幸せか、ですって? もちろんですわ!
長いです。
ヤンデレ出没注意。
バークレイ公爵領の『エイブリー修道院』は、創設者のエイブリー女史の縁者である年若い令嬢が、二人の友人と共に修道院の敷地内から何者かに連れ去られ、行方不明となったことで閉鎖された。
令嬢達の行方は三年経った今でも杳として知れず、エイブリー女史も沈鬱な面持ちで多くを語ろうとしない。
非常に優秀でありながら、当時の王家の犠牲となり、貴族令嬢としての人生を失って修道院に身を寄せた憐れな令嬢達の捜索には、異例のことながら聖域までもが力を貸す事態となったが、それでも発見に至らない彼女達の生存は絶望的と見られている────
「コレ、エイブリー様が高笑いなさってましたわねぇ」
魔術大国ルードの屋敷にて、お茶会中の三人の淑女が、今や王家の名を変えた故国の新聞をお茶請けに、きゃらきゃらと明るい笑い声を上げる。
お茶会の場所がルードの屋敷なのは、ルードの妻となったミリアムが現在二人目の子供を妊娠中だからだ。
もっとも、ルードは妻が妊娠中ではなくても屋敷から外に出すことはないのだが。
セシリア、ミリアム、シルビアは、三年前、バークレイ公爵領の『エイブリー修道院』に現れたサディアス達に、望んで穏便に拉致され国境を越えた。
その後、それぞれに用意されていた新しい経歴と身分の整合性をしっかり固めるために、一度別々の土地へ向かった。
セシリアはサディアスと共に、魔術大国大公領にあるエイブリーの隠れ家の小さな屋敷へ。
シルビアはマックスと共に、世界に点在する『冒険者マックス』の拠点の一つ、商業大国の隠れ家へ。
ミリアムはルードに厳重に魔道具で保護されながら、魔術大国王都のルードの屋敷へ。屋敷に入って魔道具を外されるまで、ミリアムの姿はルードにしか認識出来なくなっていたらしい。
三人とも、元は魔力持ちの孤児という経歴で、新しい名前を持つことになった。
失踪当時18歳の同い年だった年齢も、見た目や体格で差をつけて、実際のものから一、二歳ずらすことにした。
「ピンクゴールドの髪と瞳の少女」の手掛かりを追う、聖域からの追手を躱すためだ。
セシリアは、魔術大国大公領の孤児院で保護歴のある16歳の少女「ライラ」。
魔力量の多さから、本人と周囲の安全確保のために、大公領の『エイブリー修道院』でエイブリーから魔力操作の指導を受けながら育てられたことになっている。
魔力操作の指導のついでに、飲み込みの早い「ライラ」を面白がった修道院の女性達が様々な知識を与え、王弟大公夫人だったエイブリーからマナー教育も受けたことで、大国の姫君に匹敵する素晴らしい淑女が出来上がった。
エイブリーに恩を返すために、エイブリーの屋敷で侍女として働いていたところを、所用で訪ねて来た第三王子サディアスに見初められ、「ライラ」が18歳になるのを待って婚姻。という筋書きだ。
魔術大国の王族は、国内に残って国のために働くならば伴侶を自由に選ぶことが許されている。元が孤児でも問題にならない。
サディアスの二人の兄が身許のはっきりした高貴な姫君を娶っているために、魔術大国の王家からは却って歓迎された。
実力で選ばれた第三王子の妻が、下手に権力を持つ家の養女になってからの婚姻では、後から面倒も起きかねない。
サディアスは第三王子だが、特級国防魔導士という国防の要の立場だ。妻の実家が権力欲の強い後ろ盾となることは望ましくない。
おかげで王家及び王太子派、第二王子派の貴族や重臣からも、セシリアが拍子抜けするほど「元孤児大歓迎」だった。後見人が先代王弟大公夫人のエイブリーであることも好意的に見られた理由だ。
