あら? お客様かしら
長閑な森を背にした澄んだ湖の畔、バークレイ公爵領の一角に『エイブリー修道院』は存在する。
修道院が名を冠している「エイブリー」は、セシリアの祖父の姉の名前だ。エイブリーには息子と孫息子しか無く、セシリアが生まれた時から「孫娘」の扱いで可愛がってもらい、交流が続いていた。
セシリアの生家であるバークレイ公爵家は、昔から魔力量が多く様々な魔法の素質に恵まれた者が生まれやすかった。
そのため、中規模で平凡な国の公爵家でありながら、曽祖父は魔術大国の筆頭公爵家の令嬢と留学中に仲を深めて妻に迎えることが出来、その縁で、非凡な錬金魔法使いでもあった大伯母エイブリーは、魔術大国の当時の王弟に望まれて嫁いだ。
大伯母は夫と死別した後、嫁ぎ先の魔術大国の大公領と生まれ故郷の公爵領に、それぞれ受け継いだ遺産と蓄えた私財で、「理不尽に社会的地位を失わせられた女性を保護する施設」として、修道院を建てさせた。
セシリア達が身を寄せた『エイブリー修道院』のことである。
エイブリー修道院の受け入れ審査は厳しいが、元婚約者達の婚約破棄計画を掴んでから直ぐに申請したセシリア達は、問題無く通過していた。
審査に通過した女性には、修道院からエイブリーの瞳の色に因んだ紫色の髪飾りが贈られる。それは、入居する日まで、入居の意思が変わらぬ限り着ける御守りのようなものだ。
紫色の髪飾りは、錬金術で造られた魔道具の一種であり、持ち主以外が無理矢理に外そうとすれば、「保護対象の女性に危機有り」として、エイブリー修道院の私設兵が髪飾りの持ち主の現在地へ出動する。
私設兵は、魔術大国で募集した腕利きの魔法使いや魔法剣士であり、ほとんどがエイブリー修道院で保護されていた女性だと聞く。
普段は姿を見せることもなく、修道院で共に暮らしている訳でもないが、噂によれば恐ろしく強いらしい。
手のかかる元婚約者らの尻拭いに奔走した日々を、すっかり過去のものとして忘れ去ることにしたセシリア達は、国王から送られて来た「報告書」を前に、ゆったりとティータイムに興じていた。
小鳥のさえずり、柔らかな風が運ぶ豊かな緑の香り。
コルセット不要のワンピースに、軽く自然に結った髪。手入れの手は抜かないけれど最低限で済む化粧。
まるで楽園のようだ。国王からの「報告書」に、一抹の不安を覚えないでは無いけれど。
「王妃様は『気鬱の病で療養』の口実で離宮に幽閉。第一王子殿下は王位継承権剥奪、断種処置、『月の塔』に生涯幽閉。思い切りましたわね」
第一王子が幽閉された『月の塔』は、「気が触れた」とされる王族が監禁される牢獄のような場所だ。
過去、ヒステリーを起こして度々刃物を持ち出し暴れた王女、二十歳を超えても人前に出せないほど言葉と態度が乱暴で矯正不可能だった王子などが入れられていたと記録がある。
一度入ると二度と出て来ることは無いと言われているが、王家の血を持つ故に、ソレ目的で思わぬ支援者が現れることがあるために、魔法で断種や不妊の処置をされてからの幽閉となるのだ。
期間は長期に渡っていたが、あの程度の愚行の代償としては、王国史を振り返ってみても、かなり重い。
王妃が、社会的立場を殺されたとはいえ、快適であろう離宮で王族としての尊厳を保たれたまま軟禁されるだけなのだとすれば、息子の罰は重過ぎないだろうか。
約束通り、自由を手に入れたのだから、今更、国王の下した沙汰に異論を唱えることはしないが、何か別の意思が介在しているような気がしてならない。
セシリアを蔑ろにし続け、気付かねばならないことに気付かぬことで見限られただけでは、第一王子がここまで厳しい処遇を受ける理由として弱い気がするのだ。
「宰相夫人は『長男の回復を祈るために』、国内で最も戒律が厳しく荒行まで課される修道院に入られたそうよ。その長男は、断種処置の上で、魔法薬の治験に協力する誓約書を提出し、魔術塔に居を移したのね。ただし、治験協力終了を以って侯爵家からは勘当ですって」
これも、ミリアムに対しての長年の態度と本人の不出来さだけの結果としては、重過ぎる処遇である。
