あら? 打ち合わせと違いますわね
「婚約破棄? ええ、しますわよ? こちらから。」の続きです。
前作のお茶会の次の日のパーティーから始まります。
1時間毎に1話投稿。5話で完結します。
華やかなりし建国祭。ひしめく綺羅びやかな衣装の貴族達。さざめく喜びの声。飾り立てられた王城のパーティー会場は、今宵、いつにもまして賑やかなものだ。
セシリア、ミリアム、シルビアの三人の令嬢達は、それぞれ兄弟や従兄弟にエスコートを依頼して会場入りを果たしている。
セシリアの白金の巻き毛には紫色の布の薔薇が、ミリアムの青銀の髪には紫紺のリボンが、シルビアのマホガニー色の髪には濃いアメジストの髪留めが、昨日と同じく飾られている。
どの髪飾りも貴族令嬢が普段遣いする品としては十分だが、パーティーの盛装には相応しいとは言い難い質素な物だ。
しかし、この髪飾りは彼女達が選んだ未来の表明であり、それを変更する気は彼女達には無い。
入場後は兄弟や従兄弟から離れた彼女達が、婚約者のエスコートで入場しないのはローゼが現れてからは常のことであり、三人の令嬢達が堂々たる態度を崩さず笑顔でいることで、今では一々注目を浴びることも少なくなっている。
ミリアムとシルビアの元婚約者の令息達がローゼをエスコートしている様子を目にしても何も思わない三人だが、王族の入場が開始して王妃が欠席であることを知り、最敬礼で頭を下げながら、頭の中では状況の分析を始める。
王妃は第一王子の最大の後ろ盾であり、第一王子が王族として有り得ない言動を仕出かしても全肯定する諸悪の根源でもある。
建国祭のパーティー用のドレスも装飾品も、王妃からの注文が王室御用達の店にあったことも、それらが納品済みであることも、セシリアは婚約破棄の成立より前に王室の諜報員から報告を受けて知っていた。
王妃が今宵のパーティーを欠席することは、随分と急に決まったことのようだ。
国王の挨拶も終わり、乾杯の後は「皆で大いに楽しむように」と賜った言葉に従って、明るい音調の曲が奏でられると手を取り合った男女がホールで踊り始める。
第一王子もいつも通りセシリアに見向きもせずローゼと踊り出すが、セシリアもローゼもあまりに自然に振る舞っているので、最近では周囲が違和感を受けることが無くなって来ていた。第一王子だけが妙に気合の入ったドヤ顔を毎回晒すので、「ダンス中の第一王子殿下は、あまり素敵じゃない」と令嬢人気が下降気味だが、本人は気付いていない。
セシリア達は、いつもは誘われるままに何人かと踊ることにしていたが、今日は大事な日なので、ダンスに参加することなく、歓談スペースで扇子を口許に会場を見渡していた。
「王妃様はご欠席ですが、宰相夫人と騎士団長夫人はいらしてますわね」
「お二方とも何かを知らされているご様子もありませんわ」
「でも、あちら、ご覧になって」
シルビアが密かに視線を動かした先に、珍しい人物を見つけてセシリアとミリアムは「まぁ」と小さく声を上げる。
視線の先には、眼鏡と髪型で印象を変えているものの、普段は警備の任に就くことが多く、貴族としての参加は滅多にしない辺境伯の次男が、夜会服ですらりとしたドレス姿の女性をエスコートしていた。
「そういえば、つい先月に婚約者様がお決まりになったとか」
「辺境伯のご次男は、領地で辺境伯騎士団の団長に預けられてお育ちになったのよね。ご婚約者は、その辺境伯騎士団長のご令嬢でしたかしら」
「ええ。ご令嬢も女性騎士だそうよ。引き締まったボディラインに大人っぽいドレスがお似合いで艶やかですわぁ」
騎士団長は辺境伯でもあるが、王国騎士団の団長の任務のために王都に住んでいる。辺境伯領は、辺境伯の兄が領主の執務を担い、護りは勇猛な辺境伯騎士団が固めている。
現在の辺境伯騎士団長は、騎士爵を持つ「辺境最強」と言われる実力者だ。
シルビアの婚約者である王国騎士団長の長男は、王都で母親と同じ屋敷で育ち、次男は領地で最強の騎士に預けて育てられた。おかげで次男には母親の影響は及んでいない。
次男は16歳で王国騎士団に入団し、王都で暮らし始めても騎士団の寮に入り屋敷に顔を出すこともほぼ無いらしい。
