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美空家 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、つぶらやくん、今日はいま帰りか。お疲れさん。

 私は見ての通りの雑貨買い出し時間さ。たまたまでもできた時間を生かさないと、補充すらままならなくなるんでね。思い切って家を出た、というわけだよ。


 ――やたらとタイムセールとかのものが多い?


 うん、コスト面的にありがたいしね。ついついまとめ買いしてしまうんだ。


「特別」とか「限定」とかの言葉に惹かれない人は、世の中、そう多くないんじゃないかな。特に大人になればなるほど、抗いがたくなる感がある。

 自分の限界とかエンディングとか、考えることが増えちゃうからかな? それともやらなかったことによる後悔を味わうことがあるからかな? 

 昔に比べて、「やんなきゃソン、ソン!」と突き動かされる機会が増えたように思う。

 こいつは何も、人間社会だけの話じゃない。他の生き物たちも限られた機会を生かそうとするし、そもそも特定条件下でしか活動できないケースもあるだろう。

 私が前に友達から聞いた話なんだが、耳に入れてみないかい?



 いまから10年ほど前、友達が知り合いのひとりから、奇妙な写真を見せてもらったらしい。

 その知り合いは自称、フリーのトラベルフォトライター。Webで自分の旅先の写真をいろいろ紹介しているらしいが、中には公開せずにお蔵入りしてしまったものもある。

 撮り損じに限らない。個人的に「大勢へ見せるべきではないのでは」と判断した一枚なども含まれる。

 当時は心霊写真ブームで友達もその手のブツを愛好していた。そのお蔵入りしたものを、こっそり見せてもらうことがときどきあったのだとか。



 そして今回、見せてもらった写真は何とも不可解な一枚だった。

 周囲に一軒家とブロック塀が並ぶ路地。家の配置はまばらで、その間からふんだんに空がのぞいている。

 遠く連なる山々は、その青み帯びるだろう身体の大半をいまだ暗闇の中へ沈めており、そのひとつの間から、いままさに陽がのぼろうとしているのだろう。

 知り合いはデジタルカメラのファインダーをのぞき、じっくりピントを合わせたのち、シャッターを切ったらしい。

 が、そのまさに写真へおさめる瞬間、それが起こったんだ。


 知り合いは最初、自分のまばたきかと思ったらしい。一瞬、視界が暗転して、すぐ元に戻ったからだ。

 しかし、実際に撮れた写真を画像で見直すと、山の一部とのぞこうとしている朝日の部分が、隅のような黒いもので潰されてしまっている。

 そのままの状態でもう数枚同じように写真を撮るも、このような潰れ方はしなかったそうだ。レンズの汚れじゃない。

 虫にしてはいびつだ。航空写真で見る池の形のように、その輪郭はうねったり、のこぎりの刃のように細かいギザギザを帯びたりしている。

 そして表と裏のどちらが通り過ぎたにしても、肢や器官に相当する突起などは見えないんだ。

 知り合いは珍しくも気味悪いものが映り込んだと、この写真を保管しておくことを決めるも、これまで見てきたものの中ではまだ見つけやすそうと、友達は感じたらしい。



 翌日から、友達は夜明け前に起きて、デジタルカメラ片手に近所を回り始めた。

 いうまでもなく、あの被写体に出会わんとしていた。写真の実物は渡してもらえなかったから、自らの記憶が頼りだ。

 家がまばらに並び、塀が仲良く向かい合う一本道。そのかなたに山の切れ目がのぞく東向き。注意深く練り歩くと、いくつか合致するポイントはあったものの、大事なのはタイミング。

