいものだよ」


 仕事が増えるのは確かだが、そこまでいう必要はないのでは。

 そう思うも、口にするとまたややこしそうなので言わないでおく。

 どすどすと足音を立てて校舎に戻る彼の背を見て、溜息を吐く。


「…結局あの人何のためにここに来たんですかね」


 誰に言うわけでもない愚痴を吐き、私も校舎へと戻った。




 ===========




 ドザール学園には東に広大な森林が、西に大きな湖がある。魔法学では湖を、騎士を志す生徒が受ける騎士学では森林といったように、各授業によって学校外での課外授業が行われることがある。

 私が担当する生物学も、頻繁ではないが課外授業を行うことがある。

 そしてちょうど今日が、1学年にとって初めての課外授業だ。


「せんせせんせっ! 目、見せてっ!」

「だからだめですってば」

「けちー!」


 生徒たちは初めての場所で、辺りをきょろきょろと見渡し、落ち着かない様子。

 あの授業以来、レナードさんは私の目を見たがっている。会うたびに目を見せてというが、今日は特にそれが多い。彼女も、新しい環境に落ち着かないのだろう。

 またそれだけでなく、私の背中にいる子についても気になるのだろう。


「はい、注目してください。今日の授業は見ての通り、学園東側での課外授業になります。今日は学園が見えるところまでしか行きませんが、騎士学などでは森林の奥に行くこともあります。そうはいっても、慣れないと危険につながってしまいますからね。今日は慣れることを重視して、ここで授業をしましょう」


 校門を出てわずか10分ほどの近場。

 森林地帯の入り口といっても過言ではない場所で、生徒たちに腰を下ろすように指示をする。

 全員が座ったのを確認して、私は背中にいる子を胸の前で抱えなおす。


「では、今日の授業についての解説をします。今日はこの子―――ドッチェヘビについての観察を行いましょう」


 クルルと喉を鳴らし、黄色いウロコを震わせるドッチェヘビ。

 ドッチェヘビはおとなしく、ここら一帯でよくみられるヘビだ。人を襲うことはよっぽどのことがない限りありえない種類であり、学園でも幼体を飼っている生徒は多い。

 今日私が抱えてきたのは、学園で世話をしている子の一匹だ。


「ヘビが苦手な生徒もいるでしょうが、生物学とは生物と触れ合う授業です。無理して触れとは言いませんし、アレルギーの生徒もいるなら挙手を。…いませんね」


 ヘビアレルギーってあるのかな? たぶん、あるだろうなぁ。あるかもしれない。事前にそういう生徒がいないことも確認したが、一応念のため。

 女子生徒のほとんどは嫌な表情をしているが、安心させるために言う。


「ドッチェヘビはヘビの中でも特におとなしい子たちです。学園でもペットとして飼う生徒もいますし、ネズミではなく果物など、植物を食べる動物です。学園で飼っているこの子も、果実しか食べない子ですし」


 それにと、私は腰に手を当てて言う。


「前にも話した通り、私は【ゴルゴン】です。ヘビ人間ですよ。ここ数か月、皆さんは私の授業を落ち着いて受けられてますので、大丈夫ですよ。ヘビに対する耐性はばっちりです」

「そうだそうだー」

「…まあ、レナードさんのようにフランクになりすぎるのも問題ですが」


 冗談もほどほどにして、私は授業を始める。

 係の生徒のあいさつを終え、各班ごとにレポートのシートを渡す。

 

「では…」


 全員にレポートのシートが行き渡ったのを確認したのち、指笛を吹く。

 その数秒後、森林地帯から数匹のドッチェヘビがにょろにょろと。


「「「「ひっ」」」」

「…だ、大丈夫ですよ。さっきも言った通りおとなしい子たちばかりですから」


 おおよそ10匹ほどがにょろにょろと出てくると、ほとんどの生徒が悲鳴を上げた。

 …そんなに、怖いですかね。気持ち悪いですかね。

 

