閑話 俺は紀伊国文左(きのくにふみすけ)。その1
「俺は紀伊国文左。予想していたかも知れないが異世界からの転移者だ…」
朝食を摂りながら俺はリーンとアンフルーに話し始めた。この世界に来るまでの事、そしてこの世界に来てからの事…。
……………。
………。
…。
4月1日の入庁式まであと十日、俺は新生活の拠点となる住まいを訪れていた。東京都内にあるとある私立大学で四年間学んで、今は就職の為に地元に帰ってきた。
俺の地元は九州のとある地方都市、温泉で知られる。俺は四月から市の職員として働く事になっていた。ただ、働く部署は市の庁舎内ではなく温泉旅館やホテルがある温泉街の一角にある出張所だった。久々に帰ってきたそこは真冬から抜け出せていないのではないかと思うほど冷たく強い風が吹く。
やや高地にあり冷涼な気候、朝霧もよく出る土地。都市部から10キロも離れれば自衛隊の演習場もある。この気候と土地柄が訓練には最適であるらしい、明治時代末期あたりから軍の訓練にはうってつけだったと言う。
今、俺がいるのは曽祖母が建てた古びた建物だ。長期の湯治に来る人を相手にする格安の宿泊所である。素泊まりで十日とか半月、長い人なら一か月くらい泊まっていく人もいたらしい。共同の炊事場もあり、数日に一回は近所の農家の方が野菜や卵などを売りに来ていたという。それを買い求め自炊する、のんびりとした宿泊であった。一度に5、6人が入れる風呂場もあり基本的に二十四時間いつでも入れる。そんな場所である。
小さな頃に俺は数回来た事があった。曽祖母から受け継ぎ、祖母がここにいたのである。よく数人のグループでやってきたお婆ちゃん達がいたものだ、ちゃぶ台を囲んでお茶を飲みながら雑談に興じていた。夕方になると時代劇の再放送や相撲中継を見て終わったら手早く夕食を作っていたっけ…。
もっとも利用客はどんどん減り続け、祖母も毎年来てくれる常連さん相手に維持していたような感じだった。歳をとり、今は住宅街にある俺も住む実家で一緒に暮らしている。そこに俺が就職で帰ってきた、しかも配属先は温泉街の外れにある出張所。曽祖母の開いた湯治宿のすぐそばであった。
実家から通えない訳ではないがそれなりに距離はある。雨の日や雪の日だってあるんだ、近くに住める利点は多い。それに人が住まない家は瑕疵むのも早いと聞く。玄関を開けて建物内の空気を入れ替えるだけでも建物の維持は違ってくるというし、新しくアパートを借りる必要もない。実家に顔を出すのも苦にはならない距離だし風呂は毎日温泉だ、贅沢な暮らしと言えるだろう。
……………。
………。
…。
「そんな訳で俺はこの部屋に住むようになったんだ」
「ねーねー、キノク〜?」
「なんだ?」
「しのしょくいんって何ニャ?」
「ああ、悪い。そうだな、温泉街の出張所で働くんだから…分かりやすく言うと宿場役人って感じかな」
「この部屋の事は分かった。なぜ、アブクソムに?」
今度はアンフルーの問い。
「召喚されたんだよ。いきなりな」
……………。
………。
…。
新しい生活の準備も整い、俺は働き始めるまであと数日といったタイミングをのんびりと過ごしていた。与えられた最後の自由…、そんな事を思いながら…。そんなある日、部屋でのんびりしていると突如地震に見舞われた。
ぐら…、ぐらぐらぐらぐらぐらっ!!!
大きい!大きい、大きいッ!!
スマホの緊急地震警報はならなかったぞ!まさか、それが間に合わないくらいの震源が近く浅い所なのか!
立っていられない。
「ぐっ!!」
思わず片膝を畳に突いた。…焦るな、焦るな。もう片方の膝も着き、いわゆる四つん這いの姿勢になる。怖い、いつまで続くんだ。
揺れはなかなか収まらない、それでもいつかは収まるはずだ。
そう自分に言い聞かせるようにしてただひたすらに耐えていたそんな時…。
がくんっ!!
一際大きな揺れ。
炒め物をするのに振るう中華鍋の中身のように自分の体が跳ね上がるのを感じた、俺は今…宙を舞っている。
ずだんっ!!
重力というものがある。宙に浮いたからにはいずれ落ちる、それが道理。宙に浮いた俺はその重力に従い落下して地面に叩きつけられた。
冷たく硬い床の上。
打ち付けられた皮膚が痛い。
畳の感触じゃない。
土間まで投げ出される程の揺れだった?