大公領は、魔術大国における魔力持ち孤児の専門孤児院の運営に信頼があり、あのエイブリーが手塩にかけて育てた逸材であれば王族の妻として不足は無いと期待もかけられた。
現在のセシリアは、実年齢21歳ながら、「ライラ・エデルバード」というサディアスの19歳の若妻として、サディアスが所有する魔術大国エデルバード領で暮らしている。
高い期待をかけられて上がったハードルを軽く超えて、「ライラ」はサディアスの仕事の助けにもなる古代術式の簡易化、汎用化を成功させた。
エデルバード領では、「ライラ」専用の研究室と資料館を夫から贈られて、好きなだけ古い術式の研究をしては、読み解いた古く使い難い術式の分解と組み直しに勤しんでいる。
自分のために使える時間がたっぷりとある毎日は、彼女の呼吸をとても楽にしてくれた。
シルビアに用意されていたのは、商業大国の密林地帯で十年前にクエスト中のマックスが保護した、魔力持ちの少女「アイビー」という経歴。
保護当時9歳で、魔力持ちの娘を人買いに売ろうとした魔力無しの母親から魔法を使って逃げている途中にマックスに捕まえられた。
追っていた母親は密林の入口近くで獣に襲われ死亡。母親は平民の流れ者で、父親は魔力持ちであること以外は不明。
保護した少女を商業大国の隠れ家に連れ帰ったマックスは、独学の魔法で密林地帯の奥まで逃げ切った「アイビー」のセンスに光るものを感じ、手元に置いて教育を施した。
やがて美しい大人の女性に成長した「アイビー」は、マックスの理想のパートナーにも育っていた。という筋書き。
冒険者としても人生のあらゆる場面でも、相棒として共に在って欲しいとプロポーズされ、20歳で「アイビー」はマックスの妻になった。シルビア、実年齢19歳の時だ。
冒険者マックスのパートナーとしては「Bランク冒険者アイビー」、マックスが本名で過ごす時は、魔術大国侯爵マクシミリアン・ハードラーの妻「アイビー・ハードラー」として、竜を狩ったり魔獣を調教したり淑女の仮面を被ったりと、退屈とは無縁の人生を送っている。
努力の結果が自分にリターンする人生は、徒労感が無く最高だと感じていた。
ミリアムは、魔術大国大公領の魔力持ち専門孤児院の保護歴を持つ20歳の女性「リー」になっていた。
見た目や雰囲気が大人っぽいとはいえ、ミリアムが実年齢より2歳も上に身分を作られたのは、「連れ帰ったらすぐに夫婦になりたい」という、ルードの熱望が先走った形だ。
赤ん坊の「リー」を拾って来たのは、当時大公領の魔力持ち専門孤児院で生活していた8歳のルードということになっている。
ルードは当時から「リー」に執着し、拾って来た「リー」を他の人間から隠して自分で育てた。
子供の頃から天才気質でちょっと変わった子だったルードなら「有り得る」と、彼を知る者達は皆納得している。
誰もルードが貴族の赤ん坊を誘拐して来たのではないか、なんて疑いもしない。「拾った」とされる当時にそんな事件は無かったし、「拾って」からもう二十年だ。
「リー」との馴れ初めを聞いたルードの知人の誰もが、探された形跡も無いのだからルードの言う通り「落ちてた」のだろう。という結論を出した。類は友を呼ぶ。ルードの周りには、似たような思考の人間が集まっている。
ルードが何処に「リー」を隠していたのか大抵の人は知らないし、ルードが隠しながら育てたから「リー」の姿を知る者もほとんど居ない。
地位も財産も安全な屋敷も手に入れたから、大人になった「リー」と、ルードは正式に夫婦になる。