 ちょっぴり傷つきながらも、私は授業を進める。


「この子たちには事前に、ここら一帯を自由に行動していいと伝えてあります。皆さんは、各班で一匹に絞って観察を行ってください。では、どうぞ」


 やはりというべきか、男子生徒が最初に動く。

 その後ろから女子生徒がついていき、おそるおそる観察が始まる。


 でっかー。やばー。意外とかわ…いや、怖いわ。

 ウロコザラザラしてるー、うちのワニと同じー。えっ。


 生徒たちの声を聴きながら、私は一班ずつ回って指導をしていく。


「ああ、スケッチは一筆書きで…そうそう。影をつけてはいけませんよ。二重描きもだめです。繊細なのでウロコをはがそうとしないでくださいね。…む、無理なら下がってもいいんですよ」


 目を輝かせてスケッチをする生徒や、スケッチはできたが特徴がまとめられない生徒。我慢して触ろうとするも、やはり難しい生徒など、色々な生徒がいる。

 あちこちに散らばっているため、休む暇はないが、やはりこうしていろいろな様子を見るのは楽しい。あとで評価をするのは大変だが、こうして生徒が頑張る姿を見るのは好きだ。

 もっと撫でてほしいのか、生徒の首に巻き付こうとするドッチェヘビをそっと抑えながら、各班の間を練り歩く。

 

 ちょうどその時、声が聞こえてきた。


「――――おやおや、これは困るなぁヤッチェ先生」


 森林の奥から、つい先日も嫌味を言ってきたあの先生の声。

 顔を向けると、にやついた表情を浮かべたチャオポリ先生がいた。その後ろから、3年生の生徒たちが重そうに何かを運んでいる。


「お疲れ様ですチャオポリ先生。その、困るとはいったい…」

「事前にお伝えしたはずですが、今3学年で騎士学の授業をしておりましてええ。ちょうど今日ここ一帯を使うと伝えたはずですけども」

「…聞いていませんが」

「言いましたよ今朝の会議で」


 そういうのは、もっと事前に、言うべきでしょうがっ!

 同じ場所を使うならば事前に連携すべき内容だ。教室だって無限ではないし、課外授業だって安全のため場所の制限はある。当然、私は2週間前に話をしている。

 カリキュラムを組む先生にも伝えてあるし、学園長にも許可を取っている。なんなら、今日のことは2週間前の朝の会議で連携済みである。

 先に言っていたのは私の方だ。


「…私は2週間前に、全体の場で伝えましたが」

「そうでしたか? ですが、以前も言いましたが授業は3学年を優先してくださるように伝えましたよね? ああ、大丈夫ですよ。少し―――2時間ほどこの場を借りるだけですから」


 それ、こっちの授業はすでに終わっているんですけど。

 嫌味ですか。たぶん嫌味ですね。絶対嫌味です。


 とはいえ、立場としては私は下の下。

 相手は学年主任であり、まして貴族にも精通している教師。ここでもめたとしても、正直私が勝てる見込みはない。

 ふと視線を逸らすと、不安そうに見ている1学年の生徒たち。

 私のプライドとかはどうでもいいが、生徒に迷惑がかかるのは困る。

 さてどうするか、抗議してもいいが、この人がすんなり折れるはずが―――


『ガンッ! ガンッ!』


 鈍く響く。金属をたたく音。

 音がした方を見ると、先ほど3学年の生徒が運んでいた荷物からだ。

 …あれは


「チャオポリ先生。お伺いしますが、あれは何を…」

「おっと、そうでした。ちょうどいい。1学年の生徒諸君にも見せてあげましょうか。今ね、騎士学をしているさなか、面白いものを捕獲しまして」


 荷物―――箱の向きを変わって、はじめて私は気づいた。

 鋭い牙に、強靭な爪。今にも檻を壊しそうなほどに暴れているそれは―――


「―――ドレイク、です、か」

 

 ドレイク―――小型の竜種だ。

 小型といっても、大人は10メートルは優に超える種族。だが、檻の中にいるそのドレイクの体躯はあまりにも小さい。

 まるで、子供のような―――


「森林地帯の中心付近でですね、1匹でいたのですよ。いやあ、ちょうどよかったです。今日は獣を生け捕りにし、野営の練習をするつもりだったのですが、予定を変えましてね」

「…1匹で、いたのですか」

「ええ、それに弱っているようでして、いやあ、捕まえやすかったですよ」


 誇らしげにチャオポリ先生は言う。

 だけど、私はそんなことよりも気になっていた。

 明らかに、あのドレイクは子供だ。それも、相当幼い。おそらく、生後2月もないだろう。まだ母親の乳で育つ年齢のはずだ。それが、森の中で一匹でいた?