王妃と違って母親の方も厳しい罰を与えられていることは納得出来るが、通常、王族でもない一貴族令息に断種処置が用いられるのは、令息よりも高い身分の女性への性犯罪に対する処罰としてだ。
表沙汰になっておらず、セシリア達も把握していないだけで、実は公爵家の女性や王家の女性への許されない行為があったと言うのだろうか。
勘当の文言が出るのは仕方の無いことだろう。
建国祭のパーティーで晒した醜態が悪過ぎる。あれだけの目撃者が存在しては、どう大目に見ても、この国の貴族として生きていくことは、もう無理だ。
魔法薬の治験協力については、罰となるのか褒美に転じるのかは博打のようなものになる。運が良ければ、魔力量が上がったり身体能力が上がることもあるし、何らかの特殊な耐性を持つ可能性もあるのだ。当然、運が悪ければその逆もあるが。
しかし勘当前提ではあっても、まさか、治験の時点では貴族である人間に、命を脅かすような危険のある魔法薬は投与しないだろう。
そう思うものの、ミリアムも何か安心出来ないような引っ掛かりを覚えている。
「辺境伯夫人は離縁されたのね。王家と辺境伯家の絆を深めるための縁談で陛下の妹姫が降嫁されたけれど、『王命に逆らうような躾を息子に与えた』として、離縁させて一旦陛下が引き取り、改めて妹姫の王族籍を抜いて、魔法による不妊処置を施した後、元王族の教育係だった厳格なご老人の後妻として再教育を依頼ですって」
「まぁ、筋は通っていますわよね。『王命に逆らう躾』となれば、他の二人もなのですけれど。この中では一番分かりやすい処遇と理由ですわ」
「辺境伯の長男の方は、やはり断種処置がされましたのね。その上で勘当。一兵卒として辺境伯領の地獄キャンプ全制覇を命じられたそうですけど。一体、この方達は何をやらかしたのかしらね。女性騎士達の情報網には、それらしき話は上ってませんのよ」
「わたくしが把握している限りでも、王室の諜報員からも何もありませんでしたわ」
辺境伯領の地獄キャンプの件は意図的にスルーして、三人は甘い果物の香りのお茶に口をつける。
参加者が揃って虚無を目に宿して口を噤むので詳細は参加者以外には誰も知らないが、辺境伯領には恐怖のミステリースポットが複数箇所あるらしい。
そこに防具無し食糧と水は一日分だけのナイフ一本で送り込まれ、サバイバル生活をしながら、「持って帰還しろ」と指示された何か(お札だったり玉だったり石だったりするらしい)を探し出して持ち帰る訓練が「地獄キャンプ」と呼ばれている。
一応、今までに死亡者が出たという記録は無い。行方不明者は、それなりに多いようだが。
勘当については、宰相の長男と同じ理由で仕方のない結果だ。
宰相の侯爵家も辺境伯家も、次男を嫡男として届け出がされたそうだ。
侯爵家の方は学術大国の伯爵令嬢を嫡男の婚約者として迎え、辺境伯家の方は辺境伯騎士団団長の長女である女性騎士が嫡男の婚約者のまま決定となっている。
両家とも、問題のある姑が影を落とすことも回避出来る形になったようで、これからは安泰だろう。結果として良かったのではないだろうか。
「ローゼ様の処遇については一文もございませんわね。お咎め無しということなのかしら。結局、ローゼ様の正体は分からず終いでしたわねぇ」
「ええ。あのパーティーよりも前までは、陛下もご存知無かったように見受けられましたのに、あの場ではローゼ様への警戒が解けていらしたわね」
「陛下が警戒を解いてらしたということは、高貴な血筋の方であるけれど敵対国の要人関係者や工作員ではないということかしら」
「少なくとも陛下はそう断じてらっしゃるのでしょうね。楽しげに独演なさってらしたもの」
「何か良いことがあったようにウキウキなさってましたわよね。長年の悩みからの解放感だけではありませんわ。きっと」
「わたくしも、そう感じましたわ。とても大きな利益を得られる取引を成功させた時のような高揚感が、ノリノリの演技に滲み出ておりましたもの」
どういうことかしら?
