チエコは東京に〇〇が無いという
本作品はあくまでもコメディです。あまり真に受けないでくださいね。
舞台は大阪ですが、あえて標準語に翻訳してお届けします。
武 頼庵(藤谷 K介)様主催『if物語企画』参加作品です。
仕事帰りに、見覚えのない電話番号からの着信があった。不審に思いながら出てみると、それは幼なじみのチエコの母親からだった。
「えっ、もしかしておばちゃん? うわー、ご無沙汰してます。どうしたんですか、急に?」
『ごめんね、カズヒロくん。ちょっとお願いしたいことがあって。
チエコが今、お盆休みで大阪に帰ってきてるんだけどね。──近いうちに、あの子をデートにでも誘い出してもらえないかしら』
翌日、スマホのメッセージでチエコを呼び出したカフェに行ってみると──なるほど。これはおばちゃんが心配するのも無理ないな。
いつも笑顔を絶やさず、バイタリティの塊のようだったあのチエコが、まるで生気のないげっそりとしたやつれようだ。
これは、下手にからかうのはヤバそうだな。
「よう、久しぶり。──と言っても就職前に会ってるから、まだ半年もたってないか」
「カズヒロは相変わらず元気そうだね」
無理に作ったその笑顔が痛々しい。
「今の私を見ても驚かないってことは──どうせ、母さんから頼まれたんでしょ?」
ちぇっ、お見通しか。なら、ヘタにとりつくろっても仕方ないな。さっさと本題に入ろう。
「おばちゃんから、お前が仕事を辞めたがってるって聞いたんだけど、本気なのか?」
チエコは外資系の大企業に就職が決まり、しかもいきなり東京本社勤務というエリートコースだ。さすがは仲間うちでもいつもみんなの中心にいたチエコだと、俺だってその活躍ぶりを応援するつもりだったのだ。
そのチエコが半年足らずでこんなに憔悴し切ってしまうだなんて、あの会社ってそんなに激務なんだろうか?
「違うわ、仕事内容に不満はないのよ。やり甲斐もあるしね。でも、どうしても東京の暮らしに馴染めなくて──。
大阪支社へ異動できないか聞いてみたんだけど、そんな短期間での異動なんて前例がないってあっさり却下されちゃった」
それで、会社を辞めて大阪に戻ろうかと悩んでるってことか。それにしたってもったいないだろ。あんな大手に採用されるなんて、チエコの大学ではめったにないことのはずだし。
「東京の暮らしに馴染めないってのは、あれか、食べもののことか?
うどんのダシの味とかもだいぶ違うっていうからな」
「ううん、それは割と何とかなるんだよね。関西風を売りにしているお店とかもあるし、通販で色々関西のものも買えるし。
馴染めないのは、むしろ人間関係の方かな──」
そう言って、チエコは少しためらいの色を見せたが、やがて俺の目を正面から見つめてこう言ったのだ。
「あのね、カズヒロ。東京はまるで異世界、異次元よ。会話がまるっきり噛み合わないの。
信じられる? 東京では──会話に『オチ』がないんだよ」
──まさか。そんな馬鹿な話があるか。
あまりの衝撃に俺がしばし言葉を失っていると、チエコはさらに続けてきた。
「同僚とかと会話しててもね、長々とつまらない話を聞かされて、いつの間にか話が終わってるのよ。
で、私が『オチは?』って聞くと、不思議そうな顔で『そんなものはないけど?』とか言うのよ。信じられないでしょ?」
信じられるわけがない! 会話にオチがないなんて、それでどうやって会話を締めくくればいいんだ?
「逆に、私が話の最後にオチを言うと、一瞬ぽかーんとした後に、『カワバタさんって面白い人だね』とか言われるのよ!? もうあんなリアクション、耐えられないわ!」
チエコは掌で顔を覆って大きくかぶりを振った。気持ちは痛いほどわかる。確かにそれはあまりに屈辱的だ。
何てことだ。チエコはこの半年ほどの間、そんな地獄のような日々を過ごしてきたのか。
やがて少し落ち着いたのか、チエコはまた弱々しい声で話し出した。
「それと、他にもね──カズヒロ、ちょっと想像してみて。
私とカズヒロが一緒に得意先回りをしている時に、私が『スマホのバッテリーが切れた』って言ったらどう声をかける?」
「うーん、『どこで充電できるか検索してみろよ』とか?」
「そうでしょ。そして私が『バッテリー切れてるのにどうやって検索するのよ!』ってツッコむか、一度検索するふりをしてからツッコむか、よね?」
「まあ、『ツッコミ』は『ボケ』への最低限の礼儀だし、出来れば『ノリツッコミ』まで広げたいところだよな」
「でも、東京の人は違うわ。こっちがボケたつもりでも、完全に真に受けちゃうのよ」
──う、嘘だろ!? まさかボケにツッコミが返って来ないなんて──そんなことが起こり得るのか!?
「──私もいちど同僚にそうボケたことがあったわ。そうしたらその人、真顔で怒り出したのよ。『だから、バッテリーが切れたって言ってるだろうが! ふざけてるのかお前は!』ってね。
それでわかったわ。東京の人にはね、そもそも『ボケとツッコミ』という概念がほとんどないのよ」
な、何てことだ。それでは、日本語の会話がまったく成立しないじゃないか。
『オチ』がない世界、ボケにツッコミが返ってこない世界──そんなの、まるでホラーかSFの世界だ!
うーん、これは仕方がない。
おばちゃん、ごめん。俺には説得は無理だ。
──それに本音を言えば、俺にだってチエコにあまり遠くに行ってほしくなかったという秘めてきた想いもあるんだ。
「そういうことなら、大阪に帰って来いよ、チエコ。今なら『第二新卒』の採用枠もあるだろうしな。
そんな異世界みたいなところで、お前がお前らしくいられないのは、やっぱりもったいないよ」
「──そうかな」
「そうだよ。こっちで仕事探したらいいじゃないか。俺も手伝うしさ」
それに、イザとなったら俺と──って、それを今言っちゃうのは、さすがにフェアじゃないか。
そこから先は、チエコが元のあの太陽みたいな笑顔を取り戻してから、の話だよな。
自分も大阪に引っ越してきた当初は、よく『え? オチは?』と言われて面食らったものです。
もちろん、全ての大阪の人、東京の人がこうだというわけではないですよ、念のため。