という筋書きを、ルードは初対面で嬉々としてミリアムに提示した。
提示した時には、見切り発車で既に魔術大国内でルードは、「リー」ともうすぐ夫婦になれる喜びを同僚達に語っていたという、普通ならドン引きのオマケ付きだ。
この筋書きをアッサリ受け入れたミリアムに、サディアスとマックスだけでなく、セシリアとシルビアも「えっ⁉」という顔をしていたが、ミリアムにとってルードの執着は心地良く安心できるものだった。
初対面で煮殺されそうな熱量で想いを告白し、求婚してきたルードに対し、ミリアムが出した条件は一つだった。
その重い愛と執着を、生涯忘れず失わないで。
同じ苦しい立場に置かれた仲間であるセシリアとシルビアだが、セシリアにはエイブリーが、シルビアには実戦で命を守り合った女性騎士達が、閉塞感の中で心の支えになっていた。
それに、セシリアとシルビアの家は、貴族としてごく一般的な事務的かつ義務的な家族関係ではあっても、敵意の無いドライさは害にはならない。
ミリアムは生家の中で孤立していた。両親や後継ぎの兄より大分多い魔力量を恐れられ、一度教わったことを完璧に覚えて細部まで二度と忘れない記憶力を気味悪がられていた。
積極的な虐待は無かったものの、「気持ち悪いから」と近寄らず、姿が見えれば遠ざかって避け、「居ないもの」として扱われていた。
ミリアムは、ルードが「リー」を厳重に屋敷に囲って外に出さないことにも不満は無い。
外には出さないが、欲しいと願ったものは何でも手の届く所に用意してくれたし、セシリアとシルビア、そしてオルフェとの交流は、屋敷から出ないなら好きにしていいと、女性が好みそうなサロンまで用意してくれた。
二年前に「アイビー」としてシルビアがマックスと夫婦になり、去年セシリアが「ライラ」としてサディアスの妻になって全員が魔術大国で暮らせるようになると、「あちらに招待されても外に出せないから」と、屋敷内で友人夫婦を招待して小さな婚姻パーティーを開いてもくれた。
夫婦になって二年経ち、お腹も大きかったけれど、とても嬉しく幸福に感じた。
ミリアムはルードに、周囲の常識人達から危ぶまれるほど求められて、ようやく「自分は生きていても良いのだ」と想うことが出来たのだ。
ルードの愛と執着の中で溺れる日々は、ミリアムにとって至上の安らぎだった。
バークレイ公爵領の『エイブリー修道院』に迎えに行った時、一番拒絶されそうだと思われていたルードがアッサリとミリアムに受け入れられたことで、サディアスとマックスも勢いづいてセシリアとシルビアを口説き落とした。
口説き落としたと言うよりは、プレゼンテーションと交渉といった有り様ではあったが。
サディアスとマックスがセシリアとシルビアを妻に望んだのは、心の底から本気だったし、実物に会ったことも交流したことも無かったけれど、本心から彼女達を欲しいと願っていた。
だが、「欲しい」「惚れた」と言っても、才能や魔力といった釣書きにも記述されそうな条件面で乞われているとしか受け取られないだろう。
条件を知っての直感で、条件だけではなく、彼女達を欲して心が餓えているのだが、それを口や文章で説明するのは難しい。
だからサディアスとマックスの「口説き落とし」は、セシリアとシルビアを自分達の伴侶に望む理由と、受け入れてもらえた場合のメリットの提示となった。
セシリアもシルビアも貴族の娘だ。条件を擦り合わせた政略結婚が常識という世界で育っている。