同僚には仕事と鍛錬の多忙さを理由に挙げているが、酔って「王都の屋敷は居心地が悪い」と先輩に零したこともあると、シルビアは聞き及んでいた。情報源は女性騎士達である。
「ということは、もしかしたら、あちらの方は宰相様のご次男かしら」
今夜の動きの予想をつけて、セシリアは見たことの無い若い貴族の青年を密かに視線で示す。
国内貴族の顔は全て覚えているセシリアだが、その青年の顔には見覚えが無いために、最初から気になっていた。参加予定の他国の要人の情報も頭に入っているけれど、それにも該当しないのだ。
だとすれば、宰相侯爵の母君の出身国である学術大国の親戚に幼くして預けられた、留学中の宰相の次男ではないかと推測したのだ。
ミリアムがセシリアの推測を肯定する。
「あの髪と瞳の色は覚えております。幼い頃に一度お会いしただけですけれど、首の右側のホクロも確かに、あの方ですわ」
「エスコートなさってるのは婚約者様かしら」
「理知的な瞳の楚々としたご令嬢で、とてもお似合いですわ」
「学術大国で見初めた方でしたら、きっと優秀なお方ですわね。素敵」
三人とも、婚約を結んでいた家の将来については心の底から他人事として穏やかな気持で眺めている。
彼女達の婚約は、「母親に問題があるために足りない男に育ちそうな息子」をフォローさせる目的で王命により結ばれていた。だから、その息子との婚約が破棄された場合は、その家との婚約は二度と結ばないことも契約に盛り込んであった。
他のマトモに育った息子とであっても、彼女達が婚約を破棄しなければならない事態というのは、契約通り全力を尽くし果たしたが希望が全く見えないから縁を切ったということだ。既に、同じ家と繋がりを持てる心情ではなくなっているであろうことが考慮された。
故に、婚約破棄が既に成立した現在は、きれいサッパリ清々しく他人事でしか無い。
だから、宰相侯爵や王国騎士団長である辺境伯の、嫡男になるであろう息子達に、既に婚約者がいるならば喜ばしいことだと、一国民として思っている。
国王の側室が生んだ第二王子にも、セシリアより五つ年下の優秀な侯爵令嬢の婚約者がいた筈だ。側室は第二王子の教育には口を出さず、全て王室の選定会議で選んだ教育係に教育を任せている。セシリアが気にしなければならないことなど、何も無い。
第一王子、宰相侯爵長男、王国騎士団長の長男の順番でローゼと踊った後、ダンスホールの中央で第一王子が声を張り上げた。
とうとう始まったようだが、ダンスを楽しんでいた人達もいると言うのに、とんだ迷惑行為である。仕方なく演奏を止めた楽団への配慮も彼らの中には無いだろう。
大声で名を呼び出され、セシリア、ミリアム、シルビアがホールに進み出ると、人波が綺麗に割れた。
舞台が出来上がった。
三人の元婚約者達は、いかにローゼが素晴らしい女性であるかを列挙しては、比較してセシリア達を貶める。
時間も金も浪費してその程度の容姿と所作と教養しか身についていないからと、セシリア達を「無能の金食い虫」と罵り、「貴族として平民の村娘に劣って恥ずかしくないのか」と嘲笑い、「ローゼなら簡単に出来ることを努力が必要とは情けない」と侮辱する頃には、セシリア達のフォローによって表面上は素敵な王子様や貴公子に見られていた彼らへの視線が、会場の隅々からまで冷ややかなものに変化しているのだが、気持ち良く演説をぶっている彼らは気が付かない。
そして、第一王子に腰を抱かれているローゼも非常に堂々としている。ふてぶてしい訳ではない。傲慢でもない。何も疚しいところが無いから、自信を持ってその場に在るという佇まいだ。腰を抱く王子や侍る貴族令息よりも、余程高貴な雰囲気を纏っている。
セシリア達がローゼに一目置き、彼女への恨みを持たないのは、確実に自分達と同等か、それ以上の努力に裏打ちされた、この高貴な佇まいと、ローゼがセシリア達の元婚約者らを誑し込んだ真っ当な手管故だ。
他人の男を奪う女に有りがちな、「冤罪をでっち上げて擦り付ける」などの安い小芝居をローゼは一切やっていない。
