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02

 妹のメリルだ。現在十三歳で、来年から社交界入りする公爵令嬢である。家族揃っての黒に近い濃茶髪のせいで、容姿に華やかさは欠ける。だが笑顔に愛嬌のある可愛い妹だとテオは思っている。


 メリルは何かを言いかけ、だがリチャードがいることに驚いて肩を緊張させた。


「あ、リチャードさま? いらっしゃいませ。ごきげん、うるわしゅうございます」


 メリルはドレスをつまみ上げ片足を下げる、礼節通りのお辞儀をする。リチャードは晴れやかにほほえみ、メリルの手の甲に口づけを落としてみせる。


「やあ、メリル。久しぶりだね。もうどこからどう見ても、立派な淑女だ。来年君を見る男たちは、みんな夢中で踊りに誘ってくるだろうね」

「ありがとう、ございます」


 メリルは気恥ずかしそうだ。リチャードはどんな女性でも等しく丁寧に褒め称える性格だ。ずっと見てきたテオは、呆れる反面、よくやるものだと感心もしている。


 テオはメリルに声をかけた。


「メリル。何か用事だったのか?」

「あっ。あのね、テオ兄さま。踊りの練習相手になって欲しいの。先生に教えてもらったところで、どうしてもうまく踊れないところがあって」


 踊りの練習ならば、午後いっぱいかかりそうだ。


「いいけど、父さんにも呼ばれてるんだ。その後でもいいか?」


 メリルが頷く。


「じゃあ、テオが戻って来るまで、僕が天使さんと踊っていようかな」


 リチャードがまた芝居がかった態度でメリルに手を差し出した。メリルはまた赤くなり、躊躇いながらもその手をとる。


「頼んだ。終わったら舞踏室に行くから」


 手を振る二人と部屋の前で別れ、ダリオンの書斎へ向かった。書斎に入ると、ダリオンは確認していた書類を片付けた。椅子に座ったままテオと向き合う。


「来たな。お前に、見せたいものがあってだな」


 久しぶりに見るダリオンは、帰宅したばかりの疲れを見せず、何故か上機嫌だ。髭を剃っているため多少若く見えるが、もう四十近い中年である。中年の父が上機嫌な姿を見てもいい予感はしない。


「どうだ、テオ! これを見ろ!」


 差し出されたのは三枚の全身姿絵だった。すべて年若い女性のものだ。姿絵の下にもう一枚紙が重なっており、爵位に家名、年齢に性格、趣味に至るまでが詳細に記されている。これは何だと尋ねるまでもなく理解した。案の定、ダリオンが訊いてくる。


「婚約者にするなら、どちらのご息女がいい?」


 テオは瞳を輝かせるダリオンを内心迷惑な思いで見た。しばらく家にいないと思ったら、息子の婚約者選別をせっせとしていたわけだ。


「……結婚、ですか」

「未来の公爵夫人だ。希望者はそれこそ星の数ほどいたのだが、諸々鑑み、私のほうで三人まで絞っておいた。三人とも、申し分のない女性だ。身辺も洗い出している。心配な要素はまったくない。さあ! 選びなさい!」


 テオは期待の眼差しから逃げながら返した。


「私には、まだ結婚は早いかと」

「何を言う。お前は来月十八になるだろう。婚約者くらい決めておいていい歳だ。来月の誕生会で周知するのがぴったりだな。婚約し、公爵家を背負う心を互いに養いながら、二、三年後、結婚と同時に爵位を継承するのだ。襲爵(しゅうしゃく)後も、何かと困ることはあるだろうからな。私が手伝えるだろう期間も含め、いまが婚約に最適な時期だ」


 ダリオンの意見は的確だ。だがテオは沈黙した。ダリオンは卓に乗り出していた身を引くと、椅子の背に体重を寄せた。


「乗り気でないようだな。誰か、好きな娘でもいるのか? どこの家だ」

「……貴族では、ありません」


 ダリオンは疲れたように溜め息をついた。


「貴族は位のない人間とは結婚できない。法律で決まっていることだ。知らないわけではないだろう。……冗談に、付き合っている時間はない」

「冗談ではありません。私は……真剣です」


 ミーアへの恋慕が心にある。ほかの女性との結婚は気が進まない。


「お前が、毎日街へ通っていることは知っている」


 ダリオンはテオの返答を予想済のようだった。


「私がお前の行動に目をつむっているのは、お前が自分の立場を自覚していると信じているからだ。だが違うというのなら、その娘に会うことは禁ずる」


 わかっていた返答だった。ダリオンは、テオ以外に爵位を継がせることを考えていない。幼い頃から自らの知恵のすべてを授け、育て上げてきた一人息子だ。


 テオにとっても、ダリオンは悪くない父親だ。亡くなった母のことをいまだ想い再婚する気もないようだし、メリルのことも溺愛している。徹夜をしていても朝食は家族三人でとろうとするし、夕食の時間に間に合うように門から邸まで庭を走っているのを見てしまったこともある。


