end
ミーアは固唾を呑み国王の次の挙動を待った。静寂に包まれる王座の間で、国王が話し出す。
「人には誰しも、相応の居場所というものがある。生まれ育った環境というものは、死ぬまでその者の底に根づき、失われることがない。君には、貴族であるセオドアの隣は荷が重いのではないかな?」
ミーアは国王の目を見ることができなかった。ただ唇を引き結び目線を下げる。テオとともにいることは似合わないと、反対されているのだ。
「いま、君はとても居心地が悪いだろう。慣れないドレスも、この王城も、すべてが君には合わないはずだ。間違った場所を選び、そこで生き続けてしまえば、君はずっと自らを偽り、背伸びをし、窮屈な思いをしながら生き続けることになる。それは、とても苦しいことだ。……君が苦しむことは、君も、そして何よりセオドアも、望んでいないはずだ。君の幸せがセオドアの隣にあると、本当に言い切れるのかな?」
言葉に引き上げられるように、ミーアは国王を見上げた。真っ直ぐ瞳を見つめ返す。そして瞳にある想いが、テオと自分の仲を反対するものではないと、気がついた。
(わたしの、幸せ)
国王は純粋に、ミーア自身を気にかけてくれていた。
「……わたしは、こんな、きらきらしたドレスは嫌いです」
ミーアはゆっくりと言葉を返した。
「かかとの高い靴も、落っこちそうな宝石だらけの髪飾りも、すべてが重くて、動きづらくて、大嫌いです。丁寧な言葉遣いだって苦手だし、わからないし、勉強だってできるほうではありません。偉そうな貴族は大嫌いです。どうでもいい理由で見栄を張るのも、心の底からばかみたいって思います」
流れるように話し出したミーアに、騎士たちから戸惑いが伝わってくる。国王だけは身じろぎせず、しっかりとミーアの話を聞いていた。
「わたしは、生まれ育ったたんぽぽ亭が大好きです。古くて質素で、小さなお店だけど、お父さんとお母さんとの思い出がたくさんあって、お客さんと話しながら働く毎日は、とても楽しくて、幸せで。――テオを選べば嫌なことが増えるのは、わかっています。好きなことにも、手が届かなくなるかもしれません。それでもわたしは、テオの隣にいたいんです。公爵として生きる、彼の未来を見てみたい。それくらい、彼を好きになりました。覚悟は、できています。たとえ将来後悔する瞬間が訪れたとしても、いまの選択が間違いだったとは、絶対に思いません」
ミーアの視線を受け止め、国王は「そうか」と静かに呟く。
「ならば行きなさい。もう、私が言えることはない」
初めと変わらない、穏やかな声で国王は言った。
王座の間を出ると、扉の外にはテオもリチャードもいなかった。王国騎士たちは扉の前で石像のように前を見据えているだけで、ミーアに何かを教えてくれる素振りはない。
恐らく二人ともすぐそばにいるだろうと、ミーアは絢爛な王城の廊下を勝手に歩き出した。廊下の前方に陽射しが入り込んでいる箇所があり、明るさに誘われた。
その陽が射す場所は、片側が吹き抜けになった回廊だった。円柱の間から中庭へ下りることができ、優しい陽の射す庭で、冬に咲く花がひっそりと息づいていた。今日は気持ちのいい快晴で、冬の乾いた空気が空の色をより淡く見せている。
『わたしがたんぽぽ亭を続けないこと、お父さん、怒らないかな』
王都に発つ直前、ミンロに会いに行った。
『怒るわけないでしょう? ミーアがたんぽぽ亭をとても大事に想ってることは、お父さんだってちゃんとわかってるもの』
ミンロはいつもの穏やかさで答えた。
『あなたはただ、大切な人ができて、その人のために生きたいって思うようになっただけ。変わるというのは、仕方のないことなのよ。……お父さんとお母さんが二人でお店を始めて、そこにミーアが加わって、三人でお店をするようになって――あの時間は本当に幸せで、いつまでも続けばいいのにと思ったものだけど、それもやっぱり、変わってしまった。何だって、変わってしまうのが当たり前で、それが普通なの』
ミンロに哀しむ様子はなかった。むしろ笑って言った。
『ミーアは、絶対に幸せにならなくちゃだめよ。お父さんとお母さんの子どもなんだから。そして、その幸せがいつまでもあると思わないことも大切ね。とにかくいまを――テオ君と一緒にいられるいまを、大切にね』
心からの笑みだった。
ミンロは近々退院する予定だ。退院後は、一人でたんぽぽ亭で暮らすという。店はもう完全に閉じてしまうが、思い出とともにたんぽぽ亭で過ごしたいと望んでいた。毎日会いに行くと伝えると、来られる時だけで十分だと言われた。帰りたくなった時はいつでも帰って来ればいいとも言った。
思い出しながら庭を眺めていると、後方から視線を感じた。一人の少年が廊下を通り過ぎようとしている。廊下の途中で立ち止まるミーアを訝しんだようだった。
「あの、えっと。迷ってしまって」
反射的に言い訳する。少年は、ミーアより一、二歳年下で、髪は金色、向けられる瞳は夜空のような深い青色だった。予想外に端正な面立ちの少年で、もしや身分のある者なのかとミーアは狼狽えて言い足した。
「知り合いを探してて。その、一緒に拝謁に来たんですけど……」
しかし少年は一人きりだ。王侯貴族ならば供を引きつれて城内を闊歩するのが通常だろう。ただの召し使いの一人だろうか。