ただひたすらに、男達の理想の美少女であり続けることで、三人の元婚約者らを完全に籠絡しきったのだ。
その見事な職人技は、同じ女性として認めるばかりか、憧れさえ抱くレベルのものだ。
ローゼがセシリア達を貶めるような発言をしたことは、一度も無い。
だからこの場でも、物語の婚約破棄シーンのような「平民だからとローゼを苛めたな!」といった断罪劇にはなっていないのだ。
ローゼは何も訴えていないのに、男達が勝手に物語のような断罪劇をやらかしたら、法に照らし合わせれば、後の処分内容が彼らの命まで取るものになってしまうので、一先ずは胸を撫で下ろした者もいるだろう。主に彼らの父親達とか。
しかし、愛するローゼに訴えられてもいない冤罪を作り上げて断罪劇を披露するほど愚かではなかったものの、国内の高位貴族の令嬢であり、王命で彼らの家の側から頼み込んで結んでもらった婚約者を、公衆の面前で、しかも他国からの来賓も多い建国祭のパーティーの最中に、見当違いな侮辱を名指しで延々と行っているのだから、その悪質さは社会的な自殺行為である。
ここまでやってしまえば、彼らにはもう、王族や貴族としての明日は訪れない。
彼らは未だ気付いていないが、会場中の、特に女性達からの視線は冷ややかを通り越して、凍てつく嫌悪の感情が剣の如く彼らを貫いている。視線に物理的な力があれば、穴だらけの惨殺死体が出来上がりそうだ。もしかしたら原型を留めない挽き肉状態かもしれない。
「「「よって、我々は、お前達との婚約を破棄する!!」」」
指を突きつけた決めポーズと台詞を三馬鹿が揃えたところで、セシリア達は、「ようやく長い雑音が終わりましたわ」と口許を隠していた扇子を下ろした。
返答はセシリアが代表して告げる。
伝える内容は三人とも同じだが、こちらも三人でポーズと台詞を揃えることは、いくら今夜を最後に社交界を去るつもりでいても恥ずかしかったので、セシリアに発言を託したミリアムとシルビアは黙って微笑を浮かべるだけだ。
「わたくし達と貴方達との婚約でしたら、既に昨日付で正式に破棄が成立しておりますわ。貴方達の有責が認められ、こちらからの破棄ですけれど」
「「「は?」」」
ポカーンと間抜けな顔で開いた口が閉じられない元婚約者達を一瞥し、セシリア達は再び扇子で口許を隠した。
これ以上、会話を続ける気が無いという意思表示だ。
静まり返る会場にざわめきが戻る前に、厳かな声が聴衆の静寂を保たせる。王族席から降りて来た国王だ。
「しかと見届けた。全ては忠臣らからの報告の通りであったな」
焦りを滲ませて振り返る第一王子、混乱に陥り挙動不審な宰相侯爵長男と王国騎士団長長男に比べ、彼らの元婚約者である三人の令嬢と、いつの間にか第一王子の腕から抜け出していたローゼは国王に対する淑女の礼を完璧に執っている。
ここでも歴然とした格の違いが、多くの国内外の貴族達に目撃されてしまった。
もう、誰にも彼らの所業を無かったことには出来ない。
国王は嘆息しながら第一王子らとセシリア達の間に立ち、厳しい目を息子に向ける。
「今宵、王妃がこの会を欠席となったのは、気鬱の病にて離宮での療養が決定したからだ」
国王の発言に、会場の貴族達は息を飲む。「気鬱の病にて離宮での療養」などと王に公言されては、王妃は二度と公の場に出ては来られない。国王は、この発言によって王妃の社会的な立場を殺したのだ。
その意図と、この先の展開を、セシリア達は頭の中で必死で読み解こうとする。
事前の約束通り、婚約破棄後は自由にさせてくれるなら、進行が打ち合わせとピッタリ同じでなくとも構わないが、ここで最高権力者である国王に裏切られては、長年の努力も報われない。
国王は、更に打ち合わせには無い、彼女達にとって初耳な話を続ける。
「王妃が気鬱の病を発症したのは、王妃が生んだ第一王子が数年前より気が触れ出したことを深く悩んでいたからだ」
とんでもない過激な文言に、反論の声を上げようとした第一王子を、国王は視線だけで黙らせる。大国出身の妻に強く出られずとも一国の王である。不出来な息子を威圧するくらいならば造作もない。