 それともう一つ、あのドレイクの色に、私は覚えがあった。


「青色の…尾が長いドレイク…」

「おそらくはムール・ドレイクの一種でしょうな。あの青いウロコからしてそうでしょう。いいものを捕まえられました。確か学園長がサンプルを欲していましたし、これで我が学年も箔がつくというものです」


 確かに、色は似ている。

 ムール・ドレイクは青色のドレイク種だ。気性が非常に荒いため、捕獲することは難しい。子供であれ、容易いものではないだろう。

 だけど…確か、ムール・ドレイクの生息地は…


「…失礼ですが、森の中で、捕まえたんですよね」

「まさか、疑うとでも? それは私たち3学年に対して、失礼では?」

「確認のためです。お伺いしますが、森の中、でですよね? 近くに沼や川は?」


 その言葉に対し、多少イラついたように彼は返した。


「全く、これだから…森林のど真ん中で、ですよ。捕まえたのは」


 では、きっとあれは…


『GUGYAAAAAAAAAAAA!!!!』


 森の奥から、獣の声がこだまする。

 3学年の生徒はその声に反応し、盾や剣を構えた。その動きはさすがというべきか、非常にスムーズではあった。しかし、1学年の生徒はそうでもない。

 まだ入学してすぐの子たちだ。その声に驚き、固まってしまっている。


「はぁ…皆さん、私の後ろにお願いしますね」

「えっ、せんせ…?」


 固まっている生徒を引っ張り、森から距離を取る。

 幸いにも授業が始まってすぐのため、1学年の生徒はそれほど離れてはいない。ドッチェヘビたちも手伝ってくれるのか、生徒たちを誘導してくれている。

 数十秒後、バキバキと木が折れる音が近づいてくる。

 木々の隙間から、それはぬっと顔を出す。


「…ああ、やはりそうですね。ムール、ではないですね」


 青白い肌に、大玉のボールのような赤い目。

 頑丈なウロコは逆立ち、口角は怒りで震えている。

 木に隠れているが、体長は10メートルどころではない。

 ギロリと、そのドレイク―――ギル・ドレイクはこの場にいる全員をにらみつける。


「―――」


 ぽかんと、チャオポリ先生はあぜんとした表情を浮かべていた。

 想像していたものと違ったのだろう。ムール・ドレイクは大人でも10メートルほどだ。十分に巨体ではあるが、眼前のドレイクはそれを遥かに超える巨体。

 その大きさと眼光に、3学年の生徒もすっかり震え上がっている。


「―――まあ、震えるだけ、まし。ですね」


 背中を向けて逃げないだけ、まだましな方。

 ドレイク種―――というより、自然の動物は逃げるものを追いかけることが多い。この状況であっても、背を向けて逃げる者が誰もいないのは普段の授業の賜物。

 癪ではあるが、チャオポリ先生の授業は成果を出している。

 癪ではあるけども。


「せ、せんせっ、あれっ…」


 私の裾をつかみ、レナードさんは震えた声を上げる。

 1学年の生徒たちは、当然ではあるがこのような事態には慣れていない。

 事前に距離を取らせていたため、すぐに襲われることはない。ただ、ほとんどの生徒がパニックになりかけている。今は震え、声をかすかに漏らす程度だが、あれが近づけばその限りではないだろう。

 私は裾をつかむレナードさんの手を押さえ、優しく声をかける。


「大丈夫ですよ、皆さん。少し、その場で動かないでくださいね」

「せ、せんせ…?」

「あれはギル・ドレイクという種でして。子供を追ってここまで来たのでしょう。ちょうどいいですし、森林地帯にはああいうドレイクもいるのですよ。なので、奥深くまでいかないようにしてくださいね」

 

 務めて、冷静に。

 この場で一番冷静に動かなければならないのは、教師だ。

 チャオポリ先生は固まってしまっているため、役に立ちそうにない。

 騎士学を教える教師がこのざまでいいのかと思うが、そうもいっていられない状況だ。私は1学年の生徒たちから少し離れ、ギル・ドレイクへと近づく。


「せんせっ! 危ないよ!」

「大丈夫ですよ」


 ドレイク種であれば、楽勝ですし。


 今にも襲い掛かりそうなそれの前に立ち、私は眼帯をずらす。

 誰の目にも映らないように、少し体を傾けて、私は目を開く。


「―――動くな」


 光が差し込む視界は、一瞬眩しくて焦点が合わない。

 数秒後、ようやく見えるようになった視界に、それは映る。


 ――――全身のほとんどが石になった、ギル・ドレイクの姿が。





 


