ー1ー【現実世界~はじまりの日】
初めて小説というものを書きました。
楽しんで読んで戴けたら幸いです。
あの日、絶望と希望が同時に空から降ってきた。
いつもの朝。カーテンを開けると、多摩川がゆったりと流れ、水面が朝日を反射してキラキラと輝いている。
日下悟は、軽く伸びをしながら、窓の外を一頻り眺めた後、自室から一階のリビング・ダイニングへと降りていった。既に父の優は出勤しており、母の淑恵は、キッチンで姉と悟の弁当を作っている。卵焼きの甘い匂いが鼻をくすぐる。
「おはよう」
「ん」
母の挨拶に一文字で返すと、悟はダイニングテーブルの定位置に腰を下ろした。向かいには、姉の深月が、呆れ顔で座っている。
「ちゃんと挨拶しなさいよ、偉そうに」
「ハイ、ハイ」
「ハイは一回!」
「ヘーイ」
いつもの朝だ。
日下家は父、母、姉、悟の四人家族。
父、優は某出版社の編集者で、直木賞にノミネートされたこともある小説家の専属だ。普段は夕食には帰宅するが、締切が近くなるとほぼ家には帰ってこない。
母の淑恵は、フリーのカメラマンで、動植物などを被写体にしている。オフの日は家事に精を出しているが、アマゾンやアラスカなど、定期的に撮影のため、海外に渡航してしまう。
姉の深月は、都内の大学に通っており、現在三年生。国際文化研究のゼミに所属しており、夢はCA。恋人募集中だが、お節介を焼き過ぎる傾向があり、なかなかうまくいかない模様。
そして、悟は都立高校の一年生で、空想科学研究部(略称:空研)に所属。幼い頃からファンタジーが好きで、ジブリ映画をこよなく愛している。
入学祝に買ってもらったロードバイクで多摩川の土手を通学する時間は、一日の中で悟の特に好きな時間のひとつだ。日毎に変わりゆく季節を肌で感じながら、風を切って進むのは気持ちがいいし、犬の散歩をする老人、ベビーカーを押す母親、通勤するビジネスマン、学校へ急ぐ小学生達・・・色んな人達が色んな毎日を暮らしていることを実感する。
「悟、おっすー」
教室に入ると、クラスメイトの有馬拓海が早速話しかけてきた。
「昨日の『ロッキンアワー』観た?ジャムレコの新曲、マジでヤバかった」
拓海はキラキラした目で、イントロのリフが初期の曲をオマージュしていたとか、サビ頭で転調する所が変態だとか、ジャムレコの素晴らしさを滔々と語り始めた。
拓海が熱狂しているジャムレコとは、『Spill jam on record』という、5人組のミクスチャーバンドのことで、軽音部に所属し、ギタリストを夢見る拓海にとって、憧れのバンドなのだ。
「ロッキンアワーは観なかったけど、ジャムレコの新曲はYouTubeで観たよ。アルバムもうすぐ出るんだよね?」
「そうなのよ!いやー待ちきれん!」
拓海はその後も始業のチャイムが鳴る直前まで、ジャムレコの魅力を語り続けた。
退屈な授業が終わり、放課後、悟は空研の部室へ向かった。文化部の部室は、普段授業を受けている校舎には無く、体育館を通りすぎた先にある、旧校舎を改装した建物内に収められていた。古ぼけた外観はレトロというより、ちょっとホラーな雰囲気を醸しているが、拓海は「ガレージじゃん!こういう所から芸術は産まれるんだよ」と、何故かポジティブに捉えている。とはいう悟も、部室棟の雰囲気は嫌いではなく、不思議と落ち着く感じが気に入っていた。
軽音部は地下一階、空研は三階のため、拓海と階段で別れ、部室へ。「空想科学研究部」と書かれた表札の掛かった扉は、ピンクのペンキで塗られている。ドラえもんの「どこでもドア」を模したもので、初代部員が卒業記念に塗ったらしく、そこから毎年度、卒業生が塗り替えるのが恒例行事となっている。
空研の部員は総勢7名。三年2人、二年2人、一年3人と、廃部スレスレの低空飛行をキープし続けている部である。
今日は、三年はおらず、二年の前田美琴・真琴(双子の女子)、一年の城ノ内渚(男子だが、背が低く声が高いため、部内では「なぎさちゃん」と呼ばれている)、瀬戸麒麟(メガネ女子。SFの知識は部長の御手洗秀一に匹敵)がいた。三年は部長の御手洗と副部長の嶋田一樹の二人だ。
「ねえねえ悟くん、蛯澤先生の課題、進んでる?」
話しかけてきたのは、城ノ内だ。
「新しいSFのストーリーを考えてくること、一番面白そうなやつは演劇部に持ち込んで、舞台の脚本になるかも、ってアレね?」
「そうそう。僕ってー、作品書くより、見て評論する方が得意なタイプじゃない?こういう課題、向いてないんだよねー」
出た。なぎさちゃんは中身もほぼ女子なのだ。
「僕も得意じゃないよ。ひとつ考えてみたけど、読んでた小説と設定同じって気づいて、即没」
「わかる!それってあるあるだよねー」
空研の顧問、蛯澤賢治は、二年の担任で、演劇部と顧問を掛け持ちしている。無茶振りが得意技で、今回の課題も、演劇部の文化祭の演目が決まらず、思いついてしまったらしい。
「私は、アンドロイド達が自我を持ちはじめ、人間と戦争になるが、最後は共存の道を歩む・・・って内容で、今、原稿用紙100枚突破しました」
割って入ってきたのは、瀬戸だ。
「100!?キリンちゃん、凄すぎ」
城ノ内は目を丸くして驚いている。
「まだ大筋を書いたに過ぎないので、ここから肉付けして最終的には200枚くらいになろうかと」
眼鏡の位置を直しながら瀬戸が笑っている。
「演劇部の舞台って15分くらいだろ?何時間演るつもりだよ」
悟は呆れつつ、ツッコミを入れた。
「演劇部が駄目なら映画制作会社に売り込みます」
これが瀬戸である。
部活を終え、多摩川の土手を帰宅中、悟の目に妙な物体が映った。その物体は上空30m程の高さで浮遊しており、不規則にゆらゆらと動きながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。大きさはサッカーボール大の球体で色は黒。新型のドローンとか?悟はロードバイクを脇に停め、球体を凝視した。
球体は悟の目の前、3mの距離で土手に着陸した。よく見ると、球体の表面には幾何学的な模様が施されており、所々が淡い橙色に発光している。普段なら土手は帰宅する人々が往来しているが、今日に限って人気が無い。悟が意を決して球体に近づこうとしたその時、球体が変形を始めた。
「なんなんだ、これ」
蜜柑の皮を剥くように、球体の表面が捲れ、中身が顕になった。紫色のコードが絡まって毛糸の玉のようになっており、その中心にある、カメラレンズのような目玉がこちらを見つめている。
「こんにちは、サトルくん」
脳内に直接スピーカーから話しかけられているかのようだ。悟が混乱して後退すると、
「ごめん、逃がすわけにはいかないんだ!」
絡まっていた紫色のコードが素早く飛び出し、悟の身体をぐるぐる巻きにした。そしてコード先端のプラグが、悟の左耳から侵入してきた。
「うわわわわわわわ」
「ようこそ、我が世界へ」
悟はそこで意識を失った。