 写真を見るに、拝めるのは陽がのぼりかけるその時間だけ。複数のポイントをめぐる余裕などなく、一日に一カ所を張るのが精いっぱいだった。

 まるで流星群なきときに、流れ星を観るかのよう。幸いなのは、試みるべき時間が限られていて、何時間も待たされるおそれがないことか。

 友達は日によって、無作為にポイントを選んでいった。不可解なものに関しては、ローテーションより偶然に頼った方がいい。そのような思い込みがあったのだとか。



 友達は知り合いにならい、陽が差し始めるとともに、手にしたカメラのシャッターを切っていく。

 限られた時間の勝負なら、高速連写が役に立つと見た友達は、陽の頭が山間から差すや、その方角めがけて一気に30枚ほどを連写。直後に撮れたものを一枚一枚見やっていく。

 数カ月間、ことごとく収穫はゼロ。歩き慣れ、見慣れた景色たちが見えるばかりで、違いは庭の木の一角から飛び立つ、鳥や虫の姿がコマ送りになって現れるくらいだった。

 当初は期待をかけていた友達も、このころにはガッカリ感が勝りはじめ、なかば義務感に押されるまま、また夜明け前の街に繰り出していたらしい。


 肌寒さに、つい上着のポケットに手を入れたくなる時季を迎えていた。

 今日向かうポイントは、候補の中でも一番家から遠いところ。本来ならもっと家に近くて、すぐ帰れるだろうところを選ぶだろうに、その日の足は何となくそこへ向いたらしい。

 白い息を吐きながら、まだ人気のない一本道へ立つ。

 対向車が来ると、どちらかが隅へ寄って停まらなくては通せないような細い道。どこからか「キイ、キイ」と動物とも、木のきしみともつかない高い音が響いてくる。

 デジカメを操作する指先も震える。すでに何度見てきたか分からない山々の「谷間」からは空の白みがのぞき、また陽がのぞくのは時間の問題。

 写真を見てからも、知り合いには何度か確かめた。

 あの写真は、ほぼ日の出と同時のタイミングで撮られたこと。

 そして友達が見せてもらってより数日後。いつの間にか前後で撮った他の写真たちと同じように、黒が引いて本来見えるべき景色が写っていた、とのことだったらしいよ。

 

 

 そう考えを巡らせていると、にわかにまぶたに光が差す。

 陽が頭を見せたんだ。すかさずカメラを持ち上げ、その方向を定める。

 知り合いから聞いたブラケット撮影の設定もばっちり。一気に30枚連写を開始した。

 その連写音が鳴り出した矢先に。

 ぱっと、ほんのわずかな間だけ、あたりが暗くなった。友達も最初は思わず、目元をぬぐってしまったほどの違和感のなさだった。

 ほどなく、知り合いの話に思い当たる友達は、連写が終わるやデジカメの写真をのぞく。

 

 11枚目の写真。そこに、知り合いに見せてもらったのと同じ、黒ずみが浮かんでいた。

 すでに薄れ始めた記憶。ぼんやりとした照らし合わせだけど、今回のものはいくらか形が異なっているように思えた。

 でもその性質は同じもの。本来見えているべき太陽と山の稜線、それらよりずっと自分の近くにある、家々の屋根や庭の木たち。

 それらがすっかり、黒くいびつな輪郭のシミでもって塗りつぶされていたんだ。

 

「ようやく、ブツを手に入れられた……!」


 そう喜べたのも、つかの間。


 ぽたりと、デジカメの画面に落ちてはねる、しずくが一滴。それは透明でも、茶や黄色に濁っていたわけではなかった。

 そこに浮かぶのは、無数の色合い。

 黒があった。青があった。赤みがあった。緑があった……。


 そう、それらは前後の「完璧」な写真たちが含んでいたものと同じ。そしてこの写真が、損なっていたものと同じ。

 景色のあるべきそれぞれの色合いが、不出来な世界地図の大陸のように、しずくの中に浮かんでいたんだ。

 カア、とカラスにも似た鳴き声が、頭上高く響き渡る。

 一瞬、そちらへ目を移して、何もいないことを確認。また視線を戻した時には、デジカメの表面には、わずかな水気が残っているだけ。

 シミはきれいさっぱりなくなって、他と変わらない11枚目の写真の姿があったのだとか。


 陽が照り出る刹那の景色のみを、しゃぶりたいと欲する。

 それがカラスらしき声の主の望みだったのかもしれない。


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