 じゅうぶん、理解していた。自分の意見がいかに愚かか。我が侭で公爵家の歴史と信頼を壊すわけにはいかない。


「何も、慕っている娘と会うなと言っているわけではないのだ。立場を理解して欲しいだけだ。……結婚さえ、すればいい。あとは、お前の好きにできるはずだ」


 テオは肩から力を抜いた。ダリオンが言外に伝えたいことは、愛妾(あいしょう)として外でいくらでも好きに囲えるということだ。そんな貴族は腐る程いる。妥当な意見だ。


「……わかりました」


 愛妾というミーアの未来を潰す選択は、テオには(はな)からない。ただ単に、初めから分かり切っていたことである。ミーアとの未来は、諦めるしかない。


「婚約します」

「それでいい」


 ダリオンは安堵を交え頷いた。そして仕切り直し、「では」とまた身を乗り出す。


「誰にするんだ?」


 三枚の姿絵を再び前へ出す。


「絵師はこちらで用意させたからな。誤魔化しはない。体型もわかるよう、全身を描くよう指示しておいたぞ」


 外見は本当にどうでも良かった。みなそれなりに整っており、醜悪な女性などいない。ダリオンの調査済なのだから内面も問題ないだろう。きっと三人の誰でも、自らの立場を踏まえ、いい公爵夫人になってくれる。


 だからテオは、姿絵と組になっているそれぞれの家の経歴に目を通した。その中で、一番公爵家の利益になりそうな家を選ぶ。


「まあいまここで決めなくても、部屋に持ち帰ってゆっくり――」

「こちらの女性にします」

「おおっ。ヒュロッケン伯爵のご息女か、うん……」


 ダリオンは、テオがとっさに見た目で選んだと考えたようだった。


「……お前は、ぼん、きゅっ、ぼんよりは、華奢な感じが好みか」

「いや。そういうので選んでないから」


 わざわざ書斎へ呼び出したので一応敬語で対応していたが、ダリオンのあほらしい発言に思わず素が出る。もう面倒になり、テオは普段通りに言った。


「これで用終わりだろ? 婚約話、進めといていいから」

「あ、ああ。……ってこら、テオ! 書斎で話す時は敬語を使えと言っているだろう!」


 後ろ手に扉を閉めた。小さく吐息する。


 舞踏室へ向かいながら、そう言えば、ミーアも華奢な体型だなと考えた。小柄で、線が細くて、だからこそ塩袋を持ってやりたくなった。


 それでもミーアは一人で持ってしまう。光が灯っているようなあの強い瞳を持つ女性は、卓に並べられた姿絵の中にはいなかった。


 諦めるしかない。わかっていたことだ。たまにたんぽぽ亭に行くだけで十分だと思わなければならない。ミーアへの気持ちが消えるまでは、会いに行く。


 いまは気持ちが消える未来など考えられないから、諦め時は、ミーアに良い相手ができた時だろうか。考えて、気分が悪くなった。


「そりゃあ、いつかは結婚するよなぁ……」


 誰かと結婚して、その男のものになる。想像するだけで嫉妬が芽生えてくる。


 諦めるしか、ない。それでも嫌だと感じてしまい、どうしようもなかった。


   ×××


 夜、ミーアは一人で店内の掃除をしていた。たんぽぽ亭の営業時間は昼と夕方だ。料理の仕込みは朝や午後の空き時間に行うため、夕方営業の後は掃除をして一日の仕事は終了だ。疲れを感じながらも、最後のひと頑張りだと気合い入れて椅子を卓に載せていく。それから床を掃き、汚れが酷い箇所は水拭きもする。椅子を下ろし卓をきれいに拭いたところで、施錠前だった正面扉が音を立てて開いた。


 所用があると少し出ていたミンロが帰って来たのかと思った。だが違った。


「何度来ても、ちっさくて地味な店だなぁ」


 入って来たのは三人の男だった。屈強な体格の護衛風情の男が二人と、その間にいる色柄ものの上衣を着た派手な青年だ。留め具を外した胸元にはゴールドの首飾りが光り、男にしては長い髪はき上げて後ろへ流している。



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