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×××
翌日、ミーアは一人で店内を掃除していた。営業するわけではないが特にすることもなく、じっとしていると考え事をしてしまうので身体を動かしていた。すると換気のため開けていた入り口扉から、緋色の髪の青年が現れた。
「やあ、ミーア。こんにちは」
昨日の夜にも会った彼は、相も変わらず上品な外見だった。たんぽぽ亭の質素な内観からは浮いて見える。今日は一人で、テオの姿はない。
「昨日はあれから無事に帰れたかい? ちゃんと眠れた?」
青年は優雅に店内へ入って来る。
「ええ……それなりに。……セオドアさま、じゃ、ないのよね。あなたの本当の名前は? なんて呼べばいいの?」
騙されていたことや、みっともない姿をさらしてしまったこともあり、ミーアはやや不愛想に訊く。
「リチャードって、気軽に呼んでもらえるとうれしいかな」
「じゃあ、リチャード。今日は何をしに来たの?」
リチャードはミーアの冷ややかな態度に軽く肩をすくめ、それから卓の上に書類を置いた。
「借入れ金に関する証明書だ。これで、無理に働かなくて済むね」
ミーアは西商会の捺印がある書類を持ち上げた。細かな文字の羅列があり、読めない単語もあったが、『返済完了』の文字は読みとれた。本当に、こんなにもあっさりと借金は支払われてしまったようだ。
「君を騙して、ごめんね。誕生会の夜、僕がとっさに嘘をついたんだ。あの場で秘密が明かされてしまうより、あとで君たち二人でゆっくり話をしたほうがいいと思ってね。テオは、君に本当に、本気のようだったから」
「……」
「じゃあ、用事はこれだけだから。掃除中にごめんね」
出て行こうとするリチャードをミーアは引き止めた。
「待って。……お願いが、あるんだけど」
テオに、直接話しておきたいことがあった。ミーアはリチャードにテオと話す機会を作れないか頼んだ。するとリチャードは、公爵邸のテオが軟禁されている部屋に忍び込むことを提案した。
一緒に公爵邸へ向かい、何度か通った裏口から入る。誰にも会わないよう気をつけながら、緑の垣根道を進んだ。邸内に入ってからも、リチャードは勝手知ったる様子だ。使用人の気配がしたら、うまく廊下の角に隠れたり部屋に入ったりしてやり過ごす。
「あなたは、テオとはどういう関係なの?」
「いとこだよ」
邸に慣れていることに納得した。
「なら、やっぱりあなたも貴族なのよね」
「そんなところ」
リチャードはにこやかに頷いた。貴族相手ならば、本来なら態度を改めるべきなのだろう。だがリチャードはミーアのくだけた口調などまったく気にかけていない様子だ。
到着した部屋の扉には、錠が五つも備えつけてあった。外側から操作する錠が三つ――数字合わせ錠と模様合わせ錠、そしてかんぬき錠、残りの二つの錠は、鍵穴だ。リチャードは鍵穴以外の三つの錠を素早く解除する。
「テオの様子を見に入ることもあるから、知ってるんだ。鍵穴のほうは、一つはわざとかけてなくて、もう一つはこの鍵で開く」
リチャードが手の平に鍵を出す。
「テオが無理に出ようとした時に抑えられるよう、本当は、剣を持って入るよう言われてるんだけど……いまは、いいかな」
中に入ると、最低限の家具調度が置かれた小部屋の寝台に、テオが横になっていた。テオはミーアの登場に勢いよく身体を起こした。
「……ミーア……」
部屋の窓には鉄格子もついている。これならば逃げられなかったのも無理はない。いくら家具が豪華でも、これほど徹底に閉じ込められたらさぞ息が詰まるだろう。だがテオは、疲れなど吹き飛んだかのように顔に笑みを広げた。
「どうしたんだ、ミーア。あ……昨日は、ごめんな。ほかにも、いろいろ……。ずっと、嘘ついてて……」
「……今日は、たんぽぽ亭の借金のことで来たの」
対してミーアは、素直に笑顔を返せない。
「テオが、払ってくれたんでしょう?」
「ああ……うん」
「お金、働いて返すから。何十年かかっても」
テオは、ミーアの空色の瞳を瞬きをして見返した。それから気が抜けたように笑った。
「返さなくていいよ。俺が稼いだ金だし」
「そういうわけにはいかないわ。高額だもの」
「いいって、ほんと」
「そういう、わけには……」
「返すと言っても、働き口は、あるのかね?」
後方から別の声が割って入った。三人は部屋の扉口を振り向いた。開いた扉の横にダリオンが立っている。一歩後ろにはロッソも控えていた。リチャードが人差し指で頬を掻く。
「あー……、侵入したの、見つかってたみたいだね」
ダリオンはミーアを見つめて続けた。
「母親と商んでいる食事処は、一人ではできないだろう?」
「し、仕事は、これから探す予定です」
「君のような少女が、一人で金貨何枚分も稼ぐのか? いつ返し終わるかわからないな」
ミーアは表情を強張らせる。見かねたテオが助けに入った。
「だから、返す必要ないって。何しに来たんだよ、父さん。ミーアをいじめに来たのか?」
「うちで、働いたらどうだ?」
ミーアとテオは目を丸くした。
「一人、欠員があると言ってただろう、ロッソ」
「はい。あとひと月ほどですが、若い女性の使用人が一人長期休暇中のため、欠員が発生しております」
戸惑うミーアにダリオンは言い放つ。
「ひと月でいい。うちで使用人として働かないか? その辺の適当な仕事より、ずっと給金はいいはずだ」




