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シリーズものです。

 学校の音楽室にはグランドピアノがある。

 僕はピアノ椅子の座り、高さや鍵盤との距離を調整する。

「久しぶりだな、要の演奏聴くの」

「そうだな」

 トオルと典男はピアノのそば、教卓と黒板の間で僕の演奏を待ち望んでいた。

「でも、急にどうした?この前のライブ聴いて感化されたか」

「うるさい」

 図星を突かれて、僕は誤魔化すように打鍵をした。ピアノの音色が部屋を満たす。

 今度は鍵盤やペダルの感触を確認しながら音を出して体を慣らしていく。

 かれこれ5年は弾いていない。果たして僕の体は覚えているだろうか。

 ド・ソ・ファ・レ

 聴きなれた音が耳に入る。

 うん。

 僕は試しに定番の『猫ふんじゃった』を演奏してみた。楽譜も必要ないくらい弾いて覚えた曲だ。学校でも自宅でも何度も弾いた。

 最初はゆっくりと指の運びを思い出し、途中からは段々とテンポを上げて弾いていった。

 やはり体は覚えているもので、考えなくても体が自然と動いてくれた。

 弾き終わると拍手が2つ起こった。

「おー、できるじゃん」

 典男が感嘆とともに言う。

「まぁ、これくらいはね、楽勝だよ」

 内心緊張していたが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。終わってしまえばどうということもない。

「次は何かリクエストに応えるよ。聴きたい曲ある?」

 調子を良くした僕が2人に尋ねる。

「トオル、何かある?」

「うーん、急に言われるとパッと思いつかない……」

「俺も音楽については詳しくないんだけどさ……」

 典男はそう前振りをしてから言った。

「『ラ・カンパネラ』で」

「お前絶対知ってて言ってるだろ」

『ラ・カンパネラ』はピアノの難曲として有名だ。典男は無駄にそういう情報を知っているから厄介なんだ。

「まぁ、やってみるか」

 僕はスマホで曲の譜面を調べて、譜面台に横に立てかけた。

「え、できるの?」

 ネタのつもりで言ったらしい典男が驚いている。

「見様見真似。不格好もいいところだけどな」

 僕は練習のつもりで弾いてみた。

「す、すげえ。知識でしか知らないから上手いのかどうか知らないけどすげえ」

 弾いてから1分。典男が正直な感想を呟いた。

 正直言って下手だ。音の強弱も指の運びもまだまだだ。それにテンポも本来の曲よりゆっくりと弾いている。

 でも、久しぶりの演奏は楽しい。こんなに楽しいのに、どうして止めてしまっただろうか。

 ピアノ椅子の触感、しっかりと伸びた背、素早く動く五指、優しい音色、そのどれもが当時の僕の記憶を思い出させた。


 小さい頃からピアノを習い、ピアノが好きでよく弾いていた。

 小学校の時にはそれなりの演奏技術が身についており、合唱コンクールの伴奏を任されるほどだった。

 僕はそれを聞いて喜び勇んでいたが、クラスメイトの彼女はそうではなかった。

 彼女もまたピアノを習っており、合唱コンクールの伴奏をしたかった。

 ピアノの技術に対するプライドもあったのだろう。選ばれた僕を目の敵にした。

「ピアノを弾くなんて女の子みたい」

「男のくせに顔も性格もピアノも女の子なんだね」

「男が伴奏なんて変。他のクラスは女の子がやるのに」

 当時の彼女に差別的な意識はなかったと思う。僕への嫉妬。それだけだったと思う。

 でもその言葉は僕を深く傷つけた。

 ピアノを弾くたび、彼女の言葉が頭をよぎって指がうまく動かせなくなった。

 反芻された言葉はどんどんと僕の中で増長し、そうしてついに僕はピアノを弾けなくなった。

 事情を知ったトオルは僕の代わりに憤った。

 自身も似たようなコンプレックスがあったまこっちゃんは共感し僕を慰めてくれた。

 典男は事情を詳しく聞かなかったが、いつもと変わらないノリで僕と接してくれた。

 あの時、3人はそれぞれのやり方で僕の心を守ってくれた。

 ピアノはその件以来弾かなくなったが、おかげで僕の心は折れることはなかった。


 曲を弾き終わると、僕は鍵盤からだらんと手を放す。

「要!?」

 トオルが驚きの声を上げる。

 それはたぶん、僕の右の頬を伝うもののせいだろう。

「あー、くそ。目にゴミが入った」

 僕はわざとらしく袖で涙を拭う。

「へっ、どうだよ。僕にかかればどんな難曲だってこの通りだ。さぁ、次は何を弾いてほしい?」

 感傷に浸る時間を与えないように、考えないように僕は曲を夢中で弾き続けた。


 廊下からは夕日が差し込んで、床を茜色に染めた。

 空いた窓から外を見ると、野球部がグラウンドの片づけをしていた。

 かなりの時間を僕は弾いていたらしい。

 どうりで汗が出てくるわけだ。

 僕は歩きながらカッターシャツをパタパタさせる。

 体の火照りが静まってくると、1つの疑問が浮かんできた。

 僕は元々飽き性で、小さい頃から習い事が続かなかった。それなのにどうしてピアノは続けたんだろうか。

「なぁ、要」

 考えている僕にトオルが声を掛ける。

「なに?」

「偶にでいいからさ、またピアノ弾いてくれよ。やっぱり俺、要のピアノ好きだわ」

 はにかみながらトオルは言った。

 その顔を見て思い出した。

 ずっと昔、僕の演奏を褒めて、好きで、聴いてくれる存在がいたんだ。

 そいつは今みたいに笑顔を見せながら言ってくれたんだ。

 高鳴る鼓動を隠しながら、平静を装いながら、僕は目を細め口角を上げて返した。

「偶にだぞ。特別にな」

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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