 ――――目を合わせるな。石にされてしまうぞ。


 その赤い目は、しっかりと眼前の竜の目と合う。


 ――――夜になれば、子供を食らいに村に来るぞ。家を出るなかれ。


 かつて恐れられたその目を、その竜はしっかりと見てしまった。

 気づくと、体が白くなっている。重くなっている。 

 まるで、石のようだ。


 ――――決して目を見るな。鏡の盾を持ち、戦うのだ。

 

 鏡の盾を持たぬ竜は、目の前の小さな獲物を襲うこともできない。

 かろうじて呼吸はできる。ただ、それだけ。

 

「落ち着いてくださいね。こちらも、悪いことはしませんので」


 にこりと、彼女は笑う。

 赤い、紅い目を細めて。

 【ゴルゴン】は体が石になった竜を見て、笑うのだ。




 ===========




 大人のギル・ドレイクの体を石に変えて拘束したのち、私は眼帯をつけなおす。

 固まって動かないチャオポリ先生を放置し、3学年の生徒に指示を出す。最初は戸惑っていた彼らだが、森の入り口で石になりかけているギル・ドレイクを見てすぐに動き始めた。

 大人のギル・ドレイクが来た理由は簡単だ。子供を追ってきた、それだけ。

 檻から出すとすぐに、子供のドレイクは親の元へと駆け出す。

 その様子を見て、私は眼帯の下で目を閉じる。

 大人のギル・ドレイクの体は、徐々に色を取り戻し、一分もたたぬ間に元に戻った。きょろきょろと、子供と私を見て、すんなりと森に帰っていった。いくらドレイク種といえど、学園の近くにいるわけで、それほど恐ろしいわけではない。

 ただ、今回は状況が悪かった。子供が捕まれば、そりゃあ怒るだろう。騎士学を専攻している生徒たちも、あのような状況は経験がなかった。本来であれば教師であるチャオポリ先生が指示を出すはずで、というか子供の生け捕りなど本来すべきではないのだが…

 

 ギル・ドレイクが暴れる前に事を収めたため、けが人はゼロ。

 チャオポリ先生は学園長から怒られたそうだ。というか、ドレイク種の子供のサンプルなど、学園長は欲しがっていなかったようだ。その場でチャオポリ先生が見栄を張って言っただけみたいだ。

 

 それよりも、その後の対応の方が大変だった。

 本来予期せぬ出来事のため、当然だが保護者への連絡を行った。それによって当然ともいえるが、クレームが入った。

 やれ森林地帯に行かせるななど、先生がついていてこのざまは何だなど、色々言われた。私は止めた側なのだが、向こうからしてみれば私も同じ扱いなのだろう。このような事態を起こすなとがみがみと言われた。おかげで、ここ1週間保護者対応で帰宅が遅い。


 それともう一つ、頭を抱える案件が―――


「先生! あれ見せてあれ!」

「もっかいもっかい! 見たい!」

「眼帯外して! あれ、動くなってやつ」


 生徒たちから、あの時のことをせがまれてしまうのだ。

 目を見たら石になるなど、彼らからしてみればもはや知ったことではない。一週間前までおそるおそるだった声は、歯止めが利かなくなってしまった。石になれば死んでしまう、元に戻れない、という話はもう通じない。あの場で、石になるのを解除してしまったのだ。その様子を見た生徒たちからは、あ、戻せるんだ、なら見せてと声をかけられる。

 休憩時間は言うまでもなく、ひどいときは授業中も。

 見せることは絶対にしないのだが、興味がそう簡単に収まるものではない。 


「せんせっ! ほら、見せて!」

「だから、だめですってば」

「けち! どうせ戻せるんだから見せてよー!」

「絶対だめです」


 今日も、私は溜息を吐く。

 ここ数日ですっかり聞き飽きてしまった。


「先生の目が見たいのっ! お願い見せて!」


 だから、だめですってば。

この後、魔法学の教師や騎士学の生徒からも見せてとせがまれたそうな。

生徒や教師から、逃げる姿がよく見られたらしい。


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