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掌編

ニガダマ

 うなぎは、関東風が良い。

 まずは生きたままのうなぎを冷やし、その頭に目釘を打つ。背中から尾へかけて一気に引き裂く。はらわたを傷つけないように、小ぶりの専用包丁を使う。血を拭い取り、内臓は除けておく。背骨を抜き取り、頭を落とす。適度な長さに切り、串を打つ。これが無頭背開きと呼ばれる関東風のさばき方だ。

 そこからが難しい。『串打ち三年、裂き八年、焼き一生』と言われるゆえんだ。一度ふっくらと蒸してから、炭火でじっくり焼き上げる。その手捌き、まさに職人技である。

 タレは醤油、味醂、日本酒を煮詰め、氷砂糖で整えたもの。当然『半助(焼いた頭)』と焼き骨を加え、隠し味に山椒を少々。それを何十年も注ぎ足していく。

 米は会津若松産の有機米。精米したての米を研ぐ水は純水だ。米の表面はぶつかり合わせず、ただ撫でるだけで三度水を取り替える。ザルに十五分あげて水を吸わせた後、炊く。今度は硬度十の『屋久島縄文水』を使う。小ぶりな土鍋を用い、強めの中火で七分、弱火で十分、蒸らしに十二分。

 焼き立てのうなぎを、炊き立ての米で食べる。そのために小一時間待たされようが、俺は構わない。


 ――美味い。


 しかし、うな重だけでは片手落ちだ。胃袋は膨れても、俺の舌は満足しない。やはり『肝吸い』がなければ。

 新鮮なうなぎの内臓は、余すところなく使える。血を洗い流したり下茹でする店もあるが、この店では洗わずにそのまま焼き上げたものを入れる。通常『ニガダマ(胆のう)』は取り除かれるが、俺はあえてそれも入れてもらう。

 低いカウンター越し、無言で差し出された椀を俺は受け取る。蓋を開け、立ち上る三つ葉の香りを堪能した後、一口すする。箸を入れ、青黒いニガダマを噛みしだく。


 ――苦い。


 なんとも言えぬ、恐ろしい苦さだ。舌をしびれさせ、脳天を突き抜ける。肉が見えぬほど山椒の実をふりかけた、四川伝統料理『牛鍋』十人前に匹敵する苦さ。この店の肝吸いは最高だ。

 空の椀を白木のテーブルに置いた俺は、古希に近いであろう店主にいつもの言葉をかけた。

「店主……今日も、美味かった」

「ありやとごじぇえます!」

 照れると舌を噛むのが、この店主の癖だ。苦笑で応えながら、俺はそっと席を立った。

 テーブルの上には、手付かずで残された冷水と茶、そして源氏物語を表にした二千円札。店主が過去数年でたった一日だけ店を閉めた日、『瀬戸内寂聴尼講話の為、本日休業致します』の張り紙を見てから続けている。特上うな重ランチは千九百円だが、百円はニガダマ代として受け取ってもらう。

 店を出た俺は、くちた腹をさすりつつ家路を急いだ。


  * * *


 照明を落とした店内。

 低い白木のカウンターで仕切られた厨房は、どんな客に見られても恥ずかしくないよう磨き上げられている。濡れた台拭きをキツく絞り上げた店主は、ふっと息をつくと頭に巻いた手ぬぐいを外した。

 残っているのは、吸い物の鍋だけだ。蓋を開け、まだ湯気の立つそれをひとすくい。椀の中に丸い具が入った。何年も毎日のように作ってきたが、自らは食したことのなかったもの……ニガダマ入りの、肝吸いだ。

 店主は、それを一気にかき込んだ。普通の肝吸いではありえない強烈な苦味に、思わずむせ返る。

「苦え……なんてぇ苦さだ……」

 外した手ぬぐいで乱暴に顔をこすると、店主は呟いた。

「まったく、苦すぎて涙出てくらぁ……」

 空になった椀を洗い、戸棚へ移す。常に同じ高さで揃えられていた椀が、一つ足りない。

 店主は、先ほど帰ったばかりの客を思い浮かべた。

 今日最後の客であり、この椀を持っていったあの女を――。

 

 それは本当に珍しい客だった。肝吸いをニガダマ入りでと頼む、二人目の奇特な客。

 目の下に青黒い隈をつくったその女は、苦みに顔を歪めながら肝吸いを飲み干した後、「この椀をくださいませんか」と言った。

 カウンター越し、無言でうなずいた店主に、女は涙を堪えながら深く一礼した。「主人が最期まで愛したものをいただけて良かった」と告げ、何度も頭を下げながら出て行った。

 あの椀は、明日には灰へと変わるのだ。何年も毎日のように顔を会わせていながら、名前すら知らなかった彼と共に……。


 店主は、開店以来二度目となる臨時休業の知らせを書いた。


『鰻をこよなく愛した男の、旅立ちを見送る為――』


※作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたい方のみスクロールを……。










『コミカルな話をシリアスに書く』というチャンレンジに一度挫折し、シリアス+シリアスな、あっさりしたオチに変えたものです。

珍しく、オッサン&ジーサン主人公の、渋い作品になりました。(文学カテゴリに入るかは謎ですが)

うなぎ好きな方と、うなぎの素晴らしさについて分かち合えたら幸せです。

今回の裏テーマは「苦手な細かい描写(小道具系)」だったのですが、好きな題材だとそれなりに書けるっぽい……。


補足:四川料理『牛鍋』は、作者の創作料理です。苦さを別の料理で置き換えるのに、適度なものが思い浮かばず発案。(発案元の料理、牛肉の土鍋煮込みってのがまた美味いのです)

補足2:なぜ二千円札なのかというと、源氏物語絵があるので。(寂聴先生=源氏物語訳者として有名です。最近はケータイ小説も書かれているようですが……あれは衝撃でした)

補足3:ニガダマの描写について。実際下処理で取り除かれてしまうものなので見たこと無いのですが、死ぬほど苦い『青緑色の玉』だそうです。コメディなら『瑠璃色の地球のようだ』とでも表現したのですが……シリアスだとややグロいので却下しました。


※普段(他の作品)は、ケータイ読者さまのために改行空行率高めにしておりましたが、今作品においては、文学度UP(?)のため、正しい書式風に文字を詰めさせていただきました。

※8/3 オチの暗喩が分かりにくい点など、後半中心に加筆修正しました。

※12/18 ラストの一文を変更しました。(一回下ろすの改め、全面改稿して公募へ……どうなるかちょい未定)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写がとても丁寧で、読んでいるだけでウナギを食べたくなってきますね
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