いや、土の感触でもない。ここまで硬くはないからだ。
「ぐっ…」
痛みに思わず声が洩れた。
「おおっ、成功だ」
「他国では禍を招く禁忌という話もあったが…」
「それは悪魔の類を呼んだ場合であろう!?」
ざわざわと周りから声がする。
おかしい、俺は部屋に一人でいた筈だ。
いつの間にか俺は目を閉じていたらしい。考えてみれば宙を舞ったあたりまでは目を開けてはいたが…。目を開けてみるとまず目に入ったのはざらざらの石の床。畳じゃない。
「どこだよ、ここ…」
俺は体を起こしながら周りを見る。床に着けた足の裏が靴下越しにひんやりとする。
「よくぞ参った、召喚に応じし異世界渡りの勇者よ。余がこの大アイソル帝国の第11代皇帝ツィンエル・エスト・ラト・リトア…」
長えよ…、正直声に出しそうになる。それに何が召喚に応じし…だ。勝手に呼び出しておいて…、ふざけた事を言う。
「………モルド・アイソルである」
軽く1分はかかったろうか。これが正式名称とかフルネームっていうヤツなんだろう。聞いてる身にもなれ。高い所の玉座ってヤツにふんぞり返って偉そうに…。
皇帝と名乗った男は一言で言えば醜悪な男であった。若くはない、おそらく老齢だろう。名前はなんだったか…、長すぎて頭に入ってこない。そもそも名前なんて余程近しい相手でもなければどうでもいい、一言で十分だ。要は他人と区別できれば良いのだ。極端な話、AとかBとか。1とか2でも良い。
(決めた、コイツはクズで良い)
「これっ!陛下に名を名乗らんかっ!」
「俺の事か?」
「そうだ!」
クズの座る所から数段下の所に立つ奴…、中世的な服を着た手下その1が何やら喚いている。勝手に呼び出しておいて…、名乗る義理がどこにある。
だが、それを馬鹿正直に言えば周りにいる武装した兵士もいる。良くない事になるかも知れない。なら、どうするか…。
「許されたのか?」
「な、何?」
俺は手下その1に向けて言った。
「発言を許すと誰か言ったのか?俺は今、お前が喚いているから返事してやってるが…。勝手に口を開くのは不敬だとか言わないのか?」
「な、何を!そのぐらい自らするべきものであろう!ええい、ならば名を申せ!今すぐだ!!」
「お前が決定するのか?」
「そうだ、ワシが決めた!名を申せえええっ!!!」
唾を飛ばして手下その1が叫んだ瞬間だった。
「ベメド宰相」
クズ改め皇帝が口を開いた。
「は…、ははっ!!」
慌てて手下が皇帝に向かって頭を下げる。
「今の余の心が分かるか?」
「…は、ははっ!話。私は生来の愚鈍にて…」
「…で、あろうな」
じろり…、皇帝がベメドと呼んだ男をひと睨みする。
「僭越、不敬、この意味ぐらい分かるであろう。いかに愚物であってもな」
「え、あ…」
「誰がその者に命を下すのだッ!?」
「へ、陛下にござぃますッ!」
「余を差し置きなぜ命を下したッ!」
「ヒ、ヒイイイイィッ!!お、お許しを…、お許しを!!」
身分は宰相だったか?手下その1が尻餅をつき何やら怯えている。
「ならぬ…」
皇帝は静かに言った。それがかえって恐ろしい。
「余は…何人の僭越も許さぬ。命を下すのは余、ただ一人。それを差し置くとは…」
すーっ。皇帝が手をいまだに尻餅をついている宰相の方に向けた。ただちに兵士が取り押さえる。
「殺せ」
宰相から目を逸らす事なく皇帝が言った。
「お、お許しをッ!」
「許さぬ。やれっ!刑場に引き出さずとも良い!余の見ている前で殺すのだッ!!やらねば同罪ぞッ!!」
衛兵達が次々と宰相に槍を突き刺した。完全にオーバーキルだ。目の前で起こった突然の惨劇に俺は言葉を失った。
宰相は悲鳴の後、絶命していた。
「そこの者…」
皇帝は一人の兵士を指差した。
「は、ははっ!」
その兵士が慌てて片膝を着く。
「なぜ刺さなかった…」
「あ、あれだけ刺せばもう十分かと思いまして…」
ガタガタ震えながら兵士は返答する。
「余の命に背いたな…」
再び皇帝の手が動いた。
「十分か否かは余が決める。断じて余人の立ち入るものではないわ!やれっ!!」
宰相に向け振るわれた槍が再び朱に染まる。
ごとり…。
鎧の重い音をさせ名も知らぬ兵士が倒れた。
コイツら…。俺は兵士達を見た、同僚を平然と手にかけている。
「さて…」
皇帝がこちらを見た。
「名を聞いておこうか…」
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