気まぐれな執筆①
「分かりましたよ、犯人が。」
得意げな笑みを浮かべながら彼はそう言った。謎が解けた時、こめかみに指を当てる癖は健在である。
「私たちは犯人の思惑にまんまと引っかかっていたのですよ、えっと・・・」
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「何回目だっけ、台詞飛んだの。どんだけ撮り直ししてるか分かってる?」
監督の冷たい声に空気が静止する。彼女は続けて言った。
「台詞忘れるわ、噛むわ・・・人間の役者はやっぱり効率が悪い。」
「すみません情とか声色とか、感情を込めたら台詞だけに集中するのが難しくて。」
探偵役の彼は、申し訳なさそうな顔をしながらも軽く反論を試みる。
「人間の役者ってみんなそう言うのよね。なんでまだ使われてるのか分からないわ。」
彼女はそう言いながら、視線を犯人役の彼女に移す。監督の目元が緩む。
「それに比べてAIの役者は本当に効率的。どれほど長い台詞でも絶対に間違えない。一発で撮れるから優秀だわ。」
「『優秀』?・・・感情がこもっていなくても、台詞に命が宿っていなくても、ミスをしないことが『優秀』なんですか。芝居の良し悪しって効率で決まるんですか。監督にとって演技って何ですか。」
探偵役の彼の口から言葉が止まらない。顔色一つ変えない彼女にむかって彼は続ける。
「AIが演劇界に参入してからというもの、監督は変わってしまった。でも、僕に演じるということを教えてくれたのは貴女だから。今度は僕が貴女の目を覚ましてみせます。」
彼は撮影現場を後にした。
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僕は撮影現場から逃げるようにして、早足で歩く。行く当ては特にない。
「何やってんだ自分は。」
思わず口から出た言葉を思い出しては後悔と恥ずかしさに襲われ、手のひらで頬を軽く叩く。でも、監督への思いまでなかったことにするつもりはない。
「どうやったらあの頃の監督に戻ってくれるだろう・・・」
強い思いはあるのに、そのための手段が浮かばない。そんな僕の目の前に、古びた劇場が現れた。上演中らしく、そっと足を踏み入れた。創作なのか、演目は聞いたことのないものばかりだった。
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ほんの少しの間覗くだけのつもりだった。そのはずだった。決して十分とは言えない舞台装置。陳腐なストーリー。台詞だって完璧には程遠い。なのにどうしてだろう、人間くさい演技が、胸の中を引っかき回してしようがないのだ。帰る気になどなれなかった。
「そうか、これだ。」
終演後、僕はさっきまで舞台の上にいたあの役者のもとへ向かった。
「さっきの芝居を見たが、あなたの演技は相当荒っぽい。しかし、人間だからこそなせるものだ。あなたの、その力で僕の大切な人を救ってはくれないか。」
急な話に戸惑いながらも、役者はうなずいた。僕は役者を連れて、監督のところへ戻った。
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「何のつもりで戻ってきた、人間役者が。」
彼女の声が冷たく響く。AIの役者たちは僕のほうに顔を向ける。
「すみません、監督。少しだけ時間をください。」
これでダメなら、他にできることはないかもしれない。声が震えそうになるのを抑えながら僕は続ける。
「僕が初めて演じたのは、監督の映画でした。緊張してて台詞を間違えないようにって、いっぱいいっぱいで。その時に監督が怒ったんですよ、覚えてます?『用意された台詞を読み上げるだけなら誰にでもできる。緊張に飲まれて、表現することから逃げるな。なぜ自分が演じるのか考えて、自分が持っているものと向き合え』って・・・監督が、僕を役者にしたんです。今度は僕が監督を救いたい。だからどうか、見てください。」
連れてこられた役者が演じる。流れるような、淡々としたAIの演技とは真逆である。見る者を包み込むような柔らかさと、心の深いところを刺すような鋭利さを併せ持った演技―――監督の目から滴が流れる。彼女自身、自分の体に何が起こったのか分かっていないようである。自分の胸元をさすりながら、彼女は話し始めた。
「君の言いたかったこと、私のココはきっと分かってるんだと思う。まわりの人につられて効率を優先して、自分が大切にしたいものを見失ってたことに気づけなかった。私の求める演技はAIじゃ到底なしえない、君みたいな人間役者だからこそできるのね。」
彼女の目元が緩む。彼もまた、彼女と同じ顔をしていた。
安心した人間は油断する。人間役者の彼も例外ではなく、背後からの影に気づくことはなかった。彼が人間としての最後、目に映ったのは、無表情に見つめるAI役者たち。
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制作時に監督と出演者の間で少しトラブルがあったものの、ミステリー映画は先週公開された。興行収入は今年度一位になると予測されているほどに、評判は上々だ。
「スタジオを飛び出した時はどうなるかと思いましたよ。」
役者の一人がこぼす。
「僕も気がついたらあんなことを言ってて、びっくりしました。でも、今こうして監督と完成を祝えるのが嬉しいですよ。」
「私の目を覚ましてくれたこと、本当に感謝してる。君と私はこれからも支え合っていくのかも・・あ、ごめん、電話だ。」
彼女は早足で人の輪から離脱する。電話に出るも、用件は同僚からの手短な伝言だった。
役者たちのところへ戻ろうと歩きながら、彼が自分の中で大きな存在になっていることを彼女はうすうす感じていた。彼のシルエットを視界に捉えた時、話し声が聞こえた。
「何が人間役者だよ、あの監督。まわりにまだ人間が残っていると思ってんのかな。」
「声が大きいよ。バレちゃいけないし、監督にも悪いよ。あの人が地球上で最後の人間だって、なんかかわいそうだよね。」
ポーカーフェイスと称される監督の顔に、驚きの感情が表出する。
「え・・・?」
気づいた時にはもう遅く、彼女の手から携帯電話が滑り落ちていた。リノリウムの床との接触音が辺りに響く。
「あ、監督。おかえりなさい。」
役者たちは笑顔で迎えるが、彼女の表情を見てさらに目を細める。
「どうしました?」
彼女は言葉が出ない。彼女は、これが恐怖という感情なのかと知った。
「・・・もしかして、僕たちの話、聞いちゃいました?」
「え、いや・・・あの・・・・」
彼女は後ずさる。しかし、体は思うように動かず、その場に崩れる。
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彼女の人間としての最後の記憶。それは薄れゆく意識の中、人間のような笑顔で自分を見るAIたちの姿だった。