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05

「あのね。昼食に出た甘味デザート、まだ余ってるかなって思って。すっごくおいしかったから、もう少しだけ食べたいの」

「ございますよ。わざわざこちらにいらっしゃらなくとも、誰かに申しつけていただければお部屋にお持ちしましたのに」

「兄さまの耳に入ったら、いやだったから。昼食の時にね、兄さまの分も、分けてもらったの。それでさらにまた食べたいって言ってることが知られたら、『太るぞ』とか言ってくるに決まってるから――」


 ミーアは若い料理人に促され、会話の途中でその場を去った。裏口まで戻ると、ロッソと交代したそばかす少女の使用人が新たに来た応募者を応対していた。


 空には夕暮れの気配が漂っていた。公爵邸を後にし、街の雑踏に紛れる。足元から伸びる影を踏みながら、ミーアは公爵家の令嬢のことを考えていた。


 貴族を間近で見るのは初めてだった。きっとあの少女は、みなに愛され、大切にされ、食べる物にも着る服にも困らず、何の不自由もなく暮らしている。ミーアとは住む世界が違う人間だ。


「いいなぁ……」


 金の心配をしなくていい人生というのは、どんな人生だろう。きっと幸せだ。朝から晩まで忙しく働く必要もなければ、休日に仕事を探して雇用掲示板を見る必要もない。


「はぁ……。比べるだけ、あほくさいよね。だいたいの人は、働いてるわけだし」


 借金の返済に頭を悩ませている人は少ないかもしれないが、大抵の者が毎日働いてるいるのは事実だ。


 ミーアは葡萄を一つ、口へ放り込む。甘酸っぱくて、美味おいしくて、一瞬にして元気が出る。


「そういえば、庭にテオいなかったなぁ。って、休みの日なんだし、当たり前か」


 ミーアはもう一つだけ葡萄を食べた後、人が流れる路地をたんぽぽ亭へ向けて駆け出した。


   ×××


 すっかり不採用だと思ったが、三日後の昼、ミーアは配達員から上等な封書を受け取った。初めてもらう高級な便箋に驚きつつ封を切ると、中身は公爵家からの採用通知だった。


「嘘!」


 次の太陽の日の早朝、公爵家の裏口に来るようにと記してあった。ミーアは小躍りしたい気分で店先から中へ戻り、空いた食器を片付けながらカウンター席の内側にある調理台まで戻る。


「なんか、うれしそうだな」


 カウンター席にいたテオがミーアの機嫌の良さにすぐに気づいた。今日のテオは昼食が遅く、店の昼の混雑はすでに落ち着きを見せている。そのためいつもより会話をする余裕があった。


「副業のね、採用通知が来たの」

「はあ? 副業?」


 テオが食事の手を止めた。


「この店のほかにも働く気か?」

「そうよ。……ちょっと、お金が入り用なの。すっごく割のいい仕事が決まってね。なんと、二日間で銀貨六枚も稼げちゃうんだから!」

「二日で銀貨六枚? あり得ないだろ。日給の相場は銀貨一枚ってとこだ。一体何の仕事だよ」

「野菜の皮むきよ」

「皮むき?」


 テオは大仰に眉を上げ驚き、呆れる声音で言った。


「ミーア。お前、騙されてるぞ。皮むきだけで銀貨六枚なんて、おかしい。悪いこと言わないからその仕事は蹴っとけ。野菜の皮だけじゃなく、お前の服までむかれるぞ」

「……何、その親父臭い発想」

「あのなぁ。俺、かなり真面目に心配してるんだけど」


 もちろんミーアは軽くあしらった。テオが心配するような事態はあり得ないからだ。


「大丈夫よ。ものすごくちゃんとしたとこだから。何たって、雇い主は、バ――」


 『バックス公爵家』と続けようとしたが、鉄鍋がひっくり返るけたたましい音で言葉は引っ込んだ。中身が飛び出た鉄鍋がかまどの前に転がり、そばでミンロが倒れている。ミーアは顔色を失くした。


「お母さん!?」


 ミンロは意識がないようだった。頭が真っ白になったミーアに代わり、調理場に入って来たテオがミンロの様子を確かめる。まだ店内にいた数名の客も、何事かとカウンター席の内側を覗き込んだ。


「――呼吸はしっかりしてるな。とりあえず、医者に診せよう。この辺りに診療所は?」

「あ……、た、たまに、体調を崩した時に診てもらってる、よく行くところがあるわ。そこなら」


 テオが頷き、ミンロを背負う。二人はたんぽぽ亭を出て診療所へ走った。


   ×××


 医者に診てもらったが、ミンロに目立った異常は見られなかった。睡眠時間を削り仕事をしていたことを医者に説明すると、過労だろうと判断された。診療所の寝台に寝かせているうちに、やがてミンロは無事に目を覚ます。


「あら、私……」

「お母さん!」


 ミーアはミンロの体に飛びついた。テオも肩の力を抜き二人を眺める。ミンロは医者に体を休めるよう指示された。たんぽぽ亭へ戻る帰り道、テオに背負われながらミンロが謝る。


「ごめんなさいね、テオ君。お仕事休ませちゃって。それに私、重いでしょう」

「いえ。すごく軽いですよ」

「うふふ。優しいのね。お母さん、テオ君に恋しちゃいそう」

「お母さん! もう、ふざけてないで……。テオ、ほんとに勝手に仕事休んじゃって大丈夫だったの? ごめんね」

「あとでちゃんと言いに行くから大丈夫。それより、店はどうするんだ? お前一人じゃ回せないだろ。しばらく休業にするのか?」


 ミーアが考え込んでいると、ミンロが言った。


「お母さんならもう大丈夫よ。夜にちゃんと眠るようにすれば」

「だめよ! 倒れてるのよ? しばらく休んだほうがいいわ。お医者さまだって、体をじゅうぶんに休めなさいって言ってたでしょ?」


 しかし現実問題、短期間でも休業してしまうと借金返済に響く。できれば通常通り店を営業したいところだ。


 ミンロを二階へ運んだ後、ミーアはテオと一階へ下りた。入口扉に『準備中』の札を下げた店内は静まり返っている。


「そもそも、何でミンロさんは睡眠時間削ってまで働いてたんだ? お前も副業するとか言ってるし。そんなに金に困ってるのか?」


 他人であるテオに借金の話はしづらい。だが仕事まで休ませたのだから説明はちゃんとしておくべきだろう。「実はね」と、ミーアは月の借金返済額が倍に引き上げられたことを話した。


「契約書ある? ちょっと見たいんだけど」


 ミーアは契約書の束を持ってきた。十数枚の紙に小難しく文字が記されており、眺めていると頭が痛くなってくる。それをテオは集中して一枚ずつ見ていった。



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