閑話 とある受付嬢が見た商取引
帝都アブクソム、その商業地区にある商業ギルド。私はそこで働く受付嬢です。名前は…、口にする必要ありませんね。そもそも名称など個を識別する為の記号のようなものです。求められるのは名ではなく完璧な仕事です。それ以上でもそれ以下でもありませんから。
その日も朝からギルド内で淡々と業務をこなします。帝都の商業ギルドともなれば仕事は多岐に、そして訪れる人も多くなります。帝都内は勿論、帝都外から訪れる方もおられます。また、商業ギルドとお取引のある方や依頼をされる方もおられます。それにしっかり対応できてこそ初めて受付嬢を名乗る事が出来る…、私はそう考えております。
いつものように私が業務をしていますとその方は現れました。変わった服装をしておられます、少なくともこのあたりのご出身ではありませんね。異国…、それも相当遠い所から来られたのでしょうか…後ろに二人の女性を伴っておられます、猫獣人とエルフの方。それぞれ自然な様子ですが彼女達の立ち位置はまさにここを訪れる有力な方の腕利きの護衛の位置そのもの。そんな護衛を雇えるなんてこの方は名のある商人かどこかの富豪でしょうか、少なくとも私にはこの方の記憶はありません。
しかし私は受付嬢。たとえ相手がどなたであろうと完璧なる業務をいたしましょう。
「いらっしゃいませ。アブクソム商業ギルドへようこそお越し下さいました。本日はどのような御用件でしょうか?」
「商業ギルドに加入をしたいのだが」
新規加入希望の方でしたか、道理で見覚えがない訳です。それでは新規加入についてご案内していきましょう。しかし、まずは加入要件を満たしているか確認をいたしましょう。
「かしこまりました。ご加入には加入金とどなたかのご紹介が必要となります。本日は紹介状などお持ちでしょうか?」
「いや、残念ながらそういった知り合いは生憎といないな」
そういった事をご存知ないとは…。やはり異国の方でしょうか?いえ、他の国にも商業ギルドはあるはずです。地域によっては規則が緩い所もあるとは聞きますが、形式上だけでも紹介人は必要なはずです。あるいは嘆かわしい事にお金をとって紹介人になるという会員もいるそうですが、そのような事は決して許されるべきではありません。少なくともこの帝都では…。
ただ、加入金については持っていないとは言いませんでした。もしかすると異国の富豪のお身内の方かも知れませんね、何らかの理由で親元を離れこの地で商売でも始めるとか…そんなとこでしょうか。そんな事が頭に浮かぶが言うべき事は言わなければなりません。
「そうなりますとご加入の手続きはお引き受けできかねます。当ギルドにおきまして会員というのはある種の保証を受けるものでもあります。もちろん取り扱う商品にも…質の悪い物は扱ってはいないという証にもなります」
誰彼構わず加入を認めていては品質を守る事は叶いません。得体の知れない物を売らせる訳にはいかないのです、買った人を守る為にも。そしてそれが売る人を守る事にもつながります。
「そうか、それでは仕方ないな」
「誠に申し訳ありません。自由市などで販売実績を積み、販路を広げ紹介を受けまたお越しいただける日をお待ちしております」
男性はすぐに納得したようでした。私はそこに言葉を続けました。いつもなら単なるお断りの文言ですが、この方ならそれを実行出来るんではないか…そんな事を思いながら。
「分かった。では、商取引はどうだろうか。見てもらいたいものがあるんだ」
そう言うと男性は布に包まれた宝石を取り出しました。
「これは…」
ルビーですねと言おうしたところに間髪入れずに男性が声をかけてきました。
「いくらで買う?」
男性の問いに私は失礼しますと一声かけてから宝石を手に取ります。カウンターの一角にある旅人用宝石の真贋と重さを鑑定する魔導具に乗せました。そこにはその価値が表示されます、今回の場合は千五百と表示されました、これがこの宝石の種別と重さから導き出された金額となります。そして私はギルド所定の手数料を引いた引き取り額を伝えます。
「千…二百万ゼニーでいかがでしょうか?」
この宝石の整型の具合などを考えればあまりに安い金額での提示額ですが、種類と重さだけで引取額を伝えるというギルドの規則は守らねばなりません。そこに割って入る声がありました。
「ちょ、ちょっと待った!あんさんッ!ワ、ワテに千三百万でくれまへんか!」
「ズ、ズルいぞ!?こ、こっちは千四百万ッ!千四百万出すぞ!」
「い、いやウチは…」