もし条件から望まれただけの婚姻であっても、今までの自分の努力や才能が認められたのであれば十分に嬉しく思えたし、サディアスがセシリアに贈ると約束してくれた貴重な古代術式を豊富に収めた資料館や、マックスがシルビアに贈ると約束した極レア素材で造られた杖やナイフは、抗いがたい魅力があった。
名前も身分も変えて、故国を捨て、家族には二度と会えない。
その部分は、セシリア、ミリアム、シルビアの三人ともが問題視していなかったことも、彼女達の失踪が穏便に進められた一因だろう。
三人とも最初から、ほとぼりが冷めたら国を出るつもりだったのだ。
三人が身を寄せる先に『エイブリー修道院』を選んだのは、セシリアの大伯母が創設者だったことも理由だが、短期間で自立して新しい人生を歩む『卒院生』の多さに惹かれていた。
若くして貴族社会を退場したのだから、己の才と力だけで身を立てることを目指そうと、夢を語り合っていた。
結局、ミリアムは早々にルードに捕まって囲われているが、自立を目指さなくても、ルードと専門分野について語り合う彼女の笑顔は輝いている。
互いに良い刺激を受けているようで、ルードは視野が広がったと評価が更に上がり、ミリアムは一人目の子供の出産後から、「リー」として子供向けの魔法術式の技術応用論の本を執筆し始めた。
頭の中に、読んだことのある専門書だけでなく辞典も丸々入っているミリアムならではの、小難しい言葉が平易に直されたそれは、学生や新人魔道技師のバイブルにもなっている。
メリットをプレゼンして、一先ず連れ出した先で交流を深める手段を取ったサディアスとマックスは、時に強引ではあったが、誠実に紳士的に好意を伝え、互いをよく知り合うよう計らった。
十歳近く年上の大人の余裕というやつだろうか。
サディアスやマックスより年上のルードには欠片も余裕は見られなかったが、ミリアムにはそういう所が合っていた。
マックスは商業大国の隠れ家で、シルビアに冒険者としての心得や戦い方を教え、共にクエストに出掛けて「アイビー」の冒険者ランクを上げつつ絆を深めていった。
シルビアは、マックスの頼れる姿や厳しい姿勢、実体験からでなければ手に入らない豊富な知識や野生の勘めいた危機察知能力や状況判断力に、尊敬と憧れの念を抱くようになった。
共に過ごす間、マックスはシルビアを相棒であり恋人として扱った。仕事中は相棒として頼ってくれて、それ以外では大切な女性として甘やかして口説くのだ。
恋愛経験など皆無のシルビアが、惚れずにいるのは無理だった。
マックスは、シルビアの気持ちがきちんと固まってから、プロポーズをして妻に迎えた。
夫婦になってからも、マックスは妻を甘やかして愛を囁く。
マックスに応えたいシルビアは、益々戦闘支援魔法や杖術、ナイフ戦闘の腕を磨き、「アイビー」の冒険者ランクはもうすぐAになる。
サディアスは、小柄で華奢なセシリアを、いつも「可愛くてたまらない」という蕩けた表情と包み込むような視線で見つめていた。
外見や年齢など関係無く、「完璧な淑女」や「デキる女」として扱われ、その印象から勝手に「気が強いだろう」「気位が高そうだ」と思われ、子供の頃から「可愛くない」扱いを受け続けて来たセシリアは、社交辞令でもなく馬鹿にしている訳でもなく、本心から「可愛い」と愛でられることに慣れていなかった。
才能と魔力を気に入って伴侶に望まれたことに偽りは無いけれど、サディアスの、セシリアの外見や、さり気ない仕草も好ましいのだと隠そうともしない態度は、努力で積み上げたものだけでなく、素の「ただのセシリア」のことも認めてくれているようで、温かい気持ちになった。
