ストレス社会なのではなくて社会がストレスなのではないか?
今日は仲良し子と自主練の日。
まだ日が昇る前、学校に向って自転車を走らせる。
「あ、そうだ」
ふと思い出すは昨日の疑問。
「マイナスな面で形容出来るのは生きる上でいらないんじゃないかなぁ」
ぽつりと呟いた言葉におばあさんが反応してしまった。恥ずかしい。
そう、昨日は”なんでマイナスな面まで形容できるんだ?”という疑問が浮かんで、解決は今日になったのだ。
『マイナス面と言うのは現代で言うネガティブな思考と、発言、感情のことか?』
「怒りとか、悲しみとか、苦痛とか、『相手が精神的にダメージを負う様な言動だったり、マイナスな思考』って言うと分かり易いか」
『それが出来たら何か悪いのか?』
「悪いってか、嫌な気持ちを持って生きたいなんて思う人は少ないだろって」
『まずまずの話だ。なんでそんな気持ちが体現されるのだ。その原因はどこにあるのだ』
「……人に嫌な事をされたり?人の態度に腹が立ったり?」
『つまり原因は第三者の人にあると?』
「まあそうかも」
『人のせいと言う奴だな』
「仕方なくね?そいつ見てイライラするのも、嫌なことされて傷つくのも、俺が率先して、何かしたわけじゃないじゃん?」
『それ、本当か?』
「??」
『イライラするって、なんでイライラするんだ』
「いやだから、相手が嫌なことするから……」
『例えばルールを守らないとか?』
「まあ、それも一つか……」
『そのルール、誰が決めたルール?』
「皆で。社会で作り上げたルールとか、俺の中のルールとか……あ……」
『そう結局、自分らが生み出したルールを守らない奴らに腹が立っているだけ。自分ルールを勝手に相手に適用して、ルール(価値観)に乗っ取っていないからと苛立っているのだ』
「……じゃあ、嫌なことされて傷つくのは?」
『その嫌な事を放っているのは誰かを考えろ。今言った奴らじゃないのか?ルールに縛られた、価値観に染まった、常識と呼ばれる人間が作り上げたただの社会のルールが大好きな人間だ。ストレス、上下関係、仕事が出来るかどうか、順位付けによる優越感etc…。つまり、正しいと決めつけられた価値観が人のマイナスを生み出しているのだ』
「上司が言う『何で出来ないんだね』って言葉も、『出来るのは当たり前』って勝手に決められた常識基準の上にあるな。他者側の気持ち、ではなくて、自分の気持ち(価値観)で人を見ているって事か……」
『ま、受け手もそんな人が勝手に作った常識(正解)を鵜呑みにしているから起こる事だが』
「全てが価値観とルールのストレスに。あ、だから、社会=ストレスって……」
『だ』
「ってか、話それてるんだけど。結局、マイナス面の形容が何で存在するのか、分からんかったわぁ」
『現代においてマイナスな面が生まれる理由の一部になったな』
「もう学校着いたな。早……」
また帰り道にでも考えるとして、今日は朝練と言う名の遊びを友達と。