三人の令嬢は、揃って小鳥のように首を傾げたが、国王の喜びようの理由や得ているかもしれない大きな利益については、さっぱり何も思い浮かばなかった。
対外的には、王妃が「気鬱の病」で、第一王子が「気が触れて幽閉」なのだ。王太子になれる優秀な王子が他にいるからと言っても、十分なダメージを受ける醜聞であるし損害だろう。
それに国王の忠臣である宰相と王国騎士団長の長男らも、第一王子の影響を受けて気が触れたことになっているのだ。王家から災厄の種を出したと公の場で認めたようなものでもあり、王家の血の価値が下がりかねない危険な遣り方だった。
それだけでは無い。
やはり、どうしても元婚約者の男性達への沙汰が予想より重過ぎることが不審さを拭えないのだ。
彼女達の予想では、それぞれの母親からは離し、第一王子は王位継承権剥奪の上で離宮に幽閉して再教育。宰相侯爵の長男は後継者候補から外して社交界の出入りを禁じ、領地にて軟禁し再教育。辺境伯の長男は後継者候補から外し、社交界の出入りを禁じ、領地にて鍛え直し。という辺りが落とし所だろうと考えていた。
晒した醜態の程度によっては勘当という話も出るとは想像していたが、それでも、運が悪ければ死ぬような状況に置くことはせず、裕福な平民のお坊ちゃまくらいの生活は送れるように面倒を見るだろうとも思っていた。
それくらい温い沙汰になるという予想は、確信ですらあった。
全肯定する母親達とは違い、父親達の教育は厳しかったが、それでも親子としての甘やかしはあったと彼女達は感じているからだ。彼女達という婚約者を息子達に与えて王命による契約で縛り、お守りをさせていたのが、その証拠だ。
もう、ほんの僅かでも彼らが今よりマシであれば、彼女達が婚約を破棄することは、全力を使い果たせという内容の、あの契約により出来なかったことだろう。
ローゼのおかげで彼らにハッキリと公的に広く認知されるような瑕疵が作れたこと、足りないだけではなく不実でもある婚約者らのために全力で尻拭いに奔走する実績を、十分に積み上げられたことなどで、彼女達はやっと契約から自由になれた。
そうでなければ、彼女達の尽力により表面上は素敵な王子様や貴公子でいられた彼らを、この先も一生、尻拭いをしつつ支えていかなければならなかったのだ。
ゾッとしますわ。
想像して、彼女達はふるりと震えると、元婚約者らの重過ぎるように見える処遇に思考を戻した。
表向きは、第一王子以外の二人については断種処置をされたことは告知せず、パーティーでの醜態の責任を取らせて貴族家からは勘当し、治験協力や辺境領での武者修行のような、貴族令息に有りがちな罰を与えた形にするようだが、実際の内容は、運が悪ければ死罪と同等の結果になるかもしれないほど厳しい。
侯爵家や辺境伯家から見れば、長男達がやったことは、王命で与えられたのだとしても、たかが伯爵家の令嬢である婚約者への冷遇という認識だろう。
忠臣とはいえ、その罰にしては重過ぎるという不満を持たせる可能性も否定できない。彼女達が試験官であると知っていてもだ。
むしろ、だからこそ、彼女達の判断によって後継者となる未来を閉ざされるという罰を受けるのだから、それ以上の罰を息子に与える必要があるのかと考えるのではないだろうか。
忠臣、それも宰相と王国騎士団長から、内心に不満を抱えられる危険を冒してでも得たい利益とは一体・・・?
国王の「ウキウキ」で「ノリノリ」に喜びが滲むような態度を思えば、何者かに脅かされて止むに止まれず忠臣の長男らに重い罰を与えたとは考えられない。
多分、息子達の処遇も「ウキウキ」で「ノリノリ」に、自ら進んで内容を詰めたと思われる。
現在この王国を取り巻く環境の中で、そこまでして得たい、得られそうな利益があっただろうか。
いくら記憶を探ろうと、彼女達の優秀な頭脳でも答えは見つからない。
何を見落としているのかしら。
ティーカップの中の香り立つ水面を見つめ、言葉を失えば言い知れぬ不安が胸に押し寄せる。
外からは心地良い風と小鳥のさえずりが窓を越えて入り込み、空は青空で風景は実に明るく長閑である。
現在、彼女達が暮らしているのは、しっかりと安全が確保されたエイブリー修道院であり、不安を覚える必要など無い筈だ。
けれど、「このままでは終わらないのではないかしら」という思いが浮かべば、それが正解のような気がしてしまう。
「あら?」
小鳥の声と木々の葉音に交じり合い、遠くから馬の嘶きと馬車の車輪の音が近付いて来ているようだ。
この辺りにはエイブリー修道院以外に人家は無い。背後の森や湖も私有地なので、許可の無い者が勝手に入り込むことは出来ないようになっている。
となれば、近付いて来る馬車は許可を得た人物を乗せているということだ。
「お客様かしら」
予定には無いけれど、許可を持っているならば敵意のある人間では無いだろう。
三人はテーブルの上を片付けて「報告書」を厳重に仕舞い込み、出迎えのために玄関へと向かった。
地獄キャンプ→肝試しのようなものです。ただし、出て来るのは全部『本物』です。