次々に周囲にいた人々が声をかけています。無理もありません、これだけの品物です。ハッキリ言って貴族…あるいは皇室の方の装飾品にそのまま使われていたとしても不足は無いくらいの美しさです。商売人としては決して見逃せない逸品でありましょう。
「なあ、アンタ!売ってくれよ!ギルドは一定の質があれば後は大きさでしか見ていない。個人間の売買なら手数料は引かれないからアンタにも良いだろう?千四百五十、千四百五十万でどうだろうかッ!?」
少しずつ値が上がって行きますが本来価値よりはまだ低いですね。しかし、それを口に出す訳にはいきません。当ギルドとしての提示額は千二百万ゼニー、それより高いのですから。
「なるほどね、手数料は取られないのか…。それは良いな」
「だろう!?だから俺に…」
「駄目だな」
男性は千四百五十万ゼニーという額を聞いても動じた様子はありません。冷静に応じています。
「えっ!?」
「最低でも千五百万の価値があるんだろ?だったらまずはそこから値がつくべきだろう。それにこのルビーをギルドが買い取りをして、改めてアンタらに売りに出せばいくらになるね?少なくとも千五百万でそのままは売らないよな」
「う…」
「それに見ろよ、この美しい形をさ。凄いだろ、このカット」
男性は見せつけるかのように商人達の前でルビーを示します。その様子はお腹を空かせた犬の鼻先で肉をチラつかせているようにも感じられます。
「最初に声をかけてきたアンタ、ほらちょっと持ってじっくり見てみなよ」
その言葉に導かれるように最初に声をかけた商人の方がルビーを手に取ると感嘆したように声を洩らします。
「ええ色や…、形も…。これならそのまま宝飾品にも使えるで」
「そうだろうな」
ルビーを受け取りながらなんでもない事…、さも当然といったような感じで男性は集まった人々に声をかけました。
「アンタたち、これがただのルビーの石コロじゃない事を考えた上で値段を口にしてくれよ。…でないと売る気分にはなれそうもないんでな。…そうだ、即興オークションとでも洒落こもうぜ。競りだ、一番の高値をつけた人に売る事にするよ。俺はここで見守ってるからさ」
ニヤリ、そんな音がしそうな笑みを浮かべ男性はそんな声をかけていました。
……………。
………。
…。
「三千万ゼニー…、まあ良いか」
その価格で手を打ってやるか、そんな感じで手にした宝石を落札した方に手渡した男性。代金として支払われた旅人用宝石を猫の獣人の方に手渡しています。盗難対策かも知れません、やはり護衛なのでしょう。
しかし、三千万ゼニーもの宝石をポンと預けるとは…。絶大な信頼をしているようです。腕が立つ…、それだけではないのでしょう。
「さぁて、二品目と行こうか…」
「「「「ッ!?」」」」
商人の方々、そして私もその言葉に反応しました。
「次はコイツだ。よぉ〜く考えて競りをしてくれよ?」
そう言うと男性は二つ目の宝石を取り出しました。それだけではありません。他にも多種多様、それも素晴らしい成型を施された逸品ばかりです。次々と値がついていきます。軽く一億ゼニーは超えた金額が動いていました。そんな一連の取引を終えると男性はギルドを立ち去ろうとしています。
「さて、帰ろうか」
「ま、待ってくれ!」
「ん?」
一人の商人の方が男性に声をかけました。
「ま、また宝石を手に入れられないだろうか?」
「ふむ…」
男性は一呼吸して返事をします。
「良いぜ」
おお、と商人の皆さんが沸きました。男性は自由市での販売を提案していました。その事に私は驚きを禁じ得ません。これだけの宝石を手放した後にまだ売る物があるというのでしょうか。そんな事を考えているといつの間にか男性はギルドを後にしようとしています。
「あ、あの…」
私は思わず声をかけていました、話しかけるべき事柄も無いのに…。男性の両脇には護衛の女性二人が腕を組むようにして寄り添います。
「造作をおかけした。地道に商売やらせてもらうよ」
そう返答した男性、…そして。
「ねえねえ、ボク今夜はお魚食べたいニャ〜」
「私は甘いものと…じゅるり」
そんなやりとりをしながら女性二人は頭や体を擦りつけるかのように甘える素振りをしていますがそれだけではありませんでした。
「ッ!?」
私はさらに声をかけようとしたのですが、一斉に二人の女性の視線がこちらを向きました。私はその視線だけで動きを制されそれ以上は追いかける事も声をかける事も出来ず立ち去る彼らを見送る事しか出来ませんでした。
「ああ、奮発してやるよ。それと…俺は駄目だぞ」
「む…」
そんなやりとりをしながら立ち去った三人、私に出来る事は今起こった出来事をギルドマスターに報告する事だけでした。