「回復まで第一王子の気が触れたと知られぬよう支えてくれと、婚約者であったバークレイ公爵令嬢には重荷を背負わせてしまった。忠臣である宰相と王国騎士団長の長男らにも、第一王子と近い年齢であったことから同様のことを命じたが、彼らは第一王子の狂気に同調し、共に気が触れてしまった」
宰相侯爵長男と王国騎士団長長男が、思わずガバッと顔を上げるが、これも一睨みで黙らせ頭を下げさせた。
国王の一人舞台は続く。
「代わりに宰相の長男と王国騎士団長の長男の婚約者であった令嬢二人に、バークレイ公爵令嬢と同じ苦労をかけた」
しみじみと噛み締めるように発する国王の声を拝聴しながら、セシリア達は思った。陛下、ご気分が乗っていらしたのではないかしら。何だか、とても楽しそうな気がするのだけれど。
「二年前からは、密かに伝手を辿り、稀有な光魔法使いに依頼して、第一王子達の狂気を治療するため側近くにいてもらったのだが、三者とも光魔法による治療すら受け付けぬほど頑迷な気の触れようで、最早手の施しようも無いと、治療は諦めることにした」
厳しい表情で悲しみを堪えているかのように目力を強くしているが、非公式で幾度も息子の愚行と妻の横暴を謝罪された経験のあるセシリアには分かる。
今、国王が堪えているのは笑いであり、ノリノリで独演会を楽しんでいることが。
そう、独演会だ。今、国王がもっともらしく語っている「隠していた事実」らしき話は大嘘である。
もしもローゼが本当に国王が伝手を頼って依頼した人物であれば、セシリア達が聞かされていないということは無い。
セシリア達はローゼの正体を知らないし、この二年間、報告の度に国王も掴めないローゼの正体に頭を抱えていたのだ。小娘を騙すことなど簡単だったと言うならば完敗だが、苦悩のあまり頭頂部から涼しげになっていった二年の月日が演技だったとは思えない。
「治療を諦めることで、ようやく不幸な婚約という重荷から、忠実な臣下であり何ら瑕疵の無い聡明な令嬢達を解放することが出来た。今まで長きに渡り、苦労であったな。そなたらの望み通り、何者にも邪魔されることなく『エイブリー修道院』に行くが良い」
打ち合わせに無い進行に内心で警戒を強めていたセシリア達は、結末は打ち合わせと変わらず、国王が土壇場で裏切った訳ではないと知り、安堵する。
振り返って掛けられた言葉にセシリアは感謝の礼を示した。ミリアムとシルビアも倣う。
「御厚情、感謝申し上げます」
「「感謝申し上げます」」
初めから希望していた結末が覆されなければ、それ以上は望まない。それも、戦友三人で話し合って決めていたことだ。欲をかいて、やっと手に入れた自由を失っては意味が無い。
余計なことは、言わず聞かず為さずである。
気になっていたローゼの処遇も、国王の言い方ではローゼが罪に問われることは無さそうだ。
セシリア達にかけた労りに満ちた声をガラリと変えて、国王は第一王子らに向き直り、次いで居並ぶ貴族達を一瞥する。
「後の始末は余がつける。余が申し渡す沙汰に異論は許さぬぞ」
声も無く、第一王子ら三人の男達は膝を震わせ床に崩れ落ちた。
少し離れた所で淑女の鑑のような佇まいを見せているローゼの表情に、彼らへの感情が覗える色は何も無い。
欠席の王妃はともかく、他の二人の馬鹿息子の母親が静かにしている理由を探れば、両名とも既に会場に姿は無かった。戻ったざわめきによれば、母親達は気を失って運び出されたようだ。
おそらく、気を失ったのではなく、失わされたのだろうと、姑予定だった二人の母親達の為人をよく知るミリアムとシルビアは推察したが、口には出さなかった。
騎士達に引っ立てられて別室に連行される元婚約者の男達とは異なり、王室の侍従長から丁重に会場の外に案内されたセシリア達は、事前の打ち合わせ通りに用意された馬車に乗せられ、「結果報告は修道院の方へ送ります」の言葉で送り出される。
馬車の中で湧き上がる未解決の疑問を飲み込む彼女達の後方、会場では国王の言葉で仕切り直しが行われ、パーティーは夜中まで賑やかに続けられた。