「もしかして、バックス公爵家の方ですか?」
「は、はい」
何故わかったのかという疑問が顔に出たらしかった。少年が答えてくれる。
「今日の午前の拝謁は、バックス公爵家以外はもう終えていますから。来客用の控え室でお待ちかもしれません」
「控え室……」
「ご案内しましょうか?」
少年が丁寧な所作で廊下の先を示す。今日のミーアの身なりは貴族令嬢然のため、少年はそれにふさわしい態度で接してくれる。ミーアはややむず痒かった。
勝手知ったる様子で歩く少年の後ろをついて行く。控え室にはすぐに着いた。少年は扉の手前で立ち止まった。
「恐らくこちらにいらっしゃると思います」
ミーアは笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
少年がわずかに口角を上げた。一礼をし去って行く後ろ姿を見送ってから、ミーアは扉を叩こうとする。すると部屋の中からテオとリチャードの声がした。
「やっぱり様子見てくる」
「やめときなよ。父上は、態度には出さなくても評価をしてるんだから。息子も甥も、関係なくね」
「いい評価もらうより、ミーアに嫌な思いさせないことのほうが俺には大事なんだ」
言葉尻にかぶせるように扉が開く。部屋から出て来たテオと真正面から目が合った。
「……た、ただいま」
「ミーア!」
テオは周りの人の有無も確認せずミーアに抱きついた。驚き固まっている間にすぐに離れ、窺う目で訊く。
「不安だったろ。陛下に何言われたんだ?」
ミーアは一拍置いてから答えた。
「嫌なことは、何も言われなかったよ。王さまさまは、わたしのこれからを心配してくれただけ」
「……なんだそれ。どういう意味?」
テオはやりとりの詳細を聞きたがった。だが心の内に留めて置くやりとりな気がして、ミーアはただ「大丈夫」を繰り返した。
控え室を出て、三人で来た廊下を戻る。リチャードは廊下の冷気に両腕を抱いた。
「うー。廊下は寒いなぁ。もうすっかり冬だねぇ」
「近いうちに雪降るかもな。今日はいい天気だから降らねえだろうけど」
「王都は雪が降るの?」
ノウェン市は、西の山脈のおかげで乾いた空気が降りてくる。寒さはあっても雪はまったく降らない気候で、冬は晴れの日が多く過ごし易いくらいだ。
「うん。王都は雪が降るよ」
リチャードが応じる。
「降るとは言っても、少し積もる程度だけどね。あんまり降ると、馬車の事故が増えるから大変なんだ。毎年いろいろ対策をしててね――」
話しているうちに、先程の庭が望める回廊まで戻ってきた。立ち止まり、ミーアはぽつりと零す。
「わたし、王さまに認めてもらえたのかなぁ」
リチャードが陽気に頷く。
「もちろん。会うってだけで、認めてもらうってことになるからね。もう終わりだよ。お疲れさま、ミーア」
ミーアは呆け顔でリチャードのすっきりした笑顔を見た。
「えっ、会うだけって……。でもリチャード、王さまに認めてもらう必要があるって」
「そうだけど。でもあれ? 言ったよね? 何もしなくていいって」
ミーアは口を半開きにした。リチャードは気休めで何もしなくていいと言ったわけではなく、本当に言葉通りの意味で言ったようだ。つまるところ、リチャードが父である国王に頼んだ時点で、もうすべては済んだようなものだった。ミーアが身構える必要などまったくもってなかったのだ。
「それより、ミーア。これから何したい? 王城見学でもする?」
ミーアが脱力する隣で、リチャードは大仕事を終えた清々しさで尋ねる。太陽はまだ空高い。午後の予定は、何もない。
「ええっと……そうだなぁ」
「今夜は城に泊まる予定なんだし、昼間は城下に行ってみないか? ミーアは、王都は初めてなんだろ?」
「そう、ね。――うん、観光したい!」
「観光! いいね!」
リチャードも賛同する。
「じゃあさっそく着替えよう! 正装で行くと目立つから、もう少し抑えた服じゃないと。とりあえずは僕の部屋においでよ。着替えを用意させるから」
テオが片眉を上げる。
「お前も来るの?」
「そうだけど」
「お前はいまさら観光なんてしなくていいだろ。俺はミーアと二人で回りたいんだよ。気を遣ってくれ」
「わー、冷たいなぁー。あーやだやだ。両想いになって、結婚まで決まって、自分が幸せだからって、友人みたいに仲良いいとこの扱いは、雑になっちゃうわけだ。……僕だって、普段は立場ある身。城下に行くことなんてないのにさ……」
テオは落ち込むリチャードを面倒そうに見るだけだ。ミーアは思わず庇った。
「三人で行きましょうよ、テオ。きっと楽しいわ」
「騙されるなミーア。こいつは召し使いたちに命じれば、長蛇で有名な城下の名菓子を無駄に買い占めることだってできるんだぞ」
「まあまあ。リチャードのおかげでいろいろ丸く収まったのは、確かなんだし」
リチャードは態度をけろりと戻し、テオに肩をすくめた。
「心配しなくても、あとでちゃーんと二人っきりにしてあげるよ。場所は、そうだなぁ……――たとえば、恋人に大人気の宿屋の前とかでだったら、テオは大満足なのかな?」
「……お前なぁっ」
テオとミーアがそろって顔を赤くする。それを見て、リチャードは声を上げて笑った。
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