用意した経歴が実年齢より2歳若く、18歳にならなければ婚姻が認められない魔術大国では、どうせ最短でも婚姻は二年後なのだから焦らなくて良いと、サディアスはセシリアに寄り添いながら、ゆっくりと距離を縮めた。
蛇足だがセシリアの故国では、16歳から婚姻可能だった。
サディアスはセシリアが何かを成し遂げたり苦手なことに挑戦すると、必ず褒めてくれた。
そして、サディアスのために何かをすれば、必ず「ありがとう」と言い、セシリアを不安にさせてしまえば「ごめん」と真摯に謝った。
戦友達の中で元の身分も婚約者の身分も一番高く、第一王子のお守りだけではなく、他の二人のことも婚約者ごと守らねばと、常に気を張って生きて来たセシリアの心と身体の強張りが、月日とともにサディアスの優しさに、ゆるゆると解けていった。
「ライラ」が18歳になる頃には、自然にセシリアもサディアスと共に人生を歩むことを望むようになっていた。
魔術大国の王族との婚姻であれば、お披露目は避けられない。
セシリア達の失踪直後は流石に不味いだろうというのが、「ライラ」の年齢を実年齢のマイナス2歳にしていた理由の一つだ。
聖域が「ピンクゴールドの髪と瞳の少女」が誘拐に関わっていると目されるセシリア達を探すのは、せいぜい一年だと踏んでいた。
18歳の高位貴族の魔力量の多い令嬢をまとめて拐う目的は、魔力の搾取か家畜扱いの繁殖くらいだ。
貴族令嬢がそんな扱いで一年も見つからなければ、死んでいるか廃人になっているか、いずれにせよ話を聞き出せる状態は過ぎていると考えられる。
二年も経てば、聖域の追手はセシリア達ではなく「ピンクゴールドの髪と瞳の少女」本人だけに絞られると予想していたのだ。
サディアス達には、「元魔力持ちの孤児」の経歴で名前と年齢を変えたセシリア達が、2〜3年もすれば大手を振って外出も出来るようになるだろうという勝算があった。
魔力持ちの孤児というのは、例外無く「訳あり」だ。
魔力持ちの子供は、両親または実親の片方が魔力持ちでなければ生まれない。
つまり、この世界の魔力持ちは必ず王侯貴族の血が入っているのだ。
それなのに孤児なのだから、そこからまず「訳あり」だろう。
実親の片方だけが魔力持ち、というのは魔力持ち孤児の最も多いパターンだ。
その99%は、魔力が有るのは父親の側である。魔力量に差が有りすぎれば、性交によって魔力の少ない側を最悪死に至らしめるかもしれないのだから当然だ。
世の中には、自分よりも弱い者を痛めつけることに愉悦を感じる腐った外道が存在する。
魔力持ちで身分のある男が、逆らえない平民女性を手籠にして、命は助かったが望まぬ子を妊娠して出産。
母親は生まれた魔力持ちの子供を愛することが出来ず、捨てるか孤児院へ預けるというパターンだ。
数は少なくなるが、もっと複雑な生まれの魔力持ち孤児もいる。
既婚の貴族同士の不倫で生まれて母親から捨てられた子供だ。
明らかに夫に似ていない、夫と面識のある不倫相手にそっくりだ、などの場合、生まれた子供を周囲には「流れた」と偽って下男や下女に金を握らせ「孤児院へ置いて来るように」命令する。
証拠隠滅さえ出来れば良いので、本当に孤児院に置いて来ることなど期待していない。むしろ途中で始末することの方を望んでいるくらいだ。実際、悲劇は無くはない。
無事に孤児院に保護されれば、この場合、両親とも魔力持ちの孤児だ。
片親だけが魔力持ちの孤児よりも魔力量が大きく、魔法の素質も高レベルなことが多い。
