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 晩餐は周辺で採れた食材を使用した美味なものだった。湖で釣れた魚料理に、秋の木の実を用いた甘味、飲み物にはもちろん麦酒もあった。


 正餐せいさん室の大卓に二人で座り、食事をする。別荘に常駐する使用人たちが給仕をしてくれた。当然ミーアはもてなされるという状況に慣れていない。彼らが別荘に現れた自分をどう思っているのか、平凡な娘に恭しく仕えて嫌な気持ちにならないか、そんなことが気にかかり使用人たちの反応を窺ってばかりいた。だがテオから話が通っているのか、彼らは柔和な表情を浮かべて完璧に仕事をこなしてくれた。


 時間が経つにつれ、純粋に食事を楽しめるようになり、ミーアは料理を口に運んでは顔をほころばせた。その度に、テオも嬉しそうに目を細めた。


「――それでさ、たんぽぽ亭を大きくするんだ。顧客の細かな欲求を汲み取って、戦略を練って。最終的に、たんぽぽ亭を国中に出店する有名店にする」

「それは、大きく出たわね」

「不可能じゃない。経営は得意分野だからな。でも、店の従業員を増やすのもいいけど、ミーアと二人で小さくやってくのも楽しいしなぁ……。そうだ。本店は二人きりの小さいままにして、支店を大きくすれば――」


 酒が回っていて、テオは食事の間中、夢見がちで饒舌じょうぜつだった。そんな彼の様子が可愛くて、ミーアはずっと賛同の相槌を打っていた。晩餐は、すっかり長引いた。


 夜遅く、寝衣に着替えたミーアは、清潔に整えられた寝台で眠らないまま横になっていた。やがてふいに身体を起こし、部屋を出る。廊下を進み、すぐそばの大部屋の扉を叩く。返事の後に扉を開けると、テオは寝台に座っていた。


「ミーア……どうしたんだ?」


 テオはミーアの登場に目を丸くした。丁度就寝するところだったらしい。燭台の灯りはすべて消え、窓から射す月の光のみが部屋に満ちている。


「ごめんね。眠れなくて」

「えっ。それで、……一緒に寝ようって……?」

「違う。ちょっと話でもしようと思って」

「……そう」


 テオは気が抜けたように肩を下げる。しかしすぐにミーアの恰好を見て表情を険しくした。


「あの。なんでそんな肩丸出しの服着てるの?」


 ミーアが着ているのは薄絹の寝衣だった。胸元の刺繍に裾の縁飾り、腰のリボンにと実に可愛らしい寝衣だ。だが肩が出る造りだった。


「衣装戸棚の中にあった寝る服、こういうのしかなかったから。ほかに持ってきてもいないし」


 ミーアは寝台に座るテオの隣に腰を下ろす。肩が触れ合いそうな距離だ。沈黙が降りる。テオはぼそりと呟いた。


「……試されてるな」

「え?」

「普段髪結ってるくせにさ、下ろしてるのも、憎いよな」

「はい?」

「バルコニーで話そうぜ」


 テオはすっくと立ち上がった。


「頭も冷えるし」

「ええ……いいけど」


 何ともあほっぽい動揺の仕方だと、ミーアは思った。二人で夜のバルコニーに出た。寒くないようにと、テオが部屋にあった肩掛けをミーアのかけてくれる。湖の景色を目の前にしながら、テオは虚ろな目で遠くを見ていた。


「――ねえ」

「何?」

「いまわたしからキスしたら、わたしのこと襲う?」

「襲いますね」

「ふぅーん」

「いや、襲わないよ。そういうのは、結婚してからだから」

「そうなんだ」

「そもそも、お前がそう言ったし」

「そうだけど……」

「何? 誘ってんの?」

「まあね」

「えっ!」

「ごめん、嘘。あははは、痛い痛い」


 テオがミーアの両頬を引っ張った。ミーアは変な顔のまま笑い声を上げる。それからテオの手が頬から離れたかと思うと、顔が近づいてきて、二人の唇が重なった。夜の静謐せいひつな月明かりの中、存在するのは自分たちだけだ。


 ミーアから離れたテオは、バルコニーの欄干に肘を乗せた。


「家のこと、ごたついてごめんな。俺だけで片付けるつもりだったんだけど、ミーアも巻き込んじゃったな」

「ううん。大丈夫」

「こうやって二人で旅行してんだから、ヒュロッケン伯爵も諦めざるを得ないだろ。父さんだって、俺が家を出れば、もうどうしようもないし」

「……」

「あっ、そういえば。エトレシカ嬢をここに連れてきて、乗馬を教えるとか話したな。一人で馬に乗ったことがないからって」

「えっ。それって、エトレシカさんからすれば、婚約者からの約束を、別の女にとって代わられてるってこと?」

「そうなるね」

「それはちょっと……ひどいような。エトレシカさんは、何も悪いことしてないわけだし」

「そうだなぁ。でもまあ、ひどいなんてのは、いまさらだから。公爵位を継がないって決めた時点で、俺は十分ひどいことしてるし」


 それは、ほんの瞬きをする間に消えていた。湖を見つめるテオの瞳の奥が、一瞬(かげ)った。


 気づくべきではなかった心の奥を覗いてしまった気がした。テオはいつもの明るい表情に戻って言う。


「寒くなって来たし、そろそろ中入るかー」


 彼がどれほどの覚悟なのか、その重みを初めて本当に理解した気がした。テオは、すべてを捨てるのだ。積み重ねて来た努力も結果も信頼も、家族も知人も何もかも、彼が十八年間培ってきたすべてを捨てて、ミーアと歩こうとしている。


 こんなことは、やはりだめだ。テオにさせるわけにはいかない。もう、言わずにはいられない。


「……テオ。わたし、テオが好き」


 部屋に戻ろうとしていたテオが、振り返る。


「ずっと迷ってたけど、やっぱりわたし、あなたと離れることは、いやだなって思う。……ずっと、一緒にいたい」

「ミーア……」

「でもそれはきっと、わざわざわたしと結婚をしなくても、叶うことなの」


 吐き出す声が、震えていないことに安堵した。テオは表情を失くす。


「あなたは、いい公爵になると思う。能力もあって、機会もあって。それを捨てるのは、もったいないと思う」

「ま、待った、ミーア。それって――」

「わたしは、テオがわたしを好きでいてくれる限り、そばにいる。だから」


 言葉の先を予想し、テオの表情が歪む。それをまっすぐ見据えて言った。


「あなたは、エトレシカさんと結婚をするべきだわ」



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