兎も角、魔力持ち孤児は例外無く「訳あり」であるために、それに慣れきった世間は「元魔力持ち孤児」の過去など一々探らないし、魔力持ち=王侯貴族の血が入っている左証なのだから、見た目に貴族的な美しさを持ち合わせていても違和感など覚えはしない。
運が良かったのは、セシリア達の髪の色が白金、青銀、マホガニー色だったことだ。
金、銀、赤の髪色の系統は、「貴族の落し胤」に良く現れる色なのだ。
瞳の色は、教皇のピンクゴールドや、一部王家に出る黒でも無い限り、瞳の色だけで出自を決めつけられることは無い。
セシリア達を知る故国の人間は、遠く魔術大国まで探しに来る余裕など今は無い筈だ。
彼女達を王命で縛っていた国王は、「妄言を吐き教皇を侮辱した」罪人として聖域に連行され、二度と帰国しなかった。
当時の王家の人間は、全て教皇の名に於いて破門が告げられたことで国を追われた。国を追われただけで、残された王族の処刑などは行われていない。セシリア達が後味の悪い思いをせずに済んで、サディアス達はホッとした。
王族を国から一掃した要職に就く貴族らは、新王として戴きたいから幼い王子を一人くれなどと、魔術大国を含む全ての大国に世迷い言を口走る使者を送り、全ての大国から入国禁止を申し渡され、結局国内貴族で王位を巡る争いが起きているらしい。
逃げ出せる者は、次々と国を捨てて出て行っていると言うから、その内に国としての体を為さなくなるだろう。
この世界で、大国ではない国が消えることは、それほど珍しくもない。
いずれ人々の記憶からも消えて往くだろう。
魔術大国第三王子サディアスと元魔力持ち孤児「ライラ」の婚姻は、公表されて多くの国民に祝福された。
セシリアの故国の人間が入国禁止になった魔術大国で、盛大なお披露目パーティーも開催され、サディアスと「ライラ」の仲睦まじい姿は見る者にも幸福な気持ちを運んだ。
夫婦になって一年。妻の「ライラ」が解読して利用可能な形に組み直した古代術式は、サディアスが担う国防の大いなる助けとなっている。
そして、魔術大国の国民に、もうすぐ目出度いニュースが齎されるだろう。
セシリアは現在、妊娠三ヶ月だ。安定期に入ったら公表することを、サディアスや魔術大国王室と話し合って決めている。
そのニュースが新聞の見出しを飾る頃には、仕事のために国外へ出ていたオルフェも戻っているだろう。
オルフェは更に進化した。
聖域の目を避けてエイブリーの屋敷に引き籠もっていたオルフェは、オリジナル魔法の研究を進めながらセシリア達との親交を深めた。
オルフェが教皇の色を持っていることはまだ知らせていないが、エイブリーが遺言としてセシリアに伝えることになっていた。
今はまだ、オルフェがセシリア達の生国の国王を通して聖域に喧嘩を売ったから手配されているのだと説明しているが、本当のことを知った時のセシリアの反応が、オルフェは今から楽しみだった。セシリアを信頼するオルフェは、『教皇の色』くらいでセシリアが引くことはないと確信している。
オルフェとセシリア達は、互いとエイブリーの予想通り、とても気が合い、良きライバルとして高め合いながら友情を育んでいた。
セシリアがサディアスと無事婚姻のお披露目を終えた頃、「研究の成果を試して来ますわ」と、エイブリーから受け取ったリストを片手に、オルフェは満面の笑みで仕事に旅立った。
光魔法を応用して、他人の目から見える顔貌を別人のものに変え、何処かの国で女性の努力を搾取する輩を成敗しに行くのだと言っていた。
光魔法の応用で、オルフェは光の速さで移動することも可能になったらしい。
光魔法って、そんなに万能だったかしら?
セシリアとミリアムとシルビアは揃って首を傾げたが、「オルフェなら何でもアリですわね」と頷き合って納得した。
先週、光魔法で周囲の背景に姿を同化させて聖域の教皇の寝所に忍び込んだというオルフェから、秘密の伝達があった。
二年前から寝たきりの状態である教皇の寿命は、そろそろ尽きるらしい。
現在も、聖域に『教皇の色』を持つ後継者は誕生していない。
教皇は神の代理人だと伝えられている。
地上を混乱に陥れないために、その証の色を持った者が生まれるのは、教皇が死ぬまでに、教皇の血統から一人だけとなっている。
既にオルフェが現教皇の存在の認識されていない落し胤である母から生まれている現在、もう現教皇の他の子供や孫からは生まれないのだ。
特殊な教育の賜で、教皇は聖女以外の女性との性交では子を成せないと思い込まされているために、教皇自身すら聖域の外に自分の子孫が存在していることを想像もしていない。
聖域は、血眼になって探しているオルフェを、教皇を騙る大罪を犯した詐欺師か、聖域からの脱走者の子孫だと考えている。
教皇の命の灯火が消えそうな今、どちらでもいいから手に入れたいと必死で追い求めているのだ。
一国の王を間近で騙せるほど巧妙に髪と瞳の色をピンクゴールドに見せられるような詐欺師ならば、その手腕は『偽教皇』を作り上げるために使えるし、本物であれば、一刻も早く捕獲して洗脳し、ずっとそうして来たように、都合の良い教皇に仕立て上げなければならない。
聖域の追手のすぐ側で、光魔法で姿を背景に同化させながらオルフェは、そんな聖域の目的をその耳で聞いていたのだが、追手は誰一人感知さえしなかった。
オルフェが聖域に捕らえられる日は来ないだろう。
遥か古い時代のことは分からないが、今の聖域は欲に塗れた亡者が犇めく地獄だとオルフェは思う。
神の代理人と崇められる教皇は、まるで人間の業の象徴のようだ、とも。
今の聖域の姿を、神は守ろうと望むだろうか。
自身の心に問いかけて、オルフェは首を横に振る。
神は地上の聖域を見放すだろう。
このまま、現教皇の寿命が尽き、オルフェが生涯一人も子を成さず死ねば、地上から『神の代理人』は消える。
人の世界を守るために神から遣わされた代理人が、私欲に走った人間達に洗脳されて家畜のように子を作らされ、傀儡として『教皇』の座に祀り上げられる世界を、神は何と見ているか。
この色を纏う存在が、真に『神の代理人』であるならば、オルフェの意思は地上に於ける神の意思である。
オルフェは、聖域を失わせることを望んでいる。
もしも世界の存続のために、『神の代理人』と聖域の存在が必須であるならば、現在の穢れた聖域を牛耳る亡者どもが死に絶えるまで、証の色を秘して存在を隠しながら血を繋ごう。
そう想いを馳せて佇むオルフェの眼差しは、正しく神の如し。
オルフェは、聖域を望まずとも、人間に絶望はしていない。
護り、慈しみ、導いてくれたエイブリー。
聡明で努力家で、優しくて可愛らしい親友セシリア。
好奇心旺盛で、頭は良いのに脳筋気味な友人シルビア。
異能を疎まれ抱えていた孤独を、愛で満たされ輝く友人ミリアム。
人の営みを、守りたいと思わせてくれる大切な人達。
「ただいま戻りましたわ」
「お帰りなさい、オルフェ」
神の代理人は教皇の座から見下ろすことなく、今日も愛する隣人の幸せを、同じ目線で眺めている。
いつか、人間という存在に絶望する、その日まで。
大切な人達の笑顔に心が浮き立つ今は、その日を遠いものと捉えながら。
Fin
一番のチートは、光魔法で何でもアリなオルフェです。
色々とご意見はあると思いますが、セシリア、シルビア、ミリアム、オルフェのハッピーエンドの形は、こうなりました。
祖国が国としては消えても、国民が全滅する訳ではないので、セシリア達も悲観はしていません。
家族関係は元々かなりドライ(ミリアムは生家では孤立状態)であり、明らかに婚約者から冷遇されているのを知っていても完全放置だった親兄弟に、特別な情は持っていないので、彼らが祖国でどうなっていようと関知しません。
特別な情が無いので、恨んでもいません。無関心です。好きの反対ですね。
積極的な虐待は無くても、「子供達は優秀なんだし王命には逆らえないし」、と、6歳から他所の権力者に辛く当たられている娘を、見て見ぬ振りで放置してきた親が、子供から親子の情を持ってもらえていると考えるのも厚かましい気がします。
家族を思い出しもしないセシリア達は、別に冷たい人間でも感情が無い訳でもありません。
この先は夫達に大きな愛情で包まれて、自分の子供や周囲の人間にたくさんの愛情を返していくでしょう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
このお話は、これにて